学び!と人権

学び!と人権

アイヌ民族と人権(その2)
2023.12.05
学び!と人権 <Vol.24>
アイヌ民族と人権(その2)
森 実(もり・みのる)

1.「とかちエテケカンパの会」

 北海道の帯広に、「とかちエテケカンパの会」という子ども会があります。「エテケカンパ」とは、アイヌ語で「手をつなぐ仲間」という意味です。1993(平成5)年に木村マサヱさん芦沢満さん が中心になって始めました。この子ども会で育ち、この子ども会から巣立っていった人は多いといえます。
 2003年、「とかちエテケカンパの会」が中心となり、実行委員会を立ち上げて先住民ワールド・ユース・キャンプが開催されました。私は、このキャンプに学生6人と一緒にお邪魔してキャンプ支援のボランティアをさせていただきました。ちなみに、このときに学生として参加した一人が、現在北海道大学に勤務しているジェフリー・ゲーマンさん です。ワールド・ユース・キャンプは、国際先住民年(1993年)から10年を記念して企画されたイベントです。ニュージーランドからマオリ、ノルウェーからサーミ、アメリカからフパの若者たちが参加しておこなわれました。いずれの民族も、先住民としての自覚を高める運動を展開し、政府からも支援を得ています。日本のアイヌ民族にもウタリ対策という事業はおこなわれていましたが、先住民族としての権利を認めたうえでの事業ではありませんでした。
 「とかちエテケカンパの会」は、もともとアイヌ民族の子どもたちに学校の勉強を教える会として始まりました。しかしまもなく、子どもたちが学校などで差別事象にくりかえし出合っていることが分かりました。学校の勉強という問題だけではなく、差別と闘うこと、なかんずくアイヌ民族としてのアイデンティティを確立することが課題だと明らかになったのです。
 子どもたちがアイヌ民族として確かなアイデンティティをはぐくむにはどうすればよいでしょうか。この筋道は決して一つではないでしょう。「とかちエテケカンパの会」では、ふだんからアイヌ民族の文化を活動に位置づけるとともに、諸外国の先住民族と交流することを通してこの課題に取り組もうとしました。
 たとえば、1995年に初めてカナダへヘイルツク民族との交流に出かけました。参加者であった一人の若者は、このときの感想を次のように述べています。

「ヘイルツク民族の同年代の男の子と話して、学校で嫌なことがあったとか、同じような境遇にあるのを知った。それから互いの踊りを披露したんだけど、ヘイルツクの子が上半身裸で声を張りあげて踊る姿がカッコよすぎた。俺、何やってんだろうと思ったね。」

nippon.comの記事 より)

 さきに紹介した先住民族のワールドユースキャンプに大阪から参加した私や学生たちは、諸外国から来た先住民族の若者たちに出会うことができました。その体験は、先の感想にもあるとおり「カッコよすぎた」というのが一番大きな印象です。もちろん私のような和人と先の感想を述べたアイヌ民族の若者とでは、出会いのインパクトとその意味は異なるにちがいありません。(今回の文末に掲載している「暫定的提言:教育」は、このワールド・ユース・キャンプで生まれた提言です。)

2.被差別・被抑圧の立場にある人たちの成長の筋道

 ワールド・ユース・キャンプに向けての取り組みのなかで、私は部落差別に関連する取り組みを紹介する機会をいただきました。その際の印象深いことがらの一つは、次のようなことです。
 私は、部落差別に関連して、「差別と全般的不利益の悪循環」について説明しました。部落差別は、結婚や就職など重要な人生の場面で表れますが、それだけではなく日常生活に出てくるものです。その影響により、部落出身者はそれぞれの場面で生き生きと暮らしにくくなります。それだけではありません。前のステージが後のステージに影響を及ぼして、人生全般が制約されます。この悪循環により、①被差別側の生活機会が制約されます、②被差別側が自分自身・親・周りの人たちを否定的に見やすくなります、③周りの人たちの人間観がゆがみます、④社会全体が人材を失います、などの影響が発生するのです。差別を放置するのは、被差別者はもちろんですが、社会全体にとって、すべての人にとってマイナスだということです。
 このような説明をしたうえで、「アイヌ民族の場合はどうでしょうか?」と質問したときです。一人の参加者は、「アイヌにそんな悪循環はない」と発言しました。それに対して、木村マサヱさんは「そんなことあるもんか。私たちが苦しんでるのは、これと同じ悪循環があるからじゃないか」と発言しました。
 その後の調査によって統計的に見ると、この点は明らかでした。北海道大学アイヌ・先住民研究センターが2008年に調査をおこなっています。その結果によると 、平均世帯年収は全国平均の566.8万円や北海道平均の440.6万円に対して、アイヌ民族は369.2万円です。生活保護率も北海道全体では3.9%であるのに対して、アイヌ民族では5.2%となっています。雇用関係でも不安定なものが多く、常時雇用者は北海道や全国の半分ほどでした。さらに、アイヌ民族の大学進学率 は、2006年で17.4%であり、北海道民平均38.5%の半分以下となっていました。
 このようなもとで、アイヌ民族の子どもたちのなかには、くやしい思いを重ね、肩身の狭い思いをしながら生きている人たちがいます。そのような子どもや若者たちが成長していく筋道は様々になるでしょう。私が「とかちエテケカンパの会」の活動を通して学んだのは、アイデンティティの確立が様々なことに影響を及ぼし、自信を持って生きていくことを支えるということです。

3.被差別・被抑圧の子どもたちが成長するために

 もう1枚のイラストがあります。このイラストは、アイヌ民族に関わる活動から生まれたものではありません。おとなの識字運動に関連して話し合うなかで生まれた図で、識字とは何をしようとしているのかを端的に表しています。

 図の左から右へと時間は移っていきます。一番左にあるのは、幼い頃から様々な理不尽な体験や肩身の狭い思いを重ねるなかで、小さくなって過ごすことを強いられやすいことを表しています。背景にある山脈は、いまの社会の構造を表しているのですが、その山脈の上の方からは、さまざまな重石が子どもたちの頭にふってきます。重石が重なるたびに、子どもたちはズンズンと縮められる思いがすることになります。育つうちに、「自分の未来は狭い」と思ったり、自分で自分を枠にはめて「こんな風に生きていくしかない」と思い始めたり、「負い目」を抱きながら成長していくようになったりすることがあるのです。
 教育はこのような状況に働きかけて、その重荷を解き、自分の人生にはめていた枠をほどき、負い目を解消していくことをめざします。
 そのための具体的な取り組みと変化が、中程の矢印に描かれています。重要なのは、それぞれの子どもが体験してきた事実を土台に据えることです。事実をていねいにふりかえり、それを文章につづったり絵に描いたりします。そのことを通して自分の体験や思いを客体化するのです。これによって、自分を縛っていたものから少し自由になります。生いたちをふりかえる活動をほかの人たちと一緒に重ねることによって、それぞれが抱えさせられてきた重荷を共有できるようになるといえます。なぜ自分たちにそのようなことが発生しているのか、社会の仕組みと関連付けて学ぶことにより、世の中の見え方がさらに変わっていいきます。このプロセスでは、自分に先立ってアイデンティティ確立を果たしている人との出会いが重要になるでしょう。「自分だけじゃない」と思い始めることによって絆が広がり、重石だったものがしだいにエネルギーの源へと変わっていくのです。自分たちが発見し、獲得したものを社会に発信することにより、支配の山脈を崩す一翼を担うようになります。こうして、未来への創造と構想をつくりだすのです。
 このようにして成長した人たちは、夢や希望を抱くようになり、自らに課していた枠を崩し、誇りや自信を取り戻して、自由になっていきます。かつて重石だった生いたちは、いまや宝物としてその人を支えているのです。
 もちろん、これほど単純に物事が進むわけではないでしょう。進んだり戻ったりが繰り返されます。そんななかで、さあっと道が開けることがあります。道筋は、一人ひとり違うことでしょう。しかし、違いはあっても、前へと進む手がかりは得られるはずです。
 「とかちエテケカンパの会」に参加した子どもたちも、このような筋道に近い道をたどったのではないでしょうか。その際に、自分たちの前を歩く、先輩たちの姿が大きな力となります。そういう出会いを設定することが、求められる大きな仕事一つとなるといえます。

 2020(令和2)年、「とかちエテケカンパの会」はアイヌ民族文化財団の文化奨励賞 を受賞しました。また、2022年には会長の木村マサヱさんが吉川英治文化賞 を受賞しました。

【参考・引用文献】

暫定的提言:教育

先住民ワールドユースキャンプ2003(十勝)
2003年8月11日18:00

 私たち、フパ・マオリ・サーミの代表、および日本の先住民であるアイヌのメンバーは、世界の先住民の若者たちによるネットワークを広げるために、ここ日本の十勝に集まった。私たちは、アイヌの教育、アイヌの未来を拓くための教育について話し合った。アイヌは日本の先住民である。アイヌの子どもや若者は、先住民として権利を保障されなければならない。参加国の先例にならえば、アイヌの若者は権利として社会的にいっそう支援されるべきだと私たちは確信するものである。私たちはアイヌ文化振興法についても学んだ。同法にある文化の定義に加えて、教育それ自体が文化の一部であると考える。そして、次のような手立てをすすめるよう強く求めるものである。

  1. アイヌ文化を振興し、アイヌの子どもたちを勇気付けるためには、アイヌの教員が不可欠である。彼らは、その存在自体が積極的な役割モデルとなるだろう。私たちは、アイヌの教員が稀にしかいないことを知っている。教員養成系の諸大学は、クオータ制(割当制)を含む積極的な差別撤廃政策をとるべきである。
  2. ニュージーランド・ノルウェー・カナダ・アメリカ合衆国の例にならえば、特にアイヌの子どもたちのためのオルタナティブ教育(*1)を実現することに向けて真剣に話し合うべきである。
  3. アイヌに関する教育カリキュラムを検討し、歴史的に見て正しい記述となり、現代のアイヌ文化を含むように、改め発展させていくべきである。公教育では、アイヌの言語をはじめ、歌や踊りなどアイヌの文化を教えるべきである。
  4. 教員への支援が必要である。それらの支援は、政府関連の教育機関において、教員養成や研修といったかたちですすめられるべきである。すすめるにあたっては、アイヌの人たちが認める研究組織や個人と連携することを土台に据えるべきである。
  5. わたしたちは、アイヌの子どもたちに対して、文化的でかつコミュニティ(*2)に根ざした教育活動が必要だと認識している。その活動は、学業達成(学力や学歴)を支える上でも決定的に重要である。
  6. アイヌの教育的ニーズに合致するよう、上記すべての項目に対する財政的支援が政府から提供されるべきことは最も重要である。

(正文は英語です。日本語版は、今後の検討によって変わる可能性があります。)

*1:従来の公教育制度にとらわれず、一部の公教育に新しく取り入れられた新スタイルの学校を指すことば。たとえばアメリカでは、市民団体が様々な特徴を持つ学校を設置し、それを教育委員会が公認して資金を出すチャータースクールなどがある。
*2:英語のコミュニティということばには、空間的に定義される地域的共同体だけでなく、空間にとらわれない精神的共同体という意味合いもある。ここではその両方の意味合いを込めている。