学び!と歴史

学び!と歴史

戦後70年をみつめ
2015.08.25
学び!と歴史 <Vol.91>
戦後70年をみつめ
大濱 徹也(おおはま・てつや)

70年という年

 2015年、今年は1945年8月15日のポツダム宣言を受諾、降伏したという「終戦」を告げる玉音放送から70年ということで、「戦後70年」をめぐる各種の言説がマスコミをにぎわせています。この敗戦から70年ということは、1945年6月から義務兵役制が15歳の男子を兵役に就かせることが出来るようになったことをふまえれば、現在85歳以上がこれに相当するわけです。85歳以上の人口比は5%を切っています。かつ、戦場体験がある人は敗戦時20歳以上でしょうから、現在90才以上に相当します。このことは、戦争体験、なかでも戦場体験をして、己の言葉で戦場の死を語れる世代が今後年とともに亡くなっていくことにほかなりません。
 日本は、米英中露等の連合国、日本に宣戦布告をした国が60ヶ国ちかいように世界を敵として、イタリア、ドイツ降伏後は日本一国で世界を相手に戦争を続けたのです。その「終戦」は、焦土決戦を呼称し、天皇の「臣民」である国民を楯として、皆殺しても「天皇の国」を守るとして戦争を続けたはてに、「国体」は守られたとしての降伏でした。この敗戦という痛覚は、「終戦」と言いかえられ、8月15日を「終戦記念日」として先祖迎えの御盆行事にのみこみ、降伏文書を調印した9月2日を無化することで、国民の記憶から故意に忘れられていきます。
 それだけに敗戦後70年という現在は、日本の戦争とは何かを戦場に生きた人びとに同伴し、その追体験をふまえて問い質せる最後の時とも言えましょう。そこで、革めて70年の現在、何が問われているのかを考えてみることにします。

敗戦という現実に向き合ったろうか

 日本国民は「敗戦」に目を向けたことのない民族ではないでしょうか。世界の歴史は、民族の興廃、国家の興亡として描かれており、民族の敗北、滅亡を凝視するなかに国家を新生させていく物語です。しかし日本という国は、歴史をさかのぼれば、663年の白村江で唐と新羅の連合軍に大敗、日本軍は百済の遺民を引きつれて日本に逃げ帰ったことがあるものの、民族としての敗戦体験を問い質したことがないようです。
 白村江の敗北は、天智天皇をして外的襲来に備え対馬・壱岐・筑紫等に防人を配置、筑紫に水城を、都を守る山城を造営、琵琶湖がひかえる近江大津宮に遷都したように、外国の侵攻に怯えさせました。天武天皇は、兄天智の敗戦体験を引き受けながらも、外敵に侮られないだけの国家の造型をめざし、律令による国家の整備をすることで、「大君は神にしませば」と寿がれるまでに王権を強化し、国家体制を整備します。
 しかし天武王朝の歴史は、国家存在の要に天皇の物語として説くものの、敗北を問い質すことはありません。国家の歴史は天皇を起源とするを神話として語る作法で潤色されたのです。このような歴史の作法は、その後もモンゴル襲来を「神風」で乗りきったという「神国」日本の物語で語り継ぐことで、民族の体験として「敗北」「敗戦」がない「神国」という幻影に依存する歴史認識を日常化していくことともなりました。
 このような歴史認識は、「大東亜戦争」に対しても、敗戦という現実を受けとめることができないまま、「終戦」と読みかえる歴史の読み方をなさしめたのです。日本人は「敗北」を己の問題として問い質すことが出来ない民族なのでしょうか。そこには、常にある種の「勝利」感覚にかくれて世渡りすることが好きな民族の遺伝子が埋め込まれているようです。このことは、経済大国日本の後退を認めたくないがために、いまだに「経済大国」日本の幻想によりそい、「美しい日本」と潤色し、敗戦で貶められた日本のあり方を「戦後レジューム」と問いかけることで否定し、「積極的平和主義」を唱えて「大国」日本を言挙げする安倍晋三首相の言動に読みとれましょう。

「戦後レジューム」という幻想

 敗戦後の日本はどのような国家をめざしたのでしょうか。たしかに日本国憲法、なかでも第9条が説く国家の非軍事化を「神話」とした「平和憲法」という言説による「平和国家」への道が理想化されています。しかし国家のかたちは、第1条が規定した天皇を象徴となし、天皇に付与された「平和」であり、「人権」でしかないのではないでしょうか。この第1条は、1946年1月1日の詔書で天皇が自ら現人神にあらずと述べた「人間宣言」をふまえたもので、明治天皇が国是として示した「五箇条の御誓文」を冒頭にかかげ、日本の民主主義の原点を提示したことをうけたものです。
 敗戦後の新国家は「五箇条の御誓文」を源流とする「民主国家」をめざすものでしかなかったのです。そこで問われるのは、第9条の非軍事国家という理念を内実化していくうえで、国民主権を実態化するために第1条にどのように向き合うかではないでしょうか。この第1条を「私」の問題として問い質すことが現在求められているのです。「戦後レジューム」克服を説く論者は、第9条の非軍事化国家像よりも、天皇を「象徴」から「国家元首」とすることで、戦後日本の国家像を変更することをめざしています。
 このような動向にある種の危機感をいだいているのは現天皇明仁であり、皇后美智子です。その言動は、激戦地への弔慰の旅であり、「先の戦争」と「大東亜戦争」にことよせて語る「平和」への思いにうかがうことができましょう。
 安倍首相は、アメリカの議会演説で合衆国の戦死者を刻したフリーダムウオールにふれ、第2次大戦における合衆国の若者の崇高な死にふれ、日本の戦死者と同じにみなしました。しかし日本の戦死者は、「自由」のために命をささげたのではなく、天皇に死を強要されたのです。この知の落差、国家のありかたへの無知、無感覚が日本の首相の歴史認識なのです。その意味では、現天皇皇后の方が国家の強要した死の重さを己の痛覚として知っているのではないでしょうか。
 想うに、戦後70年という現在ほど明治の「五箇条の御誓文」から読み解く「民主主義」ではなく、私が一個固有の存在であるという原点にささえられた人権のあり方から国のかたちを問い質したいものです。「美しい国」日本などと「先進国日本」幻影に酔う実態のない空虚な言説に流されることなく、日本という「国のかたち」を「私」の場から問い質し、「五箇条の御誓文」に依拠した国家の物語ではない、国民の物語を創りたいものです。

『官報』昭和21年1月1日発行

参考文献

  • 大濱『天皇と日本の近代』同成社 2010年