読み物プラス

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人と人を結ぶ
2013.12.25
読み物プラス <Vol.05>
人と人を結ぶ
学びと教育の明日を考える
前文化庁長官 近藤誠一

 「三保松原逆転登録」の立役者として,その名を広く報じられた前文化庁長官の近藤誠一さん。今年7月に退官したのちも,世界遺産に関する取材や交渉術に関する講演など依頼が相次ぎ,身を休めるヒマがないという。「登録決定後,三保松原へは何度か足を運んだものの,未だ富士山を拝めてないんですよ」と笑う近藤さんに,あらためて世界遺産の価値とは何か,外交に必要とされるものとは何かを伺った。

世界に認められた美意識

 2013年6月,富士山の世界文化遺産登録が決まった。事前に国際記念物遺跡会議(イコモス)から「除外すべき」と勧告を受けていた三保松原が構成資産のひとつとして認められたことを受けて,逆転劇と大きく報じられた。当時,文化庁長官として世界遺産委員会に出席していた近藤さんが,その立役者として多数のメディアに取り上げられたことは記憶に新しい。
 「富士山は,ヨーロッパの印象派に大きな影響を与えた広重や北斎の浮世絵をはじめ,日本人を触媒に素晴らしい文化芸術を生み出してきました。その価値が認められたということは,日本人の美意識が世界に認められたということにほかなりません」
 いにしえから脈々と受け継がれてきた日本人特有の自然観や思想を脇に追いやり,経済第一で急成長を遂げた近代日本。その勢いが失われ停滞している現代において,日本人はよりどころを失い,自信をなくして うつむいている。そんな中,日本人の心の象徴とも言うべき富士山が世界遺産として登録されたことは,自然と共に生きてきた日本人の誇りを回復するきっかけになるのではないかと近藤さんは語る。
 「世界遺産としての正式な登録名は『富士山-信仰の対象と芸術の源泉』です。自然遺産ではなく文化遺産。『顕著な普遍的価値を有する出来事(行事),生きた伝統,思想,信仰,芸術的作品,あるいは文学的作品と直接または実質的関連がある』という世界遺産条約の下にある登録基準(vi)が登録への足掛かりでした。富士山が日本人に与えている影響という,目に見えにくい,明文化しにくい価値観を委員国の方々に認めてもらうには,やはり武器と戦略が必要です」

人と人との長期的な“つながり”

 近藤さんが外交官時代を含めて築き上げてきた人脈が,ロビー活動の武器となった。近藤さんはまず世界遺産委員会の権威4人と接触し戦略を練り,イコモスの勧告を尊重すべきとする「最も厳しい国」の委員と会食。三保松原と富士山の関係性を説明し,三保松原を構成資産に含めることに対して「反対しない」という言質を取り付けた。
 「幸い,最初に接触した4人も,厳しいと見られていた国の委員も,それぞれ知己の仲でした。あらゆる分野の人と付き合い,普段から貸しを作り,借りを返し,国を超えて人間同士として付き合い,信頼を得ていく。ほとんどムダのように思えるけれども,いざというときに強力な後ろ盾となる。これが外交力です」
 最も厳しい国が態度を軟化させたことで,他国との折衝が格段にラクになったと近藤さん。
 「結局,最後は長期的な人間関係がものを言います。人間関係を長続きさせるには,時間と,手間と,少しのお金が必要です。これは外交に限った話ではなく,一般的な人間関係においても同様ですよね。相手のことを知りもしないのに,お願いだけ押し付けても聞き入れてくれるわけがありません」
 ただし,と近藤さんは言葉をつなぐ。
 「いくら気心知れた仲だと言っても,外国人に“ 目に見えない価値”を理解してもらうのはとても難しいことです。世界遺産は基本的に物的証拠が第一。今後,登録を目指すものについては,その基本をあらためて押さえていくべきでしょうね」

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近藤誠一
1946年神奈川県逗子市に生まれる。1971年東京大学教養学部教養学科イギリス科を卒業。同年東大大学院法学政治学研究科に進むが,在籍中に外務公務員採用上級試験に合格。1972年大学院を中退し外務省に入省。1973~1975年イギリス・オックスフォード大学に留学。広報文化交流部長を経て,2006~2008年ユネスコ日本政府代表部特命全権大使。2008年9月より駐デンマーク特命全権大使。2010年7月30日,文化庁長官に就任。2013年7月8日に退官。著書に『ミネルヴァのふくろうと明日の日本』『外交官のア・ラ・カルト』など。