学び!とシネマ

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金の糸
2022.03.09
学び!とシネマ <Vol.191>
金の糸
二井 康雄(ふたい・やすお)

© 3003 film production, 2019

 「金の糸」(ムヴィオラ配給)は、人生の波乱や年輪の重みが、ズシリと伝わるような映画である。
 老女ふたりと老いた男性の人生そのものを描いているわけではないけれど、その人生がどういうものであったかが、くっきりと浮かび上がる。
 現代。ジョージアの首都トビリシ。かなり年輩の女性で、作家のエレネ(ナナ・ジョルジャゼ)は、パソコンに向かって執筆中である。プルーストの「失われた時を求めて」の一節を思い浮かべて、「私たちの一生を言い当てている」と呟く。
 エレネは、生まれたときからの古い家で、娘夫婦とその孫娘、エレネからみるとひ孫の四人で暮らしている。
 今日は、エレネの79歳の誕生日。もはや、誰もそんなことは覚えていない。確実に、老いの孤独が忍びよっている。
 そんなエレネの話し相手は、エレネと同じ名前のひ孫(マリタ・べリゼ)だけ。
 ある日、エレネは、娘のナト(ニノ・キルタゼ)から、ナトの姑になるミランダ(グランダ・ガブニア)が引っ越してくると言われる。
 高齢のミランダは、アルツハイマーのせいか、ガス栓を閉め忘れ、あやうく火事になるところだったらしい。
 エレネは、かつて政府高官だったミランダを快くは思ってはいない。年金や印税収入だけでは苦しいと、ナトに言われ、しぶしぶ、ミランダを迎え入れることになる。
© 3003 film production, 2019 エレネは足を悪くしていて、いまや、ほとんど外には出ない。ひ孫のエレネは、曾祖母のために、外の通りの絵を描いてくれる。
 突然、エレネに電話がかかってくる。なんと、エレネの60年もの前の恋人だったアルチル(ズラ・キプシゼ)からである。
 エレネの誕生日を覚えていたアルチルは、お祝いのメッセージを伝える。そして二人は、かつて、朝までタンゴを踊った通りのことを思い出す。アルチルもまた、足が不自由で、車椅子を必要としている。
 ミランダが越してくる。近所の人たちは、住居を世話してもらったりで、礼を言ったりする。まんざらでもないミランダ。
 ミランダは、いまの風潮に批判的で、かつてのソ連時代を思い出すばかり。
 エレネとアルチルの「思い出」電話は、続いている。ふたりに、辛い記憶もよみがえってくる。
 エレネ、アルチル、ミランダは、ジョージアがグルジアといっていた時代を生き延びてきている。
 いまエレネは、中庭に出る程度で、外に出ることはない。アルチルもまた車椅子の生活である。いまなお、過去の権勢の残るミランダには、アルツハイマーが進行している。
 やがて、これまで三人が秘めていた過去や、それぞれの関係が明るみに出ることになる。
 美しいシーンが連続する。ふたりのエレネにしか見えないショット。若いエレネとアルチルが通りで踊る。
 エレネが幼いエレネに、一枚の絵を見せて、「金の糸」について話す。これまた、情感たっぷりで、うっとりするシーンだ。
© 3003 film production, 2019 芸術一般に造詣の深いジョージアの人たち。ここでも、控え目だが、うっとりする音楽に、たびたび引用される詩が、とてもすてきだ。
 ラスト近く、老人三人の、まさに「失なわれた時」がよみがえってくる。恋愛の甘い思い出だけではない。尋常な作家人生でなかったエレネの哀しみが、ズシリとのしかかってくる。
 三人の俳優の演技が、素晴らしい。エレネを演じたナナ・ジョルジャゼは、もともとは映画監督である。ミランダ役のグランダ・ガブニアと、アルチル役のズラ・キプシゼは、ジョージアを代表する名優である。
 監督・脚本は、1928年生まれのラナ・ゴゴベリゼ。ジョージアを代表する女性監督で、自らの人生を反映させた脚本は、波乱の人生を生きた証だろう。
 スターリンの時代から、ソビエト連邦、ロシアと国名は変わったけれど、ジョージアのここ100年ほどの歴史を、ぜひ、振り返ってほしい。
 いま、ロシアはウクライナに軍事侵攻している。ジョージアもまた、2008年には、ロシアと軍事衝突の歴史がある。
 「金の糸」を見ていて、古いフランス映画で、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の「旅路の果て」を思い浮かべた。かつて俳優だった人たちの老人ホームが舞台で、過去のさまざまな人生が交錯する。
 「金の糸」も、「旅路の果て」も、できるだけ若いうちに見ていただきたい。必ずや、悔いのない人生を選ぶ助けになることと思う。

岩波ホールほか全国公開中

『金の糸』公式Webサイト

監督・脚本:ラナ・ゴゴベリゼ
撮影:ゴガ・デヴダリアニ
音楽:ギヤ・カンチェリ
出演:ナナ・ジョルジャゼ、グランダ・ガブニア、ズラ・キプシゼ
原題:OKROS DZAPI/英語題:THE GOLDEN THREAD/2019年/ジョージア=フランス/91分
日本語字幕:児島康宏
配給:ムヴィオラ