教育情報

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親と子どもの責任にするなら担任いらんやろ!
2013.08.09
教育情報 <日文の教育情報 No.128>
親と子どもの責任にするなら担任いらんやろ!
大阪教育大学監事 野口 克海

icon_pdf_small「日文の教育情報 No.128」PDFダウンロード(333KB)

■ 「ボクは家がきらいです」

 小学校6年生のA君が勉強机の上に短い書き置きを残して、2万円を持って家出した。母親からの連絡をうけた学校は、友達関係など心当たりを校長を先頭にみんなで捜しまわった。翌日の早朝、家から少し離れたコンビニで買い物をしているところを父親が見つけて、事無きを得た。
 事件はこれだけである。
 この事件の報告を校長から聞いた。「母親は勉強、勉強と子どもを追いたてている。」「父親は今回の事件で初めて会ったが、日頃は子育ては母親まかせのようで、子どもとあまり会話がないようだ。」「子どもも弱いところがあり、自分の意見をはっきりと言わないことが多い。」
 校長の話の結論は「家庭に問題があり、子どもにも問題がある」ということらしい。

■ 「学校には問題ないの?」

 校長の話を聞いていて違和感を覚えた。
 「そこまで悩んでいる子どものことを気づいてやれなかった担任はどう言ってるの?」「事前に相談にのってやれなかったことに少しは責任を感じているんですか?」
 子どもと一緒に遊んだり、話しあったり、たくさんしている先生は、子どもの変化に気がつくはずだ。
 「この頃、A君元気がないなあ?」とか、給食の時間や学級会での発言の様子から、気になる子どもは放課後、ちょっと残して話を聞いてやることもできたのではないか。
 私の質問に校長は答えた。
 「A君が家出した時、担任はびっくりしてました。“あんなにおとなしくて、真面目な子がどうして!”って。」「担任の先生はよくやってくれる先生で、毎日、学校に遅くまで残って仕事してます。先生たちは本当に忙しくて、ゆっくり子どもたちと遊んだり、話しあったりする時間がなかなかとれていません。」
 そう校長さんは担任を弁護した。
 「子どもの変化に気がついてくれない先生たちの学校では、事件が起こったら校長が謝罪することになるんやで…。」

■ 子どもが見えるということ

 しっかりと家庭訪問して、親の子育ての様子や考えを聞く、子どもの生いたちや健康のこと、友達関係や将来のことも受けとめる。
 しっかりと学級経営をして、班活動や学級会など集団の中での子ども一人ひとりをよく観察する。
 しっかりと授業して子どもの学ぶ様子を見る。班長会議や班ノート、交換日記などで子ども一人ひとりとつながる。
 しっかりと遊んで、話を聞いてやる。
 教師の仕事は、当たり前のことができていないと、子どもの変化に気がつかなくなってしまう。
 「子どもが見える」というのは「子どもの心の変化に気がつく」ということである。
 教師が多忙で、子どもとゆっくり遊べない、話しあえないというのは本末転倒もはなはだしい。
 子どもが学校にいる時間は、パソコンの前に座らない。全部、子どもと一緒に過ごす。子どもが帰ってから、パソコンの前に座る。
 子どもと過ごすのが本業で、それ以外は雑用と考えたい。そういう学校をつくりたい。

■ もう一度学校を見直そう

 全国連合小学校長会会長の堀竹校長が新聞(日本教育新聞6月17日付)でインタビューに答えて次のように語っている。「今の学校は、行政から次から次へと課題が寄せられ、必死になって受け止めている。でも、全てを実施することなどできはしない。自分の学校にとって、今、何が本当に必要かを選択できる力が欲しい。今後は事の順序を考え、経営の充実に努めて欲しい。その際、最も重要なのは、『子どもにとっての最善の利益は何か』という視点だ。」
 久しぶりに良い記事を読んだ。まったくそのとおりである。
 現場が忙しいのは事実だと思うけれど、それを言い訳にしてはいけない。
 「本当に必要なことを選択できる力」が問われているのではないか。
 最近、若い教師が学校現場にどんどんと増えてきている都府県も多い。若い先生の中には、「エーッ!子どもが家出しても担任の責任ですかあ!」と言う人もいるかもしれない。
 そういう人に私は言いたい。「親の責任、子どもの責任にするだけなら担任はいらんやろ!」
 少しは担任の責任を感じて反省してくれる教師を育ててくれる校長さんもたくさんいて欲しい。

著者経歴
元 大阪府堺市教育長
元 大阪府教育委員会理事 兼教育センター所長
元 文部省教育課程審議会委員

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