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障がいを乗り越えたスポーツの魅力
2013.12.06
生活&総合navi(生活・総合) <Vol.66>
障がいを乗り越えたスポーツの魅力
い~め~る より
土田和歌子

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 幼少期は人前に出ることが苦手で引っ込み思案なところがありました。小学校3年のあるとき,担任の先生に作文を書いて褒められたのです。それをきっかけに自信をつけていき,人前に出ることも比較的できるようになりました。自分に秘められている潜在能力を引き出してもらえた瞬間でした。
 高校2年のとき,交通事故で脊髄損傷という下肢障がいを負います。医者から「明日からは歩けないよ」と宣告されたときは,ショックで立ち直れませんでした。しかし,脊髄を損傷した人が社会復帰するための病院に入院したことが,後に私の心に変化をもたらします。寝たきりの病室からふっと廊下を見ると,カラフルな車いすに乗った患者さんがさっそうと駆け抜けている姿があるのです。それを見ているうちに,「早く私もああいう車いすに乗ってもとの生活を取り戻したい」と思ったのです。それが障がいを受け入れられるきっかけでした。
 時は1998年,オリンピック,パラリンピックの自国開催が決まり,アイススレッジスピードスケートという日本に歴史のない競技が,選手の発掘のために長野で講習会を開いたのです。その講習会に遊び心で参加しました。リンクでクルクル回っていると,その姿をノルウェーから来た講師が見て,「3か月後のリレハンメルパラリンピックに出てみないか」と声をかけてきたのです。そこから私は障がい者スポーツにのめり込んでいき,もっと上達したい,向上したいという気持ちになっていきました。
 現在,車いす陸上競技をしていますが,汗をかいて,そして爽快感を得て,また次に向けてのモチベーションにつなげていける,それがスポーツであるとも思っています。そういう意味で私が走っている姿を見て,車いす競技の魅力というものを感じていただければ,選手としてはこのうえない喜びです。
 最近,子どもが小学校に通い始めました。自分自身,怒られて闘争心を燃やすというよりも褒められて自信をつけてきたタイプでした。小学校のときはやはり褒められて自信をつけていくほうが,子どもにとってプラスの影響が多い気がします。先生方には,是非その子のよいところを伸ばしていただけたらと思います。


土田和歌子

土田和歌子

東京都清瀬市生まれ。
パラリンピックにおいて,日本人初の夏冬金メダリスト。
1993年,日本で最初にアイススレッジスピードスケートを始める。
リレハンメル,長野の両パラリンピックに出場。
その後,アイススレッジスピードスケートが廃止されてからは,車いす陸上競技に転向し,シドニーから四大会連続でパラリンピックに出場。
現在は,2016年のリオデジャネイロパラリンピックに向け,活動中。