小学校 道徳

小学校 道徳

「その思いを受けついで」(第6学年)
2022.11.09
小学校 道徳 <No.045>
「その思いを受けついで」(第6学年)
東京都足立区立弥生小学校 教諭 俣野美絵

1.はじめに

 児童が教材を通して道徳的価値の理解を図ったり、自己を見つめたりすることができるように、教材の内容を自分事としてとらえさせることが重要である。そのために授業をどのように工夫すべきかを考えることが道徳科の授業の醍醐味でもある。児童が物語に入り込めるような教材提示、みんなで考え、多様な考えに触れることで、さらに自分の考えを広げ深める時間の設定の仕方、自分事としてとらえた一時間一時間の学びの連続性に重点を置いて、今回の授業実践を行った。

2.教材について

 祖父の寿命があと3か月と迫っていることを母から聞いた「ぼく」は、残された祖父との時間を大切に過ごし、祖父の最期を看取る。祖父の死後に見つけた手紙から、「ぼく」へ向けられた祖父の温かくも強い思いに触れるという内容である。
 身近な祖父の死と必死に向き合う「ぼく」の思いや、死期が近づいてきてもなお、孫への愛情を持ち続けた祖父の思いを考えることを通して、自分の生命が、祖父母や父母から大切に受け継がれたつながりの中にある素晴らしく尊いものであることを感じさせたい。そのうえで、「その思いを受けついで」、限りある命を精一杯生きること、自他の命を尊重することが大切であることに気付かせたい。

3.実践報告

(1)主題名

つながる命 D[生命の尊さ]

(2)教材名

「その思いを受けついで」 (出典:文部科学省 『私たちの道徳 小学校5・6年』)

(3)本時のねらい

 大好きな祖父の死に向き合う「ぼく」の気持ちを考えることを通して、自他の命が生命のつながりの中にある尊いものであることを理解し、自他の命を尊重しようとする心情を育てる。

(4)展開例

学習活動
○発問・予想される児童の反応

◇指導上の留意点 ☆評価


(1)学習課題を設定する。
○「命」について、どのように思いますか。

◇「命」についての様々な考えを出させる。同内容項目の授業の板書とノートを振り返り、これまで「命」についてどう考えてきたか想起させる。そのうえで、本授業を通して、なぜ大切にしなければならないのか、自分なりの考えを深められるようにする。


(2)教材「その思いを受けついで」を読み、なぜ命が大切なのかについて考える。

◇教師が範読する。教材文の世界観に浸ることができるよう、BGMを流す。

○じいちゃんの命があと三か月だと知って、「ぼく」はどんなことを考えたでしょう。
・嫌だ。 ・悲しい。
・信じられない。 ・信じたくない。
・うそであってほしい。 ・別れたくない。
・時間が足りない。 ・もっと一緒にいたい。
・早く教えて欲しかった。そしたらもっと一緒に過ごせたかもしれないのに。

◇小さい頃からかわいがってくれたじいちゃんが、あと三か月で死ぬかもしれないと知ったときに、ぼくが感じた複雑な感情を考えさせるようにする。

○毎日お見舞いに行った「ぼく」は、どのような気持ちだったのでしょう。
・僕が行ったら、元気になるかもしれない。
・少しでも長く生きてほしい。
・励ましたい。
・一緒に過ごす1分1秒を大切にしよう。
・少しでも長くおじいちゃんと一緒にいたい。
・おじいちゃんとの思い出を増やしたい。

◇じいちゃんの病状の変化と、それに伴う「ぼく」の気持ちの変化も捉えさせる。

◎じいちゃんから受け継いだ思いとは、いったいどのような思いでしょう。

手紙を受け取ったぼくが感じた思いをペアで考え、短冊に書く。

・じいちゃんが見守ってくれている。命を大切に生きよう。
・じいちゃんの思いに恥じない生き方をしよう。
・じいちゃんが教えてくれたことを大切にして前に進もう。
・じいちゃんの分まで、全ての経験を大切にして生きていこう。
・じいちゃんが大切にしてくれたように、ぼくも周りの人を大切にして生きていこう。

◇じいちゃんがのし袋のメッセージに込めた「ぼく」への思いを考えさせるようにする。









☆生命のつながりやかけがえのなさを感じとり自他の命を尊重することの大切さを考えることができたか。(観察)

(3)自己を見つめる。
○なぜ「命は大切」なのでしょう。命を大切にすることについて感じたり考えたりしたことを書きましょう。
・自分の命は自分だけのものではない。受け継がれてきた命を無駄にしてはいけないし、精一杯生きなければいけない。

●いつものように、学習したことから、今までの自分やこれからの自分について振り返るよう促す。

☆自らの命も先祖から受け継がれてきた大切な限りある命であり、今後とも大切にしようとする気持ちをもつことができたか。(発言・ワークシート)


(4)学習のまとめをする。

●合唱「つながる命」を、歌詞を見ながら聴き余韻をもたせて終わる。

4.授業記録

T  これまで命について2回、みんなで考えてきました。第11回「命と平和」、第20回「命のかがやき」の2回です。自分が考えたこと、みんなで考えたことを振り返ってみましょう。
(道徳ノートや板書写真で振り返る。)
T  では、命についてどう思う?
01 失くしたらもうない。1つしかないかけがえのないもの。
02 生きることの源。
03 生き物には必ず1つある 失ってはいけないもの。
04 最も大切なもの。

T  命は大切じゃないと思っている人はいる? (いないよー。)
では、どうして命は大切にしなければいけないのかな?
みんなで考えてみましょう。

T  (教材の確認後)大好きなじいちゃんの命があと3か月だと知りました。その瞬間、ぼくはどんなことを考えただろう。
05 信じられなくて混乱している。
06 唐突なことで信じられない。
07 どうしよう。焦る。
02 お母さん、何言っているの?(信じられない気持ち)
08 受け入れたくない。
01 どうにかして治せないの?
04 おどろいている。
09 死んでしまう悲しさと、いつ死んでしまうのかという不安。

T  ぼくは毎日お見舞いに行きます。そのときはどんな気持ちだっただろう。
(ペアで話してから)
01 あと3か月。いつからやつれていってしまうのかこわい。
09 今日は元気にしているかなぁ。不安。
08 今日死んでしまうかもしれない。
05 いつ死んでしまうのかな。
02 行くときは不安。でも顔をみると安心する。
03 今日、会えるかな。話ができるかな。
10 最初のころはじいちゃんが元気で、死んでしまうなんて信じられない。
07 きっと元気になるよ。
06 顔を見ると、今日は元気でよかった。

T  「ぼく」は自分が安心したい気持ちだけでお見舞いに行き続けたのかな?(首を振る)
02 より多くじいちゃんと過ごしたい。
01 後で後悔したくない。今のうちにたくさん会いたい。
09 3か月でも1年分、2年分と同じくらいの時間を過ごしたい。
12 大丈夫だよと、じいちゃんを安心させたい。
13 会わない後悔をしたくない。最後まで送りたい。
14 じいちゃんのためにできるだけのことをしたい。

T  じいちゃんは亡くなってしまったけれど、まくらの下からしわくちゃののし袋が出てきたんだよね。とても悲しいけれど、じいちゃんから受け継いだ思いがあったのではないかと思います。ペアで話し合って、短冊に書いて下さい。
  ・じいちゃんが見守ってくれているから、前向きに生きよう。
  ・じいちゃんが最後の力をふりしぼって自分を勇気づけてくれたから、その命を大切にしていこう。
  ・じいちゃんの分まで生きよう。
  ・じいちゃんの優しい気持ちのおかげでぼくが成長できた。これからは自分でしっかりと成長していきたい。

5.板書例

6.授業への工夫及び考察

(1)導入
 本時の前に二回、生命の尊さに関する授業を行っている。ノートや板書の振り返りをしたうえで、本時のねらい示すことで、「命」について自分が学び考えたことを意識して本時にのぞむことができる。
※実施した授業の板書写真は教室に掲示してある。児童は休み時間等に話題にすることもある。

 ワークシートを見ると、生命の有限性・連続性に加えて、今生きていることの奇跡や、受け継がれた命を輝かせる等、これまでの「生命の尊さ」に関する授業で考えてきたことを絡めて考えている児童が多かった。身近な死には直面したことがほとんどない児童だが、自分なりに命の大切さに対して考えを深めている様子がみてとれた。

(2)BGMの使用
 身近な死に直面したことがない児童も多い。BGMを使用して教材提示を行うことで教材の世界観に浸り、「ぼく」の気持ちに寄り添いやすくする。また、終末も説話ではなく本時に関連する歌詞の歌を流した。自分事としてとらえた命のつながりをかみしめて終わることができると考えた。

 教材提示では、教材の世界に入り込み涙ぐんでいる児童もいた。表面にあらわれる子ばかりではないが、世界観に入り込むことができている児童が多かったように感じる。終末でも、歌詞を見ながら真剣なまなざしで音楽に耳を傾けていた。授業後、歌詞について話しているグループもあった。

(3)多様な考えに触れるために
 本学級の児童は、高学年になり、小グループであれば活発に話すことができても、自分の考えを挙手して発表することに恥ずかしさを感じる児童も多い。ペアで話すこと、短冊に書き黒板に貼ることで多くの考えに触れ、自分の考えを広げ、深められるようにした。(中心発問は小グループで話し合う予定だったが、緊急事態宣言中であったため、対面を避けペアで話すこととした。)

 自分の考えを伝え合うことで、「ぼく」に自我関与できていたのではないかと思う。しかし、ペアによっては会話が一方通行になっていたので、やはり小グループが適していたと考える。