学び!とシネマ

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幻滅
2023.04.12
学び!とシネマ <Vol.205>
幻滅
二井 康雄(ふたい・やすお)

© 2021 CURIOSA FILMS – GAUMONT – FRANCE 3 CINÉMA – GABRIEL INC. – UMEDIA

 もう60年ほど前になると思うが、中学校の国語教師のY先生の授業は、脱線とまではいかないが、教科書と関係のない話が多かった。よく話していたのは、フランスの作家、バルザックだった。曰く「バルザックは、生涯、90ほどの小説を書いた」。曰く「約200人ほどの人物の性格を描き分けた」。曰く「その作品群を自ら人間喜劇と名付けた」。曰く「バルザックを読め」と。
 このほど、このバルザックの書いた小説「幻滅―メディア戦記」が「幻滅」(ハーク配給)というタイトルで映画になった。
 今から、200年ほど前、主に、フランスはパリのメディアのありようや、貴族と一般人の差異を描いた、痛快な人間ドラマだ。
 19世紀の始め、20歳になる孤児のリュシアン・ド・リュバンプレ(バンジャマン・ヴォワザン)は、田舎町の小さな印刷所で働いていた。
 リュシアンは、仕事の合間、詩作に励み、いつかパリに出て、詩人になることを夢みていた。そんなリュシアンを理解し、応援しているのが地元の大地主の妻、ルイーズ・ド・バルジュトン伯爵夫人(セシル・ド・フランス)だ。
 ルイーズは、リュシアンのために詩の朗読会を開くが、だれもリュシアンの詩を理解できない。やがて、リュシアンとルイーズは、深い仲となる。ふたりの関係は、バルジュトン伯爵の知るところとなり、リュシアンとルイーズは、駆け落ち同然に、パリに向かう。
 パリでは、ルイーズに思いを寄せているデュ・シャトレ公爵(アンドレ・マルコン)が、秘かに、リュシアンの下宿先を世話してくれる。
 ルイーズは、リュシアンをオペラに誘う。ルイーズのいとこになる社交界の著名人、デスパール公爵夫人(ジャンヌ・バリバール)が同席するなか、観客の注目がリュシアンに集まる。田舎育ちのリュシアンの言動は、当然、客席からひんしゅくを買う。
 パーティの席上、新進作家のナタン(グザヴィエ・ドラン)だけが、リュシアンに好意的な態度を示す。
© 2021 CURIOSA FILMS – GAUMONT – FRANCE 3 CINÉMA – GABRIEL INC. – UMEDIA 下宿に置いていたお金を盗まれたリュシアンは、小さなビストロで働きだす。ここでリュシアンは、ジャーナリストのエティエンヌ・ルスト―(ヴァンサン・ラコスト)と出会う。
 リュシアンは、詩を書いていることと、芸術批評の仕事への憧れをエティエンヌに語る。現実的なエティエンヌは、うそぶく。「自分の仕事は株主を裕福にすること」と。
 エティエンヌに気に入られたリュシアンは、出版界の大物、ドリア(ジャラール・ドパルデュー)の主催する集まりに参加するようになる。ドリアは、ろくに読み書きはできないが、お金になる出版なら、どんな内容でも手を出す。
 恐怖政治を経て、王党派と自由派の対立が顕著になる。王党派を批判する自由派の新聞記者たちは、広告主の意向を汲み、世間の注目を集めるような記事ばかりを書く。
 リュシアンは、エティエンヌの依頼で、ある大衆劇の批評記事を書くよう依頼される。ここでリュシアンは、出演していた若い女優のコラリー(サロメ・ドゥワルス)と知り合う。若い二人は、たちまち男女の関係となる。
 自由派を支援する新聞2紙が合併する。エティエンヌは、新しい新聞「コルセール・サタン」の編集長になる。「もっともらしい言葉はみな真実だ」と挨拶するエティエンヌ。
 貴族たちにバカにされたリュシアンは、復讐よろしく、王党派を批判する記事を書きまくる。
 ナレーションが、当時の様子をうまくダイジェストする。「論説紙が商業誌へと変貌し、新たな産業が生まれつつあった。今や新聞は人々が望む情報を売る店だ。読者を啓蒙するのではなく、彼らの意見に媚びる。一部の記者は、文章と言葉の商人となり、芸術家と大衆の間のブローカーと化した」。
 羽振りのよくなったリュシアンは、劇場主を買収し、コラリーをラシーヌの戯曲「ベレニス」の主役になるよう画策する。
 作家として力をつけてきたナタンは、王党派とも親しい。ナタンはリュシアンに忠告する。「近く、自由派の新聞を取り締まる新法が出来るらしい。気をつけたほうがいい」と。
 早いテンポで、当時の新聞界、演劇界の内情が語られていく。多くの人物が暗躍する。ほとんどの人物が、金と名誉のために動く。映画は、2時間29分ほどのなかに、当時のメディア事情が語られ、絶妙のタイミングで、ナタンのナレーションが重なっていく。
© 2021 CURIOSA FILMS – GAUMONT – FRANCE 3 CINÉMA – GABRIEL INC. – UMEDIA 200年ほど前の話だが、メディアとお金の関係など、まったく今と同じようである。政権の批判を忘れ、お金のために、かんたんに寝返るジャーナリストは、いまの日本にも数多く存在する。
 驚くのは、主要な登場人物の人となりが、短いセリフやちょっとしたシーンから、いきいきと伝わってくることだ。映画では、原作にはない人物を造形したりするが、やはりバルザックのもとの小説が優れているからだろうか。「200人ほどの人物を描き分けた」といったY先生の言葉の真実味が増す。
 脚本、監督は、2015年に「偉大なるマルグリット」を撮ったグザヴィエ・ジャノリ。まだ学生の頃から、バルザックの「幻滅」を映画にしたいと思っていたそうだ。
 俳優たちが、みな力演。リュシアンを演じたバンジャマン・ヴォワザンは、フランソワ・オゾン監督の「Summer of 85」に出ていた。ルイーズ役のセシル・ド・フランスは、セドリック・クラピッシュ監督の「スパニッシュ・アパートメント」以来、ごひいきの女優である。そのほか、監督業を離れてグザヴィエ・ドラン、多くのフランス映画に出ているジェラール・ドパルデューなど、豪華なキャストだ。
 添えられた音楽の選曲が絶妙。なんども流れるのは、シューベルトの歌曲集「白鳥の歌」のなかの「セレナーデ」。さらに、ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲「不安」の第2楽章、モーツァルトの弦楽三重奏のためのディヴェルティメントの第4楽章、シューベルトの弦楽三重奏曲第1番の第2楽章、シューベルトのピアノ五重奏曲「鱒」の第2楽章、バッハの4台のチェンバロのための協奏曲、パーセルのソナタ第1番、マックス・リヒターの「サマー 1」などなど。
 映画を見て思った。もし、バルザックがいま生きていたら、どんな小説を書くだろうか、と。せめて、バルザックの傑作と言われている「ウジェニー・グランデ」、「ゴリオ爺さん」、「谷間の百合」そして「幻滅」と、改めて読み直したいと思っている。
 バルザックの言葉である。「幻滅の後、自分自身のうちに何かを見つけねばならない人々を思う」。

2023年4月14日(金)より、ヒューマントラストシネマ有楽町新宿ピカデリーYEBISU GARDEN CINEMAほか全国公開

『幻滅』公式Webサイト

監督・脚本:グザヴィエ・ジャノリ
出演:バンジャマン・ヴォワザン、セシル・ド・フランス、ヴァンサン・ラコスト、グザヴィエ・ドラン、サロメ・ドゥワルス、ジャンヌ・バリバール、ジェラール・ドパルデュー、アンドレ・マルコン、ルイ=ド・ドゥ・ランクザン、ジャン=フランソワ・ステヴナン
2022年/フランス映画/フランス語/149分/カラー/5.1chデジタル/スコープサイズ/原題:Illusions perdues
字幕:手束紀子
後援:在日フランス大使館、アンスティチュ・フランセ日本
配給:ハーク
配給協力:FLICKK