学び!と歴史

学び!と歴史

キリシタンの時代―Godの世界はどう説かれたか(続)
2013.12.02
学び!と歴史 <Vol.68>
キリシタンの時代―Godの世界はどう説かれたか(続)
大濱 徹也(おおはま・てつや)

ザヴィエルの日本像

 日本の16世紀は、大航海時代の波涛に乗って1549(天文18)年8月に鹿児島に上陸したイエズス会士にはじまる布教により、キリシタンの時代といわれるほどにキリシタンの信仰が日本人の心をとらえていました。ザヴィエルは、「日本人は私の見た他の如何なる国民よりも理性の声に従順な国民」「質問は際限がない位に知識欲に富んでいて」(1552年1月29日)と、ヨーロッパの会友宛書簡で述べ、日本宣教への大きな手ごたえを実感していました。そのため日本に来る宣教師には「日本人のする無数の質問に答えるための学識」があり、「宇宙の現象のことを識っている」「学者」が相応しいとも。一方で日本宣教には、堺の繁栄に注目し、その交易が多大なる利益をもたらすとの認識を布教の保護者であるゴアの総督に伝えています。
 ここに来日したイエズス会の宣教師は、ザヴィエルの意向をふまえ、やがて巡察師ヴァリニャーノが確定した日本順応策の下で、貿易の利に期待した戦国大名の要望に応じるのみならず、戦乱のなかに放置された民衆の心をつかみ、急速にキリシタンの信徒を増やしていきました。その教勢は、1550年に約3万人、布教後30年で13万人、1614年の禁教令前夜にはおよそ40万前後の信徒数であったといわれています。当時の人口が2700万程度であったこと、布教区域が近畿以西の西日本であることを考慮すれば、かなりの布教率といえましょう。ちなみに現在のキリスト教徒数は、カトリックが約45万人、プロテスタントが65万人といわれています。ここには、16世紀のキリシタンの活力の盛んな状況に比べ、近代化の尖兵たる宗教との自負をもっていた近代のキリスト教、特にプロテスタントの墜ちこんだ隘路を見ることが出来ます。それだけにイエズス会は己の世界、造物主たる創造主宰神Godをどのように説いたが問われましょう。

大日からデウスへ

 ザヴィエルの話は、上陸地鹿児島において、造物主である創造主宰神デウスを「大日」と説き、天地創造からキリストの誕生、生涯、復活、昇天を語ったがために、天竺からの新しい教え、仏教の一派とみなされました。この「大日」との訳語は、ザヴィエルが案内人ヤジロウに学んだことで、日本人の嘲笑をまねいたのです。「大日」なる用語は、密教でいう光明遍照、常住不在、衆徳全備であるものの、創造主宰神ではありえず、当時卑猥な隠語としても使われていたのでした。それだけにイエズス会士は、このような誤りを犯さないためにも、教理教会の用語の移植にあたり、体系的な哲学をもつ仏教語に学びながらも、教理の和約、とくにデウスの訳語に苦闘しました。
 デウスの訳語としては、当時ひろく使われていた「天尊」「天帝」「天命」「天道」のなかから、「天道」が採用され、キリシタンに広く用いられていきました。しかし「天道」には、キリシタンの教えに違和感をあたえることなく導く利点があるものの、デウスとその摂理が誤解される危険がありました。このことは、1603年に刊行された『日葡辞書』において、「天道」を次のように訳していることに読みとれます。

Tenno michi(天の道)天の道、すなわち、天の秩序と摂理と、すでに我々はデウス(Deos 神)をこの名で呼ぶのが普通であるけれども、ゼンチョ(getios異教徒)は上記の第一の意味[天の道]以上に考え及ぼしていたとは思われない。

 そして「天」については、

Ten(天)天空、また、書物の中では、「天道」と同じ意味で、天の秩序または運航と支配とを言う、ある人々は、この語[天道] によってデウス(神)、すなわち、天の支配者を表わすと理解しているようである。

 創造主宰神であるデウスを天道とすることは、天に想いを致す信仰として、大きな違和感なく日本人の心をとらえることが可能になりました。林羅山は、こうしたキリシタンの説法に対し、「儒教を盗んで天道を説いて酒の搾りかす吐くもの」と非難します。
 かつ、「天下は天下のまわり者」という戦国乱世の論理は、天道に認められた者こそが天下人になれるとの風潮にみられますように、時代人心を動かす意識でした。まさにこの意識、気分は、天道への信仰とみなされたキリシタンへの道を可能となし、人心を魅惑したのです。
 しかしデウスの世界は、天の秩序、運航を支配する天道理解だけでなく、愛と恩寵と救済が信仰の要でした。いわば訳語は、いかに類似なものを提示していようとも、この信仰的要義を充分に伝えるものと成り得なかったのです。ここにイエズス会は、可能な限り、日本の習俗への眼を大切にした順応策をとりながらも、信仰の要義にかかわる言葉を原音で表記し、イエスの福音を証することに努めました。すなわち創造主宰神はデウス、天国は「ごくらく(極楽)」でなくパライソ、霊魂はアニマ、恩寵はガラサ、祈祷はオラショ、誘惑はテンタサン、信仰はヒイデス、聖者はサントス等々。教会の組織的用語では仏教、とくに禅宗の用語を借用しながらも、信仰の内面にかかわるものはラテン語等の原音表記で日本の神仏の世界と異なる造物主である創造主宰神の世界の優位性を説いたのです。

「神神の微笑」に怯え

 Godの世界は、キリシタンの時代にデウスとして、その信仰の要義が日本に伝えられ、キリシタンの時代をもたらしました。そこでは、日本の神々と異なる唯一の創造主宰神たるデウスにつき、日本の世界に向き合い、日本人の心に引き寄せて信仰の在り方が語り聞かされておりました。その信仰の世界は、19世紀に来日したプロテスタントの宣教師以上に、日本という大地をみつめて説かれたものでした。しかしその歩みは、芥川龍之介がオルガンチィノを主人公にした作品『神神の微笑』で描かれていますように、日本という大地の営みに濾過され、信仰の要義を原音で表記することで堅持しようとした信仰世界すらも失いかねない闇に直面していました。キリシタンの宣教師は、19世紀の「文明の徒」プロテスタントと異なり、この日本の闇を直視し、原音にこだわることで信仰の証に努めましたが、「神神の微笑」に怯え、たじろぐ世界が待ち受けていたのです。南蛮寺の夕闇にたたずむオルガンティノの耳に老人がつぶやきます。

「泥烏須(デウス)も必ず勝つとは云われません。天主教(てんしゅきょう)はいくら弘まっても、必ず勝つとは云われません。」…「我々は木々の中にもいます。浅い水の流れにもいます。薔薇の花を渡る風にもいます。寺の壁に残る夕明りにもいます。どこにでも、またいつでもいます。御気をつけなさい。御気をつけなさい。」



参考文献

  • 土井・森田・長南編訳『邦訳日葡辞書』(岩波書店 1980年)
  • 『キリシタン書・排耶書』(日本思想体系25 岩波書店)