学び!と美術

学び!と美術

美術館を開く~台湾、北師美術館の挑戦~
2019.05.10
学び!と美術 <Vol.81>
美術館を開く~台湾、北師美術館の挑戦~
奥村 高明(おくむら・たかあき)

 「かつて美術品は地域の中にありました。地域全体を美術館と考えてはどうでしょうか?」
 宮崎県立美術館の学芸員だったころ、とある美術館の学芸課長から学んだことです。今回、台湾調査でその現代的な事例を知ることができました。

美術館に収蔵されるのは美術品だけではない

 本来、美術品は地域の中で保有されていました(※1)。掛け軸や屏風、茶器や仏像、刀剣などは、それぞれの家や蔵、神社等に保存されていたわけです。同時に、それらの美術品をいつ入れ替えるか、修復はどこに頼むのか、誰から購入するかなどのノウハウも地域にありました。
 ところが「美術館」が生まれると、地域の代表的な美術品は美術館が購入したり、寄贈や寄託されたりします。同時に、保存や修復、展示や購入などの美術品に関するノウハウやネットワークも「収蔵」されます。その証拠は、私たちの周りから「床の間の掛け軸をいつ替えるべきか」「保存に適した場所はどこか」などの知識やスキルなどが消えていることで証明できるでしょう。
 これは学校によく似ています。学校は勉強を教える場所として明治時代に生まれ、貴重な働き手であった子どもたちを昼間、一時的に預かります。そして、いつの間にか、勉学だけでなく道徳心、礼儀作法、躾や掃除などもつかさどる空間になっていきます。学校は、子どもに関するあらゆるノウハウやネットワークを「収蔵」するシステムでもあるのです。
 仕事や学問などを細分化、分業化していく近代化のせいなのですが、そうなってしまうと、逆に学校や美術館を地域に開くための取り組みが必要になってきます。学校ではPTAや学校評価委員会、地域開放イベント等、美術館ではボランティアや外部団体との連携等が組織されることになります。ただ、簡単な実践ではなく、組織、個人など様々な面でいろいろ難しいことがあります(※2)

台湾美術館を開く

 今回、科研の台湾調査(※3)で印象に残る実践に出会いました。国立台北教育大学北師美術館のOPMプロジェクトです。それは、美術館の保有する美術品を、ノウハウごと美術館の外に持ち出してしまう取り組みでした。
写真1 A.Busti「Bresciaの戦い」レリーフ(ミラノ公爵の墓所装飾) 1515年 北師美術館は、故宮博物院長から国立台北教育大学に復帰した林曼麗館長が中心となって2012年に設立された比較的新しい美術館です(※4)。「人間の存在や価値が大事。教育のわかる美術館にしたい(林談)」という言葉通り、教育普及を中心に、実験的な展示と手法による実践を続けています(※5)
 OPMはOne Piece Museumの略です(※6)。美術館が収蔵する「ワンピース」を学校などに展示し、美術館の支援を受けながら、美術史、教育、展覧会などの活動を展開するものです。
 林先生の考えは「美術館は倉庫だが、保存には金がかかる。保存するより、ばら撒こう」でした。ちょうど手元には、メトロポリタン美術館が放出した19世紀の石膏像や石膏型(※7)がありました(写真1)(※8)。そこで、学校と美術館が協力してこれを活用する空間を学校につくりだす取り組みがはじまったのです。
写真2写真3 例えば、まず学校が主体となって石膏像や石膏型などを選びます。次に、学校で展覧会や展示室を企画します。美術館は、その内装、デザイン、展示方法、開会式のノウハウなどを提供します。学校の教員を対象にした研修会も必須です。美術館が講師を提供し、作品の修復や、作品にまつわる美術史などについて学びます(※9)。それらの結果として、子どもたちが石膏像を通して、文化財の修復や歴史などを学ぶ総合的なカリキュラムや、石膏像や石膏型と一緒に子どもたちの作品も一緒に展示される学校美術館などが生まれるというわけです(写真2、3、4)。
 学校との連携は個別的で、パッケージ化はされておらず、個別的で、1年で終わるものもあれば、ずっと続くものもありますが、おおむね、一つのプロジェクトに2、3年かかるそうです。気になるのは経費ですが、各学校が地域の教育委員会や企業に働きかけて用意するそうです。OPMを通して学校自身が強靭化される側面もありそうです。現在、OPMは好評で、学校だけでなく新台北市の文化局などからも申し込みが相次いでおり、商業施設内にある北師美術館の分館をOPMのセントラルキッチンとして機能させていく計画だそうです(※10)。(写真5)

OPMの哲学と21世紀の美術館像

写真4写真5 たった1点であっても、方法次第では多くの人々に美術が役立つというOPMプロジェクト、その背景には、美術館と学校教育を貫く哲学があるように思います。
 歴史を振り返れば、美術館はクローズな王侯貴族のコレクションでした。その後、18世紀の啓蒙的な美術館、19世紀の文明儀式としての美術館、20世紀の社会教育的美術館と、次第に開放的な公共空間へ変化します。その過程で、美術館は排他性より包容性が求められるようになり、関心の対象は収蔵品という「モノ」から、来館者へという「人」に移ります(※11)
 教育も、一部のエリートが獲得する資源という位置づけから、万人が平等に参加できるシステムに変化し、現在は、一人一人が能力を十全に発揮し、創造的に生きる力を身につけることが求められています。台湾のナショナルカリキュラムも日本同様に、子どもたちに創造力、思考力、探求力、コミュニケーション力などをつけようとしています。その手段の一つとして美感教育が重視されていますが、北師美術館は新しい学校の連携としての美感教育基地を目指しています。
 林館長は「21世紀の美術館は、知識の創造と価値の革新が求められる」と指摘しています。北師美術館は「夢をつくる場所としての美術館」であり、「無限の可能性を持つ未来を、美術館が創造する」のが願いだそうです。それは、現代の日本においても、学校と美術館の双方を貫く共通のテーマであるように思います。

※1:もちろん「何が美術か」については「まなざし」の問題で別の議論となりますが、本稿では取り上げません。
※2:一部の人々の特権化や組織的な協力の困難、参加の在り方などが問題になっています。
※3:基盤研究(B)「美術館の所蔵作品を活用した探究的な鑑賞教育プログラムの開発」 研究代表者:一條 彰子、研究分担者:寺島 洋子、室屋 泰三、東良 雅人、奥村 高明(2016~2019年度)。今回の台湾調査のリサーチ・コーディネーターは端山聡子横浜美術館主任学芸員。
※4http://montue.ntue.edu.tw/study
※5:私たちが訪れたときは、京都の大学美術館と連携した『京都・大学博物館連盟特展「京都好博学!」』が開催されていました。http://montue.ntue.edu.tw/study/show/31。日本と台湾の大学に残る講義資料や教材掛図、教具など多様なコレクションを用いて「大学の美術館・博物館とは何か」「台湾の歴史や民族文化、アイデンティティとは」などを問い直す展覧会です。それぞれの来館者が価値を発見できるようにするために、展示物からキャプションをなくし、代わりに入口に作品解説カードを置いて、このカードをコレクションしながら鑑賞する展示スタイル(人の収集的な本能を刺激し主体的な体験を組織する方法)をとっていました。
※6http://montue.ntue.edu.tw/onepiece
※7:啓蒙が目的だった創成期の公共美術館では、その収蔵品は石膏像がほとんどでした。「本物」が購入できるようになると、不要になった石膏像は世界中に「輸出」されます。東京芸術大学の石膏室にある石膏像は出自がはっきりしていますが、そのほとんどが明治40年代から昭和ひとケタに、ボストン美術館、ルーブル美術館、大英博物館とそうそうたる美術館から輸入したものです。北師美術館の収蔵品は、最近メトロポリタン美術館が放出したものです。世界中の多くの美術館に声がかけられたそうですが、北師美術館も120点程度を受け取り、11点を選定して2012年に第1次修復を行い、その後、2013年からは東京芸術大学の森純一先生の指導の下に学生と修復をするプログラムを取り入れ修復、展示を行っています。
※8:写真2、3は林曼麗館長のOPMの説明資料より引用。写真1、4、5は調査による写真。
※9:林先生は「美術館に児童生徒がくるという関係を逆転させ、美術館と学校で共同作業を行う」「美術館にたくさんの学校がくるのではなく、美術館がたくさんの学校に出かければいい」と述べています。昔から言われてきたことですが、なかなか実現できることではありません。
※10:商業施設内にある新板橋ギャラリー(台湾の商業建築の中には行政機関が使用できる空間が建蔽率で決められている)。文化財保存をテーマに展示やワークショップを行っています。
※11:林曼麗館長のOPMの説明資料より引用。

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