学び!と歴史

学び!と歴史

天賦国権の国日本
2014.05.30
学び!と歴史 <Vol.76>
天賦国権の国日本
日本という国のかたち(6)
大濱 徹也(おおはま・てつや)

承前

 河上肇の「日本独特の国家主義」は、(1)吾国目下の思想界、(2)国民的自負の時代、西洋文明輸入の反動時代、(3)日本民族の特徴は今の時に於いて最も顕著なり、(4)日本の国家主義と西洋の個人主義、(5)西洋の天賦人権、民賦国権と日本の国賦人権、天賦国権―西洋人の人格と日本人の国格、(6)西洋諸国は凡て民主国なり、日本国のみ独り国主国なり、(7)日本は神国なり―西洋人の権利思想と日本人の国家思想―西洋は権利国にして日本は義務国也、(8)日本に於ては天皇即国家なり、西洋に於ては天皇は国家の機関也―日本に於ける忠君と愛国との一致―忠孝一本論及祖先崇拝論は時勢に適せず、(9)日本の合力主義と西洋の分業主義―高度の愛国主義と劣度の商業道徳―西洋の人物は特種の人格を有し、日本の人物は一色の国格を具ふ、(10)日本にて無政府主義、社会主義の排斥せらるゝ所以―日本には西洋流そのまゝの社会主義、社会政策、立憲政治、政党政治は在り得べからず、(11)西洋及日本に於ける言論の自由不自由の差異―西洋の基督教と日本の国家教、(12)伝来的信仰に対する新興科学の謀叛―妥協と矛盾は刻下の特徴、(13)信仰に理由の説明あり得ず―日本人は無宗教に非ず―日本人に煩悶あり得ず、(14)国家主義の利弊―強き国家と弱き個人、(15)追録数則、という構成で、前回の「日露戦勝がもたらした国民的自負」は(1)(2)によって、紹介したものです。この論は、明治末年の日本を「天賦国権」の国と告発したものですが、「強き国家」を喧伝する声に覆われている現代日本の空気を撃つ視点を提示しております。日本人は国家をどのように理解していたでしょうか。

日本の国家主義

 日本人にとっては、「国家は目的にして個人は其の手段なり。国家は第一義のものにして個人は第二義のもの也。個人は只国家の発達を計る為めの道具機関としてのみ始めて存在の価値を有す」と。そこでは、極端な場合を想像すれば「若し凡ての個人を殺すことが国家の存立を維持する為め必要なる場合ありとせんか、縦ひ凡ての個人を犠牲とするも国家を活かすと云ふことが、国家主義の必然の論理的断案」となし、日本人の倫理観は国家のために己個人の生存を犠牲にすることを躊躇しない。逆に西洋人は、個人が第一義で国家を第二義となし、「国家は只だ個人の生存を完うする為めの道具機関としてのみ始めて存在の価値有す」るものであり、極端に言えば「若し国家を滅すことが凡ての個人の生存を完うする為め必要なる場合」、国家組織の打破が個人主義の「必然の論理的断案」であると。
 かくて河上は、日本とヨーロッパとの間には「建国の趣旨が全く相違」しているがため、その国情において種々の差異が出てきたとなし、主要な論点を次のように指摘します。

 西洋人の主義は個人主義なり。故に西洋に在ては個人を以て自在の価値あるものと為し自己目的性を有するものと為す。故に天賦人権の思想あり。人命を重んじ人格を尊ぶこと、日本人の想像の外に在り。然るに日本人の主義は個人主義に非ずして国家主義なり。故に日本に在つては個人を以て自存の価値あり自己目的性を有すと看做す能はず、独り自存の価値を有し自己目的性を有する者は只だ国家あるのみと為す。故に日本人には天賦人権の思想なくして、天賦国権の思想あり。個人の権利は只だ国家の承認を経て始て存在す。国家は只だ其の自存の目的を達するの手段として、個人に一定の権利を認む。個人の有する権利は、本来自己目的の為めに非らずして、只だ国家の道具として役立つが為めのもの也。故に西洋に在りては人権が天賦にして国権は民賦たりと雖も、日本に在りては国権が天賦にして人権は則ち国賦たり。

人格でなく国格

 このような国のかたちである日本においては、個人が個人として独立の人格を有するという観念がなく、国家の機関としての存在意義を自覚しているという意味で「国格」を担うことが求められています。天皇は、その意味で「国家の利害を自己の利害とし」「国家の公の利害の外別に個人としての私の利害」をもたない「最も完全なる国格を保有」した存在であるがため、「日本人の信仰よりすれば天皇は最高最貴の方」であるとみなされてきたのです。ここに河上は、「日本人の神は国家なり、而して、天皇は此の神たる国体を代表し給ふ所の者」として、その存在を次のように問い語ります。

吾国の天皇は完全無欠の国格を保有し給ひ、国の政治に於いては、只だ国家公の利害を以て其の利害とし給ふのみにて、別に何等私の利害を有し給はず。故に日本に於いては、国家と天皇とは一体にして分つべからず。而して国家は吾等の神なるが故に、天皇は即ち神の代表者たり。故に吾国に在りては、愛国が最上の道徳たると同時に、其の愛国と云ふことは軈(やが)て忠君と同義たり。知るべし、日本民族の特徴は忠孝の一本に非らずして、愛国と忠君との一本に在ることを。是れ吾人が、忠道奨励の前提として孝道を奨励せんとする者を愚なりとする所以なり。
西洋に在つては、凡ての人が個人の立場よりする人格を有す。故に君主も亦た人民と同位同列の人格者なり。否な彼等の思想に依れば、個人は個人としての人格を保つが故に貴き也。故に君主も亦た一個人として人格を保ち、一個人としての私益私利を有す。故に西洋流の思想に依れば、君主は決して国家と一体たる能はず、国家以外別に隔離独立したる人格を有するが故に、君主は即ち国家の機関たり。

「個人は個人の人格を保つ」との言は、現在自明のこととされているようですが、どれだけ日本人一人びとりが己のものとしているでしょうか。そこには、国格に囚われてきた己の存在をみつめることもなく、当世風に流されてきた私があるのではないでしょうか。歴史を読むということは、河上肇が「天賦国権」の国と告発した言説をひとつのてがかりに、私が主語で日本という国のかたちに向きあい、明日に飛翔しうる歴史像を思い描くことではないでしょうか。「美しい国」云々と喧伝される時代であるからこそ、日本という国のかたちを私が主語で問う作業をしていきたいものです。

 

参考文献

  • 大濱『天皇と日本の近代』 同成社 2010年