旧学び!と美術

旧学び!と美術

線と色の不思議
2011.07.15
旧学び!と美術 <Vol.46>
線と色の不思議
天形 健(あまがた・けん)
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今月のPhoto:水位が下がった河原の石に笹の葉のような模様を発見。鮎が堅い口を横にして削ぎ取るように藻を食べた食痕です。姿は見えませんでしたが、豊かな自然を感じます。(会津美里町)

 前回の線の不思議で書き残したことがあります。それは線の多様な表現性です。私たちの優れた想像力と認識力と言った方がいいかもしれません。子ども達は紙や鉛筆がなくても、棒切れや指で地面や砂浜に絵を描きます。落ち葉を線状に並べて遊んだり、紙の短冊を貼りつなげて線に見立てることもできます。また、規則的な点の列を線として認識したり、2点を結ぶ直線をイメージとして抱いたりすることもできます。

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図−①

 図−①は、東日本大震災の支援を終え飛行中の米軍機に向けて、宮城県の被災者が砂浜に棒切れを並べて描いたお礼のメッセージ「ARIGATO」です。図−②は、「ナスカの地上絵」(日文教科書 中学「美術」1年)です。いずれも線によって描かれていますが、線として用いた棒切れや地面の溝は、作者が線状に見立てる発想が文字や描画として成立させたと考えられます。「ナスカの地上絵」は、表土を取り除いたところに現れる白い土と表土との明度・色相差が線となっているようです。それは砂浜に描く線や地面に水で描く線などでも体験することができます。

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図−②

 普段はあたりまえのように行っている行為でも、条件の異なる多様な線状のものを「線」として認識し、文字や絵の表現に活用する私たちの能力には、多くの不思議が隠れています。
 次に、色彩に関する不思議です。
 多くの語彙を獲得している学生達に、知っている色名を問うと、おおよそ50ほどの色名が挙げられます。シルバーホワイトやチタニウムホワイトなどの油彩絵の具にある材料色名等を加えても70色程度でしょうか。子ども達の描画やデザイン表現では、色名を頼りに色を選び配色を考えている可能性があります。もしそうであるなら、発想される色数は限られたものになってしまうと思われるのです。
 1枚の絵の中に、緑系と思える色を2色以上使わなかったり、鮮やかな赤と鈍い赤を響き合わせることに気付かなかったりする可能性もあります。色名に頼る色彩指導の限界を感じます。
 パソコンのモニターは、1677万色の表示が可能だとされています。優れたヒトの視覚は、それほどの色を識別できるのでしょう。ただ、私は以前から、それらが誰も同じ色に見えているのかが疑問でした。私自身、左右の目で色味が少し違って見えた経験があります。人によって、生き物の属や種の違い、あるいは個体によって、色が違って見えているかもしれないという疑問を抱き続けていました。
 魚類は、赤や青の識別ができると言われています。そして、赤を怖がらないというので、わざわざ赤に着色した釣り針まであります。その魚類とヒトの色認識を比べるのはナンセンスかもしれません。ヒトの目では、水中と空気での色が同じように見えるとは限らないからです。水槽等では、ほぼ同じように色は見えますが、海の中では、魚屋さんで見るのとは異なり、実に巧みな擬態をしている水中生物達に出会います。
 ヒトの視覚が認識する色幅は、虹色(スペクトル)で示されます。赤色は見えず紫外線が見えるといわれる昆虫は、紫外線がどのような色に見えているかを確かめようがありません。ヒトも微妙に見ている色に個人差があるのではないかと思われます。例えば、教科書にある12色相環を見ながら、照明を暗くしていくと、色視力が低下していくのを感じます。相当薄暗くなっても明度差は分かりますが、赤色や青色など、明度差の近い色の認識が困難となります。この現象には微妙に個人差があると考えられますし、また、個人においても体調等の状況によって色認識に多少の変化があることを意味しているのではないでしょうか。自然界にある色や街にあふれる装飾の色であっても、見る人によって、必ずしも同じ色に見えていないのではないかという疑問が起こりそうです。
 ヒトには、光源の異なる条件下においても、トンネル内等の特殊な光源を除けば、色相を認識する能力があります。蛍光灯下であっても、電球灯下であっても、それらが反射する色を太陽光の下で見る色に調整しながら見ることのできる優れた能力です。それでも、微妙に色認識が個々に異なる特質があるのではないかと思えるのです。

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図—③

 ところが、図—③のような昆虫の擬態をみると、ヒトも昆虫も、鳥類も、同じように色を認識している可能性があると思われる場合もあります。彼らは実に巧みに擬態をします。その昆虫の擬態は、見つからないための対象がヒトとは考えにくいからです。昆虫にとって多くの場合は、捕食者から身を守ろうとする対象がヒトではなく鳥類なのかもしれないのです。
 一方、同じ昆虫でも、ヒトが見ている翅の色から雌雄の差がわからないと思われていたモンシロチョウは、紫外線の見える同種間では、雌雄が全く異なって見えていたという調査研究があります。そのことが一層違って見えると思う一因でもあったのですが、種によって知覚できる波長の幅に差があっても、緑や青を私たちと同じように知覚し、認識していると考えられるのです。そうでなければ、昆虫や魚の体表が、何のためにそのような色なのかを私たちが理解できない色で自然界は溢れているはずです。草原に紛れるライオンの色も、鳥が見ると波間に同化してしまうサバの背の模様も、キャベツの葉脈に沿うモンシロチョウの幼虫さえも、私たちの視覚は、しっかりとその意味を理解し擬態マジックに感動できるのですから。

【今回は、導入事例をお休みします】