学び!と歴史

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新島襄とキリスト教-Godの世界はどう説かれたか【大河を読み解くシリーズ6】
2013.11.27
学び!と歴史 <Vol.67>
新島襄とキリスト教-Godの世界はどう説かれたか【大河を読み解くシリーズ6】
大濱 徹也(おおはま・てつや)

 新島襄は、キリスト教に出会い、その世界を伝えようとしたとき、大文字のGodを「ゴッド」と単に表記するのでなく、God像を日本語で具体的に説くことに苦慮し、この「神」を「天上独一真神」「天上真神」「真神」「万有之造物者」「見て不得、取れとも不可取の霊神」「帝中の帝」「王中の王」「唯不可見のゴッド」「我輩及び天地万物を造れる天帝」等々、多様に表記しております。キリスト教のGodを伝えることは、日本の精神文化、かみがみの世界をどのように理解しているかにもかかわることでした。そこでGodがどう描かれているかを読み解くこととします。

新島襄が伝えようとしたGod像

 アメリカに密航した新島が父民治に無事を伝える最初の手紙は、1866(慶応2)年2月のもので、「少年の狂気業若し成らざれば死すとも帰らず」と決心し、生命に拘る国禁をも恐れず、「義すて難き主君を棄て、情わかれ難き親族をも不顧」、密かにアメリカ船で「万里之外に跋渉」、一家一族を悲哀に沈めた「多罪」は何れへも謝まってすむものではないが、この企ては「飲食栄華」のためではなく、「全く国家の為に寸力を竭」さんと「中心燃るが如く遂に此挙に及ひ候」と、密航の心意を認め、目下は「神の加護」で健康であり、日々学問修業に励んでいるので安心してほしいとの旨を認めた後、この「神」について追記しています。

此神は日本の木像金仏とはちかひ世界人間草木鳥獣をつくりし神にて永世不朽、実に我等之尊敬祈祷すへき神なり

 ついで1867年3月には、学んでいる神学校の生徒像を描き、「独一真神の道を修め」ることの道義的優位性を論じ、己が求めている世界を知らせます。

書生は多分正直信実にして一切酒煙草等を不用、強而邪淫を避け決し而女色の事杯は不談、唯天地人間草木鳥獣魚虫を造りて永々存在こゝにもかしこにも被為在候あらたかなる神、乃ち以前に申せし天上独一真神の道を修め、此世の罪を償へる聖人ジイエジユスの教を守り日夜不怠祈祷致し、其恩恵扶助をのそみ、己に克ち欲を禦き、父母に孝を尽し、兄弟姉妹朋友隣人を愛する事己に斉しく、偽詐佞弁を辱ち、悪口怒口を嫌ひ候、其風俗の美し事、何卒我朝放蕩之諸生酒をのみ自ら英雄とか称し、世間の人を見さげ豚犬とかよひ、親兄弟をけつけ、情の知れぬ女郎になじみ遂に癰毒(ようどく)に染まり、其業を失ふのみならす大切なる身を亡し、父母に難義をかくる輩に見せ度そんし候。小子も昔の七五三太とは大に違ひ深く此聖人の道を楽み、日夜怠らす其聖経をよみ、道を楽しみ善を行ひ、偏に他日の成業且国家の繁栄、君父朋友の幸福をのみ神祈仕候。

 かつ、家族が病気等で神仏へ願かけ、まじない等は無用となし、日本の神仏を論難し、「独一真神」とは何かを説き聞かせたのです。

一切神仏への願かけ、まじない等は被成間敷候様奉存候、なせならば日本の神仏は木、銕、銅、石、紙等にて造り、目あれ共見得ず、耳あれ共聞得ず、口あれ共食ひ得す、手足あれ共働く能ず、是其内に魂のなきは明白に御座候、且神仏は古の人にし而矢張当時の人間と同しく太神宮の如きも大人と斉しき人に御座候間、神棚へ崇め尊び天照宮と申頭をさげ拝みを上候等之事は愚之至りにして論を用ひす共、其利益のなき事は相分り申候、但し天照宮も八幡宮も春日大明神も矢張我々と同しく独一真神より造を受たる人間に御座候間、何卒大人御目をひらき如此手に製したる偶像に御迷ひ被成ぬ様、去なから此天上独一真神は天にも地にも只独り(釈迦如来の如き銕石の仏とは相違いたし候)の神に御座候はゝ天地、星辰、人間、鳥獣、魚類等をつくり永々御存在こゝにもかしこにも被為在、世人の善悪を御覧被成、善をなす者には未来の幸福不朽の生命を賜ひ、悪を為せし者に必らす罪を加へ、永々も困苦を賜ひ候間、其神を信仰し而日夜敬而祈祷を呈し

「偶像教」に寄せる眼

 日本の神仏は、木、銕、銅、石、紙等で造型されたもので、天照大神をはじめ八幡神、春日明神等にしても、造物主の手になる偶像にすぎないと徹底的に論難されました。このような論難は、日本にきた耶蘇教―プロテスタントの宣教師が説く論理であり、日本がアジアの野蛮国の証とみなしたものです。ここには、木、銕等々にすぎない日本の神仏を野蛮な偶像教とみなし、キリスト教こそが日本が野蛮から文明に歩むための日本文明化の器であるとの思いが読みとれます。新島は、このような日本を変革するためにも、偶像が支配する秩序からの脱皮し、善悪を裁く独一真神の道に入ることを説いています。ここには、日本の儒教的世界を超える文明の秩序をささえる道義への期待があり、精神の覚醒を偶像教批判でめざすものにほかなりません。
 この「天上独一真神」等等と聖書が説くGodをどのように伝えるかは、新島のみならず、日本宣教に従事した宣教師にとり難題でした。プロテスタントの聖書和訳では、Godを「天主」「上帝」「神」のどれにするかが議論され、イギリス系が「上帝」、アメリカ系が「真神」とすることを主張。しかもギュツラフは、『約翰(ヨハネ』福音之伝』で「ゴクラク」と約しています。この「ゴクラク」は、ヨハネ福音書3章5,6節の「神の国」の説明で「ゴクラクノクニ」と理解したことから、「ゴクラク」を至高の実在とみなしたことによりましょう。
 このように人格神であるGodをどのように理解させるかは、偶像神批判を野蛮の証として、批判すればするほど日本におけるキリスト教伝道を躓かせることともなります。やがてプロテスタントの聖書は、「天主」「真神」をして、「神」とします。この「神」は、「真神」なる表現が示していますように、日本の神godをして、偶像にすぎない偽の神とみなしたことによります。このことは、Godとgodの根深い対立を生みますが、日本のキリスト者をしてgodの世界に捕囚させる遠因ともなりました。それは、文明の宗教としてキリスト教を受け入れ、道徳経と理解したがために、「此世の罪を償へる聖人ジイエジユスの教」を己のものにすることに大きな躓きの石となったのです。