学び!と歴史

学び!と歴史

国語読本にみる日本と日本人
2014.03.17
学び!と歴史 <Vol.74>
国語読本にみる日本と日本人
日本という国のかたち(4)
大濱 徹也(おおはま・てつや)

「日本国」という世界

 明治期に刊行された国語の教科書は、文学教育よりも、国民道徳の涵養をはかるものでした。金港堂版『尋常国語読本』は、1900年(明治33)7月の小学校令、同施行規則のもとづく検定教科書ですが、日清戦争の勝利による国家意識を小学生に根付かせるべく、日本という国の姿を空間的に説くのみならず、天皇の国であることを説き聞かせています。小学2年生には、戦勝がもたらした日本国の地理的範囲とともに、万世一系の天皇の民である喜びと務めが教え、日本国民であることを自覚させます

我が日の下は、あじやなる、太平洋の其の中に、大き小さきうちまじり、斜にわたる島つ国。
さて其の中のおもなるは、五大島とて、五つあり。
其の第一は、本土にて、四国・九州・台湾は、西と南に立ち並び、北海道は、北にあり。
小島の数は多けれど、其の中殊に、名高きは、千島・佐渡・隠岐・壱岐・対馬、さては琉球・澎湖島。
其の道のりを南より、北のはてまでかぞふれば、一千里にもあまるべし。
土地の分ちは昔より、地勢によりてさだめたり。
京都もよりを畿内とし、東と北は、東海道、東山・北陸・北海道、西と南は、南海道、山陰・山陽・西海道、国の総数八十四、人口凡そ4千万、是に琉球台湾の、土地と人とをくはふれば、たやすくかぞへつくされず。
上は万世一系の、たふとき 天皇ましまして、民をみること子のごとし。
民はそれそれなりはひをつとめはげみて、一すぢに、忠と孝とをつくすなり。
げにたふときは日の本ぞ。

 日本国民は、万世一系の天皇の子である「臣民」として、各人に相応しい生業に励み、忠孝を尽くさねばならない存在なのだと教え諭されたのです。この天皇が統治する国の由来は、天孫降臨の物語を、小学3年生の第1課「我が國の昔話」として語り聞かせています。

昔話という問いかけ

 「我が國の昔話」は、古事記が「邇邇藝命(ににぎのみこと)に科詔(おほ)せて、此の豊葦原水穂国(とよあしはらみづほのくに)は、汝知(みまししら)さむ国なり、と言依(ことよ)さし賜ふ」と描きだした世界を、日向高千穂への降臨、神武天皇の東征と即位、皇位継承の証である三種の神器をめぐる天孫降臨、神武東征が物語る日本のことはじめを、神話的潤色もなく、「古き昔」のこととして簡潔に述べています。
 ついで国土平定を第2課、3課「日本武尊(やまとたけるのみこと)」で説き、この日本に現在知ろしめす「今上天皇陛下並に 皇后陛下の御盛徳」を第16課「皇恩」として語り聞かせます。そこでは、明治天皇が1873年(明治6)の宮城火災後に「国事多端」として御所の造営をいそがなかったこと、皇后が「不孝の民をめぐみ」学校、病院に足を運ばれた事績を紹介し、「あはれ我等国民は、かくばかり大いなる皇恩の下に月日をおくれり、さらばいかにして其の万分の一をだにむくい奉るべき、ただ身を修め業をはげみて、君の御心を安んじたてまつるべきなり。」と、「皇恩」をことほぎました。

美しき国日本の虚実

 最終学年の4年生では、「大和めぐり」「藤原鎌足」「伊勢まゐり」と皇室の故地と権威を確立していく世界を述べて後に、巻7の第4課「日本の美風」で天皇が営む祭りにかさねて先祖祭祀の意味を説きます。まさに祖先教は、日本の美風とみなされ、皇国日本の国のかたちを巻8の第1課「我が國」で「気候温和に土地肥えて、五穀善くみのる」「瑞穂の国」の美しい姿として、次のように確認します。

此の国をすべ治め給ふは、万世一系の 天皇なり。天皇の御血筋は、国の初より今に至るまでつづきつづきてしばしもたえたることなし。古き昔はさておき神武天皇より数ふるも、今に至るまで、御代を重ぬること百二十二代、年をふること二千五百余年の久しきに及べり。
此の間、世々の天皇は、皆御徳盛にましまして、ひとへに臣民の幸福を進め、苦難を除くことを務めさせ給ひ、臣民も亦其の恩沢に感じて、忠義を励み、善く事へまつり来りければ、世の中、大方おだやかにして、異国にはなき程の事なりき。
かかるめでたき国に生まれ来たる我等の幸は、実に大なりと云ふべし。されば我等は、皆々よく心を会はせて、国勢の益々盛ならんことをはかり、皇運のいよいよ栄えまさんことをいのるべきなり。

 瑞穂の国日本は、万世一系の天皇の威徳により、国勢盛んにして、美しい国とみなされました。そして「明治の御代」を「国の威光を世界にかがやかし」「日本の為めに利益を増し、武威を増し、名誉を増した」「めでたき御代」と寿ぎます。ここに国民は、「臣民」として、天皇の恩沢に報ゆるべく忠義に励み、己の生業に務めることが課されたのです。
さらに高等科では、「臣民」たる義務をおりにふれて説き聞かせ、現在の6年生に相当する学年を終えるにあたり、あらためて「国の名誉」を確認させております。この「国の名誉」は、「政体の美」を温和な気候と日本三景、吉野の櫻、田子の浦等々の「風景の美」に重ね、「千百年の美観旧蹟」で「日本帝国の名は、世界に鳴り渡れり」と、政体と自然を一体にすることで世界に冠たる日本を誇り、「愛国」の業を言挙げしてやみません。

夫れ勇壮義烈にして、身命を軽んじ、国家を重んじ、一歩も敵国に譲らざるは、是、事ある時の愛国なり。快活にして毫も猜疑の心なく、外人を遇すること親切なるは、是平和なる時の愛国なり。此の二つのもの若し一を缺く時は、気候風土も恃むに足らず、美観旧蹟も誇るに足らず。国の名誉の亡びんこと、踵を回らすを待たざるなり。
今や吾が国民は、幸に此の二つのものを兼ね有てり。諸子此の美風を継続して墜すことなくば、日本帝国の名誉は、千秋万歳永く世界に輝くべし。

 昨今声高に説かれる「美しい国」日本という言説は、1900年初頭、日清戦争勝利の昂揚感にうながされ、万世一系の皇統の国日本への「愛国心」をうながし、「臣民」たる国民の育成をめざす声をよびもどそうとするもののようです。思うにユネスコの世界遺産に登録された富士山フィーバーの底流には、「経済大国」日本の失墜で喪失した民族の自負心をして、富士山に託して「国の名誉」を説き聞かせ、「愛国心」の昂揚で「日本をとりもどす」との想いがあります。まさに、このような「美しい日本」の原像にひそむ世界は、万世一系の皇統の国柄への強き信仰に導かれたもので、「身命を軽んじ、国家を重んじ」る「愛国心」の発露なのです。それだけに現在問われているのは、「読本」が説き聞かせてきた日本のかたちに距離をとり、「天皇の国」として身体に刻みこまれた世界をして、一個独立した己の場から質していく作業ではないでしょうか。