読み物プラス

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日常に芸術を
2013.11.28
読み物プラス <Vol.03>
日常に芸術を
学びと教育の明日を考える
前文化庁長官 近藤誠一

 文化庁長官の任を退き,しばらくのんびりするつもりが,講演や取材依頼など予定は年末までギッシリだと苦笑する近藤誠一さん。そんな多忙極める近藤さんに,富士山の世界文化遺産登録の際にも発揮された外交手腕についてはもちろんのこと,芸術の担う役割や昨今の美術・社会科教育に至るまで,忌憚なく語っていただいた。その模様を2回に分けてお届けする。

心が豊かになる瞬間

 「先日,新幹線で移動する際に,赤ちゃんを抱く若い母親と隣り合わせました。にぎやかな道中になるだろうかと身構えたところで,不意にその母子と上村松園の『母子』とが重なって見えた。もちろん,母親が着物姿だったわけでも,ましてや髪を結っていたわけでもありません。赤ちゃんを慈しむ母親の穏やかな表情が,昭和初期から平成へ,時代を超えてつながって見えたのです」
 『母子』を知らず,脳裏に浮かばなければ,近藤さんは身構えたままの車中となったかもしれない。いつの世も変わらない子を思う母の佇まいが,近藤さんの心に温かい火を灯したのだ。“ 芸術は人生を豊かにする”とはよく言われる言葉だが,こうした瞬間にこそ“豊かさ”が潜んでいる。
 「今,学校現場では,図画工作や美術の授業時間は減る一方です。英語や数学などの比重が高まり,芸術に触れる機会が減っている。そんな状況だからこそ,むしろ積極的に芸術に触れる時間を作るようにしてほしいと思いますね。家庭でも気軽に芸術の話ができるように,親も普段から芸術に接する機会を持つようにするといい。幸い,テレビやインターネット,雑誌やCDなど,芸術を取り扱うメディアは私たちの身の回りにあふれていますからね」

芸術が内包する力

 芸術とひとくちに言っても,その内容はさまざまだ。詩や小説などの文芸,絵画やデザイン,写真,映像,建築などの美術,音楽や書道など多岐にわたる。マンガやアニメも芸術だ。
 「私も昔は,マンガやアニメなどに眉をひそめる大人でした。初めてしっかりとアニメを見たのは,娘とフランスで見た『千と千尋の神隠し』でしたね」
 映像が醸し出す日本の空気感と,文芸の素晴らしさ。近藤さんの中で凝り固まっていたアニメに対する偏見は,ふわりと溶けて消えた。そして,国外で初めて肌で感じた,日本のマンガやアニメに対する熱狂。
 「日本語は“感性の言語”です。一方,フランス語は“理論の言語”の最たるものと言えるでしょう。そんな理論派のフランス人が,日本のマンガやアニメを通して,日本人特有のあいまいでわかりにくい自然観や思想を理解し,価値観を共有している。これはすごいツールだと目からウロコが落ちる思いでした」
 固定観念や常識から自由になれる。感動を分かち合い,社会を変える力になる。それが芸術の内包する力だと近藤さんは言う。表現することでコミュニケーションが生まれ,互いを高め合い,才能を認められることで自己を肯定し,生きる意欲にもつながっていく。
 「日本には才能ある人が多く,文化財も多数存在し,成熟した文化を抱えています。しかし教育現場では芸術を学ぶ時間が減っているように,一人ひとりの才能を磨く場が少なく,そもそもその才能に気付かない。また文化財に触れたり,学んだりする機会もシステムも不十分です。せっかく外国人も感嘆する文化芸術をはぐくんできたのですから,国際的な競争力としてもっと活用していくべきですよね」

→「まなびとプラス 日常に芸術を」全編は、当サイトの機関誌・教育情報「まなびとプラス」にて公開中です!

近藤誠一
1946年神奈川県逗子市に生まれる。1971年東京大学教養学部教養学科イギリス科を卒業。同年東大大学院法学政治学研究科に進むが,在籍中に外務公務員採用上級試験に合格。1972年大学院を中退し外務省に入省。1973~1975年イギリス・オックスフォード大学に留学。広報文化交流部長を経て,2006~2008年ユネスコ日本政府代表部特命全権大使。2008年9月より駐デンマーク特命全権大使。2010年7月30日,文化庁長官に就任。2013年7月8日に退官。著書に『ミネルヴァのふくろうと明日の日本』『外交官のア・ラ・カルト』など。