学び!と美術

学び!と美術

問いが生まれる知識の構造~バンコク調査報告(2)~
2020.04.10
学び!と美術 <Vol.92>
問いが生まれる知識の構造~バンコク調査報告(2)~
奥村 高明(おくむら・たかあき)

 「私たちは、何を根拠にどれが芸術で、どれが芸術でないと判断しているのか」。国際バカロレア教育においてこのような問いが生まれる背景には、独特の知識の捉え方があります。大学入学前の生徒を対象としたディプロマプログラムの、中核となる必修用件であるTOK(Theory of knowledge)を通して見ていきましょう(※1)

知の理論TOK

 TOKは「知識の理論」「知の理論」などと訳されています。知識とは、簡単に言えば「私が知っていること」や「みんなが知っていること」です。
 自分の経験や感覚を通して知っていることもあれば、科学のように遠い所で組み立てられた知識もあります。数学のように世界共通のものもあれば、歴史や倫理のように住んでいる国で価値観が違うものもあります。宗教のように哲学的だったり、芸術のように独自性が大切にされたり、知識はいろいろです。
 TOKでは、このような表面的な「知識の内容」については重視しません。そのかわり「知識について考える」ことを重視します(※2)

贋作は芸術か?

 具体例で考えてみましょう。
 例えば、芸術の世界には贋作という問題があります。古い顔料を使い、巧妙につくられた贋作を見分けることは専門家でも難しいことです。1割から4割が贋作のまま流通しているという推計もあります(※3)。美術館に贋作が収蔵されているかもしれないのです(※4)
 有名な贋作者にトム・キーティングがいます。数千点もの見事な贋作で、彼は一躍有名になります。テレビ番組にまで登場し、そのテクニックを披露します。その結果、コレクターや有名人がキーティングの作品を集め、彼の贋作は現在数百万円とか……(※5)
 さて、ここまでは「知識の内容」です。ここから「知識について考える」ために問いが必要となります。
 まず、芸術に関する問いです(※6)

  • もし、同じ題材で、まったく同じ絵を描いたら、どのような理由で、片方の絵の価値がもう一枚の絵の価値よりも高くなるのだろう。
  • 社会はどのようにして、どの芸術家を尊重し、どの芸術家を無視するのかを決めるのだろう。

 トム・キーティングの描いたレンブラントの贋作と、レンブラント自身の絵の違いは、知覚的に判別が可能でしょうか。トム・キーティングよりレンブラントが尊重されるのは本当に公正なことなのでしょうか。作品の値段は何を根拠に生まれるのでしょう。
 さらに、芸術を離れて問いが立てられます(※7)

  • 私たちの信念を正当化することの重要性は、知識の領域によってどのように異なるのだろうか。
  • 私たちはどの程度まで、証拠の質ではなく証拠の量によって説得されるのだろうか。

 芸術で正当性を確かめるやり方を科学で用いることは可能でしょうか。証明するための証拠の量は多ければ多いほどよいのでしょうか。
 このような問いに対し、生徒は芸術や科学の発展の歴史を調べ、自分の知覚や感情を確かめ、あるいは専門家の意見などを参考にしながら考えていくのです。

知識の構造を問う

図1 このように、TOKは「知識そのもの」よりは、知識の成り立ちや特徴など、「知識の向こう」を問います。図で考えれば、芸術という知識そのものは問わず(図1:矢印1)、芸術を成立させる枠組みや芸術という知識を得る方法などを問うのです(図1:矢印2)(※8)
図2 同じことは、数学でも科学でも言えるはずです。そこで、図1を数学や科学などに置き換え、それぞれの領域を重ね合わせてみましょう。すると、表面には数学や芸術という領域的な知識が並び、その奥には共通する知識の構造が現れます(図2)。まるで脳のような形です。
 おそらく、TOKは、知識そのものではなく、自分の中にある(同時に共有されている)知識の構造を問う力を身に付けようとしているのでしょう。そうだとすれば、TOKは、学問の領域をこえて「共有された脳」を獲得する学習と呼べるのかもしれません。
 4月から小学校で始まった学習指導要領の完全実施。図画工作や美術などを単体で捉えるだけでなく、カリキュラム全体で考えるカリキュラム・マネジメントが求められています。バンコク調査を通して、今一度、知識や学びの仕組みを見直してみようと思った次第です(※9)

※1:本稿は泰日協会学校(バンコク日本人学校)で行われた協議会資料をもとに、新たに書きおこしたものです。
※2:Sara Santrampurwala他著 田原誠 森岡明美訳「知の理論」国際バカロレア(IB)スキルと実践 オックスフォード出版局(2016)p.5
※3:同上書p.24及び 「有名絵画は「偽物」、放射性炭素年代測定で判定」(2014.2.7) https://www.afpbb.com/articles/-/3007932
※4:「衝撃の鑑定結果 収蔵品の60%が偽物 南仏の美術館に打撃」(2018.4.30) https://www.afpbb.com/articles/-/3173052
※5:『トム・キーティング』 https://en.wikipedia.org/wiki/Tom_Keating 及び トム・キーティング他、滝口進訳『贋作者』新潮社(1979)
※6:前掲書1 p.24
※7:前掲書1 p.25
※8:図1は、TOKで知識を検討する際に用いられる「知るための方法(知覚、感情、理性、想像、記憶、直感、言語等)」や「知識の枠組み(範囲・応用、方法論、発展の歴史等)」をもとにイメージした図であり、厳密なものではありません。
※9:本稿は美術教育における国際バカロレア教育の研究者である横浜国立大学の小池研二教授の監修を受けています。