学び!と歴史

学び!と歴史

日露戦勝がもたらした国民的自負
2014.05.21
学び!と歴史 <Vol.75>
日露戦勝がもたらした国民的自負
日本という国のかたち(5)
大濱 徹也(おおはま・てつや)

承前

 これまで述べてきた「日本国」像は、日露戦争の勝利がもたらしたもので、「明治の栄光」と喧伝され、日本の原風景であるかのように語られてきました。日本は、日清戦争の勝利でアジアの覇者となり、日露戦争でヨーロッパとアジアにまたがる欧亜の大帝国ロシア、白人の国家に勝利することで世界の大帝国の仲間になるべく一途に駆け足で奔せ行きます。
 大帝国へと奔走する国家の想いこそは、「明治の栄光」と喧伝され、国定教科書が説き聞かせた世界です。この残像は、未だに日本人の心に遺されており、当世耳にする「美しい国」日本、「力強い」日本を取りもどすという類の言説をささえるものにほかなりません。
 このような精神の営みこそは、大帝国―欧州的帝国へと狂奔した国家の歩みにとらわれ、1945年の敗戦という現実を直視せず、現在にいたるまで韓国・朝鮮や中国をはじめとするアジア諸国との信頼関係を構築しえない状況に追い込まれています。
 こうした日本の在り方は、明治末年、20世紀初頭の1911年に河上肇が「日本独特の国家主義」において、鋭く問い質した世界にほかなりません。河上の告発は、100年後の現在の日本を覆う空気をも切り裂くもので、現在を生きる私の場を確かめることをうながしています。

勝利の陰翳(いんえい)

 河上肇は1908年29歳の秋、京都帝国大学講師となり、9月に京都に移り、2年後の大逆事件に衝撃をうけます。「日本独特の国家主義」は、『中央公論』1911年3月号に掲載されたもので、この大逆事件を受けとめて執筆されたものです。
 1910年5月から検挙がはじまる大逆事件は、ハレー彗星が地球に接近するなかで流言がとびかい、世間が人心不和におびえる12月10日に大審院で公判が始まり、29日に結審、翌11年1月19日に判決、24名が死刑、19日に12名を無期に減刑、24日に幸徳秋水ら12名の死刑執行で決着しました。
 この大逆事件の年1910年には、野間清治が後の講談社文化誕生への足場となる『雄弁』を創刊、壮士劇で一世を風靡した川上音二郎が大阪北浜に帝国座を開業するなど、帝国なる誇称が時代の潮流となる夜明けでもありました。河上は、このような時代に向き合い、歴史の構造を問い質そうとした『時勢之変』(1910年12月26日擱筆、1911年3月刊)を、さらに1911年2月14日に脱稿した「日本独特の国家主義」で己の想いを直截に説き語り、日本という国の在り方を告発します。
 「日本独特の国家主義」は、日露戦争後の日本を「国民的自負の時代、西洋文明輸入の反動時代」とみなし、「日本人の思想は明治40年代を一期として全く其の方向を転化した」となし、日清戦争の勝利が「吾が国民の自負心」を強めたが、「清国人は吾等と等しく東洋人たるのみならず、其の文明は吾が文明の大部を構成せる要素たるが故に、我の彼に勝ちたる一事は、未だ以て、東洋人たる日本人としての自負心を惹起するに至らず、寧ろ戦勝の原因を以て、西洋文明の輸入に於いて我国の清国に一歩を先んぜしの点に帰せんとするの傾向を免れざりき」と。
 しかし日露戦争の勝利は、日清戦勝と異なり、「西洋人に勝ちたりと云ふ一事は、実に甚しく吾が国民の自負心―東洋人たる日本人としての自負心を強めたり」と。いままでは西洋人にはとてもかなわないとして、「偏に西洋文明の輸入を計画したる吾が日本人は、此の戦勝に由りて、西洋文明必ずしも恐るるに足らず、却て自家の文明に尊ぶべき或物あるべしと考ふるに至れり」と。

国民的自負心がもたらしたもの

 日本は、清国への勝利を「西洋文明の賜物」とみなしたが、ロシアに勝利したことで「吾が日本人は、他の東洋諸国にも無く又西洋諸国にも無き何等か偉大の特徴を有し居るに相違なしとするの思想、勃然として吾が日本人の間に引き起さるるに至りたり」と、民族の偉大さを誇ることになりました。ここに明治維新以来の「上下都鄙を通じて実に国民一般の思想を支配」してきた「西洋文明の崇拝」に変わり、西洋を「軽蔑」「排斥」することとなり、「警戒」「禁遏」という風潮が世を覆い、「日本人は、自家の文明に何等か偉大なる特徴あることを自覚」することになったと、野郎自大の思いにとりつかれたのです。
 ここに「軽率なる一派の人人は、何等慎重の審議攻究を経ることなく、苟くも今日の西洋に無くして我が日本に或るものならば、其の文明史的意義の如何を問ふことなく、片端より手当り任せに、各々其の思付きに従ふて復古的言説と運動と開始するに至れり」となし、漢学、家族制、孝道、武士道等々の復興を指摘し、「何れも皆な新たに展びんとするの要求に非らずして、一に古きを守らんとするの要求」だとなし、学者の研究にみられる一般的傾向も「日本民族性の研究」で「日本民族の特徴を高調して、恰も現代の日本を謳歌するもの」で、海外からの帰国者も西洋の「短を挙げて我の長を示す」言動に急であると。
 このような戦勝の産物である国民的自負は、「自負すべからざる所に行はれ、斯くて維持すべからざるものを維持し、変ずべきものを変ぜざることと為り、或は妄りに天祐を迷信し誤つて中華の謬想に陥ることあらんか、吾が日本文明の発展は全く是が為めに封鎖さるるに至るべければ也」と。ここに求められるのは、「妄りに他の意に迎合せず、各々信ずる所を披瀝して思想の開発に務ること、蓋し刻下の任務ならん乎」と、己が日本によせる想いを問いかけます。
 かく問い質された国民的自負心は、何も日露戦争後の世上人心にとどまることなく、現在も声高にかたられる中国や韓国への嫌悪感をうながす言動に読みとれましょう。河上肇は、このような日本人の在り方をして、「西洋人の人格、日本人の国格」として問い質していきます。そこには日本という国の本質が提示されています。次回はここに解析された「独特の国家主義」を読み取ることにします。

 

参考文献

  • 『河上肇集』近代日本思想大系18 筑摩書房 1977年
  • 河上肇『自叙伝』全5冊 岩波文庫 1976年

 

 河上の『自叙伝』は、時代に翻弄されるなかで誠実に生きた人間の営みを記録した作品で、「こころの歴史」が忠実に描き出されています。時代を生きるには何が問われているかが読みとれます。