学び!と歴史

学び!と歴史

日本、日本人とは
2013.12.24
学び!と歴史 <Vol.69>
日本、日本人とは
大濱 徹也(おおはま・てつや)

何故、声高に日本が語られるの

 安部総理は、「我が国の平和と安全のため」「我が国の経済の発展のため」「我が国の国際競争力のため」に、「長い歴史と固有の文化を持つ日本国」「今や国際社会に重要な地位を占めている我が国」の固有性を宣揚し、「美しい国」日本を何かにつけ声高に説いています。ここに宣揚される「日本人」「日本国」とは何なのでしょうか。施政方針は、世界に冠たる日本になるべきだとのとの強い決意を宣言していますものの、日本について何一つ具体的に語っていません。しかしその思いは、日本国憲法が占領軍によってつくられたものとなし、天皇を元首と戴く国になるべきだ、との主張を読み解けば、「美しい国」日本の原像を大日本帝国憲法下の日本に求めているようです。
 ここで問われるべきは現在語り説かれている「日本」「日本国」とは何なのかを検証する作業です。国家は、その存在をおびやかす他者、他国を意識したとき、自己の存在を強く主張することで国民をとりこもうとします。その風潮は、ナショナリズムを増幅させ、過剰なまでに日本人であること、世界に向かい日本の優位性を説くことをうながします。このような時代の気分に流される前に、日本とか、日本人とは如何なるものとみられていたかを、他者の眼で読み解き、己の場を確かめることが求められているのではないでしょうか。

アレシャンドゥロ・ヴァリニャーノがとらえた日本

 そこで16世紀、西洋世界と出会ったとき、日本、日本人はどのように紹介されたかを、アレシャンドゥロ・ヴァリニャーノの眼がとらえた世界から学ぶこととします。ヴァリニャーノは、イエズス会の東アジア巡察師として、その巡察区域でもっとも遠隔の地日本に1579年7月上陸、1582年2月までの2年余、日本の布教状況を巡察しました。この巡察の成果は、在日イエズス会員に日本社会へ順応した布教をうながし、16世紀を「キリシタンの時代」といわれるような状況をもたらすこととなりました。
 この巡察報告書は、1583年10月28日付けで、「日本諸事要録」として提出されました。その第1章は、「日本の風習、性格、その他の記述」として、日本の国の在り方、その国民性等々について紹介したものです。そこでは、冒頭に「日本は66カ国に分かれた多数の島嶼から成る地方」と紹介し、そこの住民と国土を次のように述べています。

 人々はいずれも色白く、きわめて礼儀正しい。一般庶民や労働者でもその社会では驚嘆すべき礼節をもって上品に育てられ、あたかも宮廷の使用人のように見受けられる。この点においては、東洋の他の諸民族のみならず、我等ヨーロッパ人よりも優れている。
 国民は有能で、秀でた理解力を有し、子供達は我等の学問や規律をすべてよく学びとり、ヨーロッパの子供達よりも、はるかに容易に、かつ短期間に我等の言葉で読み書きすることを覚える。また下層の人々の間にも、我等ヨーロッパ人の間に見受けられる粗暴や無能力ということがなく、一般にみな優れた理解力を有し、上品に育てられ、仕事に熟達している。
 国土は、ある地方では彼等の主食である米を産し、また麦もとれるが、他の地方は不毛の山岳地帯となっている。一般的に言って日本の不毛と貧困さは東洋全域で最もはなはだしい。というのは、ポルトガル人が支那から彼等のもとに齎し、彼等が衣類として用いる絹のほかには、ほとんど商品らしいものは何もないからである。牧畜も行なわれず、土地を利用するなんらの産業もなく、彼等の生活を保つ僅かの米があるのみである。したがって一般には庶民も貴族もきわめて貧困である。ただし彼等の間では、貧困は恥辱とは考えられていないし、ある場合には、彼等は貧しくとも清潔にして鄭重に待遇されるので、貧困は他人の目につかないのである。貴人は大いに尊敬され、一般にはその身分と地位に従って多数の従者を伴っている。
 日本人の家屋は、板や藁で覆われた木造で、はなはだ清潔でゆとりがあり、技術は精巧である。屋内にはどこもコルクのような畳が敷かれているので、きわめて清潔であり、調和が保たれている。
 日本人は、全世界で最も面目と名誉を重んずる国民であると思われる。すなわち、彼等は侮蔑的な言辞は言うまでもなく、怒りを含んだ言葉を堪えることができない。したがって、もっとも下級の職人や農夫と語る時でも我等は礼節を尽くさねばならない。さもなくば、彼等はその無礼な言葉を堪え忍ぶことができず、その職から得られる収入にもかかわらず、その職を放棄するか、さらに不利であっても別の職に就いてしまう。

 生活の貧しさが語られていますが、その貧しさには、衣食住にみられる暮らしのかたちである文化の差異がもたらしたものといえましょう。イエズス会の学校で学ぶ子供たちへの高い評価は後の少年使節派遣につながるものです。ここで感歎をもって語られている礼節と忍耐力は、「感情を表わすことにはなはだ慎み深く、胸中に抱く感情を外部に示さず、憤怒の情を抑制しているので、怒りを発することは稀である」「いかなる者も柔和で忍耐強く、秀でた性格を有するように見えるのであり、この点において、日本人が他の人々より優秀であることは否定し得ない」と、日本人への高い評価につながります。しかし日本人の無表情は、現在でも指摘されているものですが、日本人の「不気味」さとみなされるものにほかなりません。この「美徳」の裏には理解しがたい悪徳がひそんでいました。

「新奇な風俗」とみなされた悪徳

 日本人は、「非常に優れた風習や天性を具有し、それによって、世界のもっとも高尚で思慮があり、良く教育された国民に匹敵しながら、一方悪い面を有し、この点ではそれ以下がないほど悪い」として、下記の諸点が糾弾されています。

1)色欲上の罪に耽ること。なかでも「口にするに堪えない」として、「衆道」などとのいわれた男子の同性愛、男色の営みが公然としていること。
2)主君に対する忠誠心の欠如、「血族や味方同士の間で、数多の殺戮と裏切行為が繰り返される」こと。ここには、下剋上の世がもたらした社会の気風、戦国争乱を生き抜く作法が世の習いとなっていることが読みとれましょう。
3)「偽りの教義」、正しい信仰を身につけていないがために欺瞞と虚構が満ちており、嘘を平然と語り、陰険に偽り装うことを怪しまないこと。嘘も方便とみなす世渡りの作法。
4)性格は、残忍にして、軽々しく人間を殺すこと。ここでは、民家を焼き、民衆を殺戮していく戦乱のならいのみならず、敵とみなせばきり殺すことを当然視し、母親の子殺し等々が言及されています。
5)飲酒、祝祭、饗宴に耽溺することに多くの時間を消費し、幾晩も夜を徹すること。

 ここにあげられた日本人の悪徳は、礼節、忍耐等々と語られている「美徳」の裏にあるもので、現在の日本人も共有していることといえましょう。ここで指摘された残酷な処刑の作法は、現在も中国、韓国から日本の「歴史認識」として問い質されている日本人像に重ねて、読みとられることにもなりましょう。それだけに「美しい国」などという言葉に幻惑されることなく、イエズス会が共有したいと思った世界から日本をとらえなおしたいものです。すでに「ルイス・フロイスが見た日本」(Vol.28Vol.29)で描きましたが、いましばらく日本、日本人とは何かを問い質していくこととします。



参考文献

  • ヴァリニャーノ、松田毅一他訳『日本巡察記』(東洋文庫229) 平凡社 1973年