学び!と歴史

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新島襄の初心【大河を読み解くシリーズ1】
2013.02.28
学び!と歴史 <Vol.60>
新島襄の初心【大河を読み解くシリーズ1】
「八重の櫻」が問いかける世界には何があるのか
大濱 徹也(おおはま・てつや)

「八重の櫻」は何を問いかけたいのでしょうか

新島襄<国立国会図書館ホームページより転載>

新島襄<国立国会図書館ホームページより転載>

 昨今話題の大河ドラマ「八重の櫻」は、戊辰内乱における会津城攻防で奮戦した女性、山本八重を主人公したもので、3・11の東北大震災から立ちあがろうとしている東北への応援歌、会津落城の悲運を乗り越え、新時代に飛翔していく精神のありかを八重の生き方を問うことでさぐり、現在何が求められているかを照射しようとの思いが託されているようです。NHKは、「八重の櫻」のみならず、「日本人は何を考えてきたのか」なる番組においても、強く「東北」にひきよせた目で現在問われている課題を提示しようとしております。ここには、その短絡的にしていささか強引な番組づくりはさておき、東北再生に日本の明日を思い描き、その原点に精神の賦活をうながす魂の拠り所を求めたいとの強き想いが読みとれます。「八重の櫻」は何を現代に問いかけようとしているのでしょうか。会津士魂なるものの原点にある「ならぬ事はならぬものです」と語り聞かされてきた世界こそは、よるべき精神の在りかを忘失したかに見える現在の教育に対するかなめ石とみなし、世間の風浪に立ち向かえる強き心を担いうるものとのメッセージを提示したいのでしょうか。
 私は、山本八重-同志社の創立者新島襄の妻なる女性が巷の話題となり、その相貌が日本のジャンヌダルクなる物語として語り出されたのを目にした時、強い違和感に囚われた一人です。八重を「会津士魂」に引き寄せて語るのではなく、夫新島襄が説き聞かせた世界と重ね、襄が日本に寄せた世界に八重の生き方を読み解くことを期待したことによります。

時代人心に寄せる新島襄の想い

 上州安中藩(現群馬県安中市)江戸詰家臣新島襄(幼名七五三太〔しめた〕)、アメリカにおいてキリスト者となりヨセフの物語をふまえ襄)は、ペリー来航によって生まれた嘉永癸丑(嘉永6、1853年)からの危機の時代、神州の明日に想いを馳せ、欧米列強の植民地にされるのではないかとの激しい攘夷の志にうながされてアメリカに密出国した青年です。青年の心には尊皇なる義に身を捧げた楠正成を追慕する心がありました。
 新島が湊川の正成の廟に詣でたのは、文久2(1862)年12月、備中(現岡山県)高梁藩の船で訓練中、兵庫に入港した際です。湊川の楠公廟に立った新島は、「手洗い口そそぎ、廟前に拝すれば、何と無く古を思い起し、嗚呼忠臣楠氏之墓と記したるを詠みて一拝し、又詠みて一拝、墓後に廻り朱氏の文を読めば益感じ涙流さぬ計り」と感きわまり、「寒風吹来」るなかで、己のこころを「幾とせも尽ぬ香を吹きよせて袖にみたす松の下風」という歌にたくし「吐出」しております。まさに楠公によせる強き思いは、終の棲家となった京都の自宅書斎(京都御所の側、上京区寺町通り)にその拓本「嗚呼忠臣楠氏之墓」の銘文をかかげているなかに読みとれます。この日の感奮こそは心の原点となったものです。この兵庫では、湊川の帰路に平清盛の墓を一見しますが、「甚大なる者なれ共、一拝する気はなかりけり」と、平氏を天皇に背いたものと冷たく見放しています。ここには、頼山陽の『日本外史』が説き聞かせた尊皇の国日本という国のかたちによりそうことで、己の立つ場を確かめる青年の姿がうかがえます。
 新島は、嘉永癸丑以来の危機に対処するためにも、日本を脅かす「夷狄」たる欧米列強を知ること、夷情探索が急務との想いにうながされ、米国行きを決意、函館でその機会をうかがいます。開港場函館の地でロシア領事館が経営する病院の親切な対応に「函館の人民」の心が引き寄せられている状況を見聞した新島は「予切に嘆ず、函館の人民多年魯(ロシア)の恵救を得ば、我か政府を背に却て汲々として魯人を仰かん事を」との強い危機感にとらわれます。その想いは、堤防の小さい穴がやがて決壊して田地人家を流出させるように、「嗚呼我政府早く函館の少しく欠けし堤を収めされば、遂に魯国の水全堤を潰し、人民水に順い流れ、百万其れ塞ぐ能わさるに至らん(嗚呼我の嘆息はゴマメの切歯と同じ事か)」と、ロシアの植民地となるのではないかとの強い危機感でした。この危機感こそは、新しい国のかたちを求め、密出国をさせ、船中で聖書の神に出会い、米国における精神の覚醒に途を開き、キリスト者たる己の場を確かなものとし、新島襄、日本を導くヨセフたらんと決意した新島襄を誕生させたものにほかなりません。

一国を維持する者とは

 帰国した新島襄は、日本にキリスト教主義の大学を創設し、新生日本を担うにたる人物の育成をめざします。この教育への志は、政府が富国強兵をささえる人間を求めたのに対し、国家の富強が人民の道義力にあるとの思いにほかなりません。「同志社大学設立の旨意」(明治21年11月)は一国を維持する上で何が求められているかを次のように問いかけています。

一国を維持するは決して二三英雄の力に非ず、実に一国を組織する教育あり、智識あり、品行ある人民の力に拠らざる可からず、是等の人民は一国の良心とも謂う可き人々なり、而して吾人は即ち此の一国の良心とも謂う可き人々を養成せんと欲す、吾人が目的とする所実に斯くの如し、諺に曰く、一年の謀ごとは穀を植ゆるに在り、十年の謀ごとは木を植ゆるに在り、百年の謀ごとは人を植ゆるに在りと、

 このように問いかける新島は、明治23年の国会開設を前に、「立憲政体を維持するは智識あり、品行あり、自から立ち、自から治むるの人民たらざれば能はず」と、立憲政体が地に根ざすために求められる「人民」像、市民の在り方を説き聞かせています。この「智識あり、品行あり、自から立ち、自から治むるの人民」への期待、この新島の激しき思いは現在実現しているでしょうか。この問いかけに心すれば、昨今聞く「教育再生」とか「美しい国日本」なる言説には、「一国の良心とも謂う可き人々」への目がないだけに、その空虚さのみがめだちます。
 「八重の櫻」は、ここに紹介した夫新島襄の問いかけを八重がいかに受けとめていたか、この視点から八重の激しき生き方を検証してみたらどうでしょうか。「ならぬ事はならぬものです」という世界は、新島が国のかたちの原器を担うとした精神の在り方を場に問い質したとき、明日を生き得る精神の糧を可能にするのではないでしょうか。その際、前回述べた新渡戸稲造が説いた垂直的な思考をする目と重ねて世界を読み解くとき、新島の智識、品行、自立、自治を可能とする私の場が確かなものとなるのではないでしょうか。


参考リンク

参考文献

  • 大濱徹也『天皇と日本の近代』同成社 2010年