学び!と道徳2

学び!と道徳2

道徳科の指導 ―自己を見つめる―
2019.06.28
学び!と道徳2 <Vol.13>
道徳科の指導 ―自己を見つめる―
岡田 芳廣(おかだ・よしひろ)

 5月だというのに北海道で39.5℃を記録したり、屋久島では記録的な集中豪雨が起きたりと地球温暖化の影響ではないかと思われる異常気象が発生しています。私たちは科学の発展とともに、空調システムによってコントロールされた快適な住居、地球のどこにでも簡単に行ける自動車や飛行機などの交通手段などの手に入れて豊かな生活を送っています。この流れはコンピュータや人工知能(AI)の進歩と人間の欲望によってますます進行するのではないかと思います。しかし、このまま進むと人間や地球の未来はどうなるのでしょうか? 持続可能な社会を維持することができるのでしょうか?
2001年宇宙の旅(監督:スタンリー・キューブリック) アメリカの未来学者レイ・カーツワイルは、2045年になるとコンピュータ能力が人間の知能を越えて、発明なども行うようになり、人間は進歩の予測ができなくなると述べています。高校生の時、「2001年宇宙の旅」(監督スタンリー・キューブリック)というSF映画を見て衝撃を受けたことを覚えています。とても難解で見るたびに新しい発見がある映画ですが、物語は人類の進歩のカギを握っている「モノリス」という黒い石柱を調査するために木星に向かった宇宙船での出来事が中心です。宇宙船はスーパーコンピュータ「ハル」で管理されていて、ボーマン船長ともう一人の船員以外は人工冬眠しています。しかし、突然ハルが冬眠中の船員や船外活動している船員の生命維持装置を切り、宇宙船を支配しようとします。一人残ったボーマン船長が邪心を抱いたハルの思考部分を停止させるという内容です。
 最近、自動車の自動運転やロボットの開発でAIの技術が驚くような勢いで進歩しています。一部の研究者は「心」を持ったAIの開発に取り組んでいます。心を持った人工知能やロボットは、欲望で自分をコントロールできない人類を救ってくれるのだろうか? それともハルのように邪心を抱いて人類を絶滅へと導くのだろうか? ただどちらにも共通していることは、人工知能がどのような「心」を持つか、そしてAIを開発する科学者が同様な道徳性を持っているかがそのカギを握っていると思います。

 さて、前回から道徳科の学習の在り方について考えています。今回は「自己を見つめる」とはどのようなことか、またどうしたら「自己を見つめる学習」ができるかについて述べたいと思います。

1 自己を見つめる

「今日は道徳科の学習の視点である『自己を見つめる』について考えていきましょう。『自己を見つめる』という言葉から皆さんはどんなことを想像しますか?」
「キャリア教育で行う自己理解です。自分の進路を考えるとき、自己理解が大切だと学びましたが、自分の悪い点は理解しているが自分の良い点と言われるとなかなか答えられず困りました。」
真理「響の良いところはいつも元気なところかな……。」
「それはいつも能天気ということ?」
真理「……。」
「皆さんは学部の教職課程の教育心理学で、『メタ認知』を学んでいると思いますが、覚えていますか?」
「認知を認知することだと習いましたが、言葉遊びのようでどういう意味なのかよくわからなかった。」
道子「認知とは認識や学習のことなので、自分が何を学んでいるかどのような経験しているかなどを認識することではないかと思います。」
「『メタ認知』は、ジョン・H・フラベルというアメリカの心理学者が唱えた概念です。『メタ』とは『高次の』という意味で、高次の視点から自分を認知する。これは自分で自分を客観的に見つめる、つまり『自己を見つめる』ことです。『メタ認知』は認知心理学の中では重要な分野であり、うつ病や依存症の治療として行われる認知行動療法や私たちの教育学では学習理論の自己調整学習として、さらに近年めざましい勢いで進歩しているAIの開発に応用されている認知工学や会社で行われている人材育成などにも活用されています。この『メタ認知』は、響君が上げた自己理解をはじめ、内観・内省、自己反省、自己内対話などにも関係する概念です。しかし、客観的に『自己を見つめる』ことは、実際にはなかなか難しいことです。『メタ認知』を促すためには基本的な知識やスキルが必要でありますが、教師からの支援(足場づくりや動機づけ)、目標や価値の設定、意見の異なる他者とのコミュニケーション(対話・討論)などが必要だと言われています。」

2 自己を見つめる学習

「次に『自己を見つめる学習』について具体的に考えてみましょう。皆さんは『二通の手紙』という教材を知っていますか?」
道子「動物園で退職後も臨時採用で働いていた元さんが弟の誕生日祝いとしてやってきた幼い姉弟に同情して、入園時間が過ぎていたにもかかわらず動物園に入れてあげる。しかし、いつまでたっても姉弟が戻ってこなくて大騒ぎなる話ですね!」
「そうですね。元さんはこの騒動の後、姉弟の親から子どもたちへの温かい心遣いに対する感謝の礼状を受け取ると同時に、上司からは動物園の規則を守らなかったことに対する解雇処分の通知書という二つの手紙を受け取ることになる話です。個人の感情や都合で行動すると、社会の秩序や規律を乱し、多くの人々に迷惑をかけることになるという規則についての理解や規則を守る義務について考えさせる教材です。授業では二つの手紙を受け取った時の元さんの気持ちを聞くことが多いですが、なぜ元さんの気持ちを聞くのでしょうか? 『自己を見つめる』学習ならば『あなたならば二つの手紙をもらったらどう思いますか。』と聞く方が自己を見つめることになるのではないでしょうか?」
真理「変な意見を言ってみんなから呆れ返られるのを恥ずかしがり、生徒たちがあまり発言しなくなるからだと思います。」
「先生が言いたいことを忖度して発言するか、なんだ、先生は結局『規則を守りなさい。』と言いたいんだと反発するからだと思います。」
真理「響は後者でしょ。」
「はい、今でも反抗期です!」
「さすが、中学校の教員を目指している皆さんですね! 中学生の気持ちをよく理解していますね。ドイツの教育学者で日本の道徳教育に大きな影響を与えているシュプランガーは、教育には3つの概念があると述べています。
 第1は『発達の援助』としての教育です。人間は未熟な状態で生まれてくるので、身体的な発達に対する援助と精神的な発達に対する援助の両面から教育的援助をすることが必要であるという考えです。このことはピアジェの発達心理学でも言われていますが、中学生の時期は第二次反抗期・思春期にあたります。響君が言うようにわかっていても反発したくなる時期でもあり、真理さんが言うように他者の目が気になる時期でもあります。
 第2は『文化財の伝達』としての教育です。シュプランガーが言う文化財とは、教育的価値があり、教育上効果のあるものです。そして伝達とは単に文化の内容を理解させることではなく、文化が持つ意味を理解し、その意味に即して行動し、その文化に基づき新たな文化を創造していくことを求めています。日本では多くの学校における『チャイム着席』という規則(学校文化)があります。生徒たちはその規則の意義を理解し行動することを通して、規則を守ることの大切さを習得しています。『元さんの立場だったらあなたはどうしますか。』と問われたら生徒たちは響君の考えのように一般的に正しいということを答えるでしょう。
 第3は『良心の覚醒』という教育です。シュプランガーは、良心とは、人間の心の奥にあり、善悪の判断を行い、自身の行為を正す倫理的なものであると言っています。教師は『発達の援助』や『文化財の伝達』を通して、子どもの内にある良心を『覚醒』させなければなりません。そのためには、自己吟味をしたり、自己を批判的に検討したりすることと、行為によって社会と実践的にかかわっていくことが大切であると述べています。子どもが自らの行動を見直し、良心を覚醒することができるように教師が支援することが重要となります。」
道子「子どもが自ら良心を覚醒するということは、先ほど学んだ『メタ認知』に近い考え方だと思います。」
「そうですね。それではそろそろメインテーマである『自己を見つめる学習』とは、どのようなものか考えてみましょう。」
「『あなたはどう思いますか。』と質問したら、中学生はなかなか本音を言わないから『登場人物はどう思っていますか。』と質問したらよいと思います。」
真理「しかし、登場人物の心情ばかり聞いても、国語の読み取りのようでなかなか自分のことへと考えが深まらないのでは……。」
道子「メタ認知を深めるには、意見の異なる人と対話するとよいと学びました。『元さんは二つの手紙を前にして、どのようなことを思ったのか。』について、まず各自に考えさせてからグループで意見交換や話し合いをさせればいいのではないかと思います。」
「そうですね。自己を見つめるには、個人考察させるという足場づくりをすることが有効でしょう。さらに、グループの中で他の人と対話をすることによって、自分の考えがしっかりしたり、自分にはないものに気づいたりすることもできます。また、小さいグループだとあまり他人の目も気になりませんので、自分の思っていることを自由に話すことができますね。」
「なるほど、道徳科が『考える道徳』『議論する道徳』と言われる理由が少しわかったような気がします。」

 今回は道徳科の学習を行うにあたり考えていかなければならない視点「自己を見つめる」について述べました。反抗期の真っただ中にいる中学生に冷静に自分自身を見つめさせることはとても難しいことだと思います。次回は、「物事を広い視野から『多面的・多角的に』考え」について述べたいと思います。ご期待ください。