学び!と歴史

学び!と歴史

日本という国のかたち(2)
2014.02.07
学び!と歴史 <Vol.72>
日本という国のかたち(2)
大濱 徹也(おおはま・てつや)

「平民国」日本へのまなざし

 日本は、世界に数ある帝国のなかで、地球上における唯一つの大君主である天皇を戴く「大帝爵国」と自称し、他の「帝国」を「偽帝国」とみなし、「大皇国」であることに存在の根拠を主張することで、万国が対峙し、世界制覇を競う国際社会に登場していきます。明治維新は、「大皇国」日本を実現すべく、皇室の下に民心を結集することで、欧米列強の圧力に抗しうる国家をめざした革命です。
 革命の主体勢力であった薩長藩閥勢力は、国家独立のために人民の権利よりも権力の確立強化を優先したがために、人民の政治参加こそが国権確立に欠かせないと説く自由民権を主張する在野勢力と激しく対立します。この国権と民権の対立抗争する時代を凝視し、「将来の日本」像を1886年(明治19)に提示したのが徳富蘇峰でした。徳富蘇峰の『将来之日本』は、89年の大日本帝国憲法発布、90年の国会開設を前にした時代の声に応じ、国家のあるべき姿を「平民的の社会」の実現に見いだすことで、知識青年に歓迎されたベストセラー作品です。

 吾人はわが皇室の尊栄と安寧とを保ちたまわんを欲し、わが国家の隆盛ならんことを欲し、わが政府の鞏保ならんことを欲するものなり。これを欲するの至情に至りては、あえて天下人士の後にあらざることを信ず。然れども国民なるものは実に茅屋の中に住する者に存し、もしこの国民にして安寧と自由と幸福とを得ざる時においては国家は一日も存在するあたわざるを信ずるなり。しかしてわが茅屋の中に住する人民をして、この恩沢に浴せしむるは実にわが社会をして生産的の社会たらしめ、その必然の結果たる平民的の社会たらしむるにあることを信ずるなり。すなわち我邦をして平和主義を採り、もって商業国たらしめ平民国たらしむるは実にわが国家の生活を保ち、皇室の尊栄も、国家の威勢も、政府の鞏固も、もって遥々たる将来に維持するのもっとも善き手段にして、国家将来の大経綸なるものは、ただこの一手段を実践するにあるを信ずるなり。

 蘇峰は、皇室の尊栄と安寧も保つためにも、「平和主義」にもとづく「商業国」「平民国」を将来の日本像として提示しております。そこでは、「茅屋の中に住する者」たる国民の安寧・自由・幸福を保証する国家の在り方を、「商業国」「平民国」「生産的の社会」―産業資本主義に立脚するブルジョワデモクラシーの国とみなそうとしています。この言説は、未だ資本主義の激烈な競争場裏を目の当たりしていないなかで、牧歌的な響きで語られたものといえましょう。しかし日本の現実は、欧米列強との苛烈な競争に立ち向かい、国家富強の道を歩まねばなりませんでした。そのため「茅屋の中に住する者」たる「平民」には国家富強の捨て石となることが求められていたのです。

一国富強への道

 政府は、「皇室の尊栄と安寧も保つ」ためのに、蘇峰が提示した世界ではなく、一国富強をめざすドラスチックな方策を選択しました。その方策は、開化の風浪に奔流されていた教育を再構築することで、茅屋の民たる国民を国家の民となし、一国富強の担い手とすることです。ここに教育では、「万国和親」の下で「万国史略」、世界史を講じていた教育を否定し、1881年(明治14)の小学校教則綱領、小学校教員心得で尊皇愛国の精神に貫かれた「熟練」「懇切」「黽勉」という徳の養成をかかげ、「尊皇愛国の志気を振興し忠孝節義の風尚を涵養せんことを要す」ことが歴史教育に求められました。
 初代文部大臣森有礼は、1889年1月28日に直轄学校長に「諸学校を維持するも畢竟国家の為なり」「学政上に於ては生徒其人の為にするに非ずして国家の為にすることを始終記憶せざるべからず」と説示し、閣議にはかった意見書で「今夫国の品位をして進んで列国の際に対立し以て永遠の偉業を固くせんと欲せば国民の志気を培養発達するを以て其根本と為さゝることを得ず」、と国家の教育目的を次のように述べています。

 今は文明の風駸々として行われ、日用百般の事物漸く変遷し進む。然るに我が国民の志気果して能く錬養陶成する所ありて、難きに堪え苦を忍び、前途永遠の重任を負担するに足る歟。二十年の進歩は果して真確精醇深く人心に涵漸し、以て立国の本を鞏固ならしむるに足る歟。加ふるに我國中古以来文武の業に従い躬国事に任ずるは偏に士族の専有する所たり。而して今に至り開進の運動を主持する者僅かに国民の一部分に止まり、其他多数の人民は或は茫然として立国の何たるを解せざる者多し。
 顧みるに我国万世一王天地と共に極限なく上古以来威武の輝く所未だ曾て一たひも外国の屈辱を受けたることあらず。而して人民護国の精神忠武恭順の風は祖宗以来の漸磨の陶冶する所未た地に墜るに至らす。是即ち一国富強の基を成すか為に無二の資本至大の宝庫にして、以て人民の品性を進め教育の準的を達するに於て他に求むることを仮らさるべき者なり。蓋国民をして忠君愛国の気に篤く、品性堅定志操純一にして、人々怯弱を恥ち屈辱を悪むことを知り、深く骨髄に入らしめは、精神の嚮ふ所万波一注以て久しきに耐ゆべく、以て難きを忍ぶべく、以て協力同志して事業を興すべし。督責を待たずして学を力め智を研き、一国の文明を進むる者此気力なり。生産に労働して富源を開発する者此気力なり。生産に労働して富源を開発する者此気力なり。凡そ万般の障碍を芟除して国運の進歩を迅速ならしむる者総て此気力に倚らざるはなし。長者は此気力を以て之を幼者に授け、父祖は此気力を以て之を子孫に伝え、人々相承け家々相化し、一国の気風一定して永久動かすべからざるに至らば国本強固ならざるを欲すとも得べからざるべし。

 ここに日本の教育は、「万世一王」、万世一系の皇国の民たる気力を鼓舞することで、生産に労働に励む国家の民を育成することを至上の価値としたのです。この国家至上の教育は、蘇峰の思いとは逆に、「茅屋の民」をして国家躍進の捨て石、皇国の埋め草にすることでもありました。まさに「大皇国」の民は、「民草」にふさわしく、国家の風になびく草として生かされたのです。この国家至上の教育を支えるものとして期待されたのが教育勅語でした。まさに教育勅語は、「維新以来教育之主旨定まらす国民之方向殆んと支離滅裂に至らんとする」状況に対し、森がめざした教育を具体化したものにほかなりません。
 このような国の在り方は、根源的に問い質されることなく、愛国心教育の欠落をことさらに説く昨今の風潮に重ねてみると、未だ日本の大地に深くねざす遺伝子として日本人の心を呪縛しているのではないでしょうか。

 

参考文献

  • 『ナショナリズム』現代日本思想体系4 筑摩書房 1964年
  • 『学制百年史』 文部省 1972年