学び!と歴史

学び!と歴史

日本という国のかたち(1)
2014.01.31
学び!と歴史 <Vol.71>
日本という国のかたち(1)
大濱 徹也(おおはま・てつや)

「日本国」への眼

看板に記載してある内容は、諸説あるうちのひとつです。

 安倍総理が口にする「長い歴史と固有の文化を持つ日本国」「美しい国」日本とはどのような国家の在り方を問い語っているのでしょうか。具体的には何もありません。
 己の存在する場を確認しようとの営みは、その存在が脅かされるとき、危機感にうながされての発動です。現在、このような問いかけが何か意味を持つように思われるのは、経済の停滞で「経済大国」日本が失速し、国際的地位の低下に加え、韓国や中国との島嶼の帰属をめぐる紛争、北方領土返還等々、閉塞感に覆われている日本の状況を「国家の危機」と提示することで、強きナショナリズムを鼓舞していこうとの政治の作法がなりふりかまわず表出していることによります。
 ここに表出してくる国家に寄せる強き想い、ナショナリズムという気分は、19世紀半ば以降、鎖国下で「徳川の平和」を謳歌していた日本にとり、西洋諸国の蒸気船の来航がもたらした衝撃が日本への眼を開かせる時代と重ねて読み解くと、「美しい国」なる言説に秘められた世界がみえてきます。黒船来航がもたらした衝撃は、会沢安が1824年5月のイギリス船常陸大津浜来航への衝撃から執筆し、翌25年に脱稿した『新論』、27年に松平定信に謹呈された頼山陽の『日本外史』、攘夷決行の空気を一身にうけて61年(文久元)に書き上げられた竹尾正胤の『大帝国論』等々が描いていますように、日本という国のかたちが問い質され、ひとつの国家像が提示され、明治維新への奔流を生み出す原動力となったものです。そこで日本が世界に冠たる「大帝国」であることを説いた『大帝国論』を読むこととします。

竹尾正胤とその時代

 竹尾正胤は、三河国舞木、現愛知県岡崎市の山中八幡宮の社司で、平田篤胤の没後門人の一人です。その著『大帝国論』は、文久元年3月18日に書き上げ、同3年12月に再訂され、世に問われたものです。この文久3年は、京都の朝廷が江戸の将軍に攘夷をせまり、政治の舞台に登場してくる大きな足場を築いた年にあたり、京都と江戸がヘゲモニーをめぐり火花を飛ばし、攘夷から討幕への転換期ともいえる年です。その動きは、
 3月11日 孝明天皇、攘夷祈願で賀茂神社に行幸、将軍も随從
 4月11日 石清水社へ行幸、将軍病気を理由に従わず
 4月20日 将軍、天皇の強い意向に逆らえず、5月10日を攘夷決行の日と奉答
 5月10日 長州藩、攘夷決行の証として、下関海峡を通過するアメリカ商船を砲撃、
 23日、フランス艦、26日、オランダ艦を各砲撃(下関事件)
 6月 英・米・仏・蘭の4国連合艦隊、下関砲台を攻撃、占拠
 7月2日 イギリス艦隊、鹿児島湾で薩摩の城下を攻撃(薩英戦争)
 8月17日 元侍従中山忠光らが大和五条に挙兵(天誅組の乱)
 18日 公武合体派が朝廷より攘夷派追放、19日、三条実美ら7公卿、長州に逃亡
と激しい権力闘争の渦中に読みとることが出来ます。この状況下、平田門の国学者は、篤胤の古史伝上木の募金に託し、攘夷祈願に重ねた御一新をめざすオルグ活動を展開しております。竹尾は、このような時代の気分を一身に受け止め、日本とは如何なる国かを確かめるべく、『大帝国論』を著したのです。

日本が世界唯一の「大帝国」たる根拠

 『大帝国論』は、世界史の中に日本国を位置づけることで、日本が冠たる大帝国であることを論じたものです。この歴史書は、ノアの箱舟にみられる聖書物語にはじまり、ギリシャから、皇帝暗殺に明け暮れる下剋上のローマ史を描き、ヨーロッパの王朝交代史を延々と述べることで、日本が帝国のなかの唯一正統な帝国たることを論証しようとした世界史といえます。その冒頭には竹尾の思いが端的に表明されています。

 凡斯一地球の中にて、西夷等が帝国と称する国六あり。所謂亜細亜洲にて、皇国・支那・欧邏巴(ヨウロッパ)洲にて、独逸(ドイツ)・都児格(トルコ)・魯西亜(ロシア)・仏蘭西(フランス)すなわち右の六国にて、其外は、王侯、或は共和政治の国柄なれば、英吉利(イギリス)国の如は、近来万国に縦横して、兵威甚盛なりと云ども、未帝国の号を云ず、其他は、大概これに擬て知るべきなり。

 ここには、帝国といえる国が皇国日本をふくめ6カ国、他に王国、共和国があり、イギリスが軍事力で世界に覇を誇示しているものの帝国を呼称しえない国であると、世界各国の状況を提示しています。さらに6帝国は、西洋人が選んだ「正統の帝国」とはいえ、「大皇国」たる日本だけが全世界で唯一の「大帝爵国」で、支那、独逸、都児格、魯西亜、仏蘭西が帝国を勝手に名乗る「偽帝国」にすぎないと。日本が世界の唯一の大帝国であるのは、万世一系の皇統の国で、天皇が地球上における唯一つの大君主であるからだと。
 日本が「大帝爵国」であるのは、各国が王位簒奪の歴史であるのに対し、「神代以来万古に貫て、日月と共に明光を並て栄させ給ふ其美事を主張」する「天皇命」の国、万世一系の国であるからにほかなりません。ここに『大帝国論』は、各国の王位簒奪の歴史を詳述し、「我皇国は万世一系の天統」であることを強調し、万世一系の皇国たることを説き聞かせたのです。ここには、圧倒的な軍事力を誇示して迫る欧米列強の圧力に対し、皇国日本をよりどころに、己が存在する場を万世一系の皇統への信仰に求め、その存在を確かめている姿がうかがえます。
 この日本像こそは、万世一系の皇統への信仰にうながされるまま、現在も語り説かれる「長い歴史と固有の文化を持つ日本国」「美しい国」日本の原像にほかなりません。このような国のかたちこそは、神国日本の残映であることを問い質すことなく、現在まさに求められ、明日の日本像として理想化されている日本という国のかたちのようです。

 

参考文献

  • 芳賀・松本編『国学運動の思想』日本思想体系51 岩波書店 1971年
  • 大濱『天皇と日本の近代』同成社 2010年