旧学び!と美術

旧学び!と美術

線で描くという表現力の不思議
2011.06.16
旧学び!と美術 <Vol.45>
線で描くという表現力の不思議
天形 健(あまがた・けん)
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今月のPhoto:放射能汚染が心配される福島ですが、自然界では、しっかり生命の営みが行われていました。田植えが行われる直前の水田でオタマジャクシが誕生していました。(郡山市)

 図工・美術の指導や自らの表現活動を通して、常々、不思議に思っていることがいくつかあります。それは人間の能力についてであったり、子ども達の才能であったりしますが、折々に、納得することを見つけようとしながら、その不思議に突き当たるたびに、美術教育の奥深さを感じたりもしてきました。ただ、それらのことに深く悩みすぎると、私の教育実践や美術教育研究が停滞する可能性がありますから、直視しないようにしてきたことでもあります。すでに解決済みの方がいるかもしれないと思いながら、今回は、そのいくつかを吐露してみます。私と異質な納得の仕方をしている方がいましたら、情報をいただける機会があることを願います。
 まず、線に関する不思議です。
 私が生徒や学生に、黒(濃緑)板を使って絵を描いたり、図に示したりして説明する時に、描画材は白色や黄色のチョークです。当然、絵や文字は、明るい白や黄色で描かれます。ところが、生徒や学生がノートやスケッチブックに描く線の多くは、黒の鉛筆です。彼らは何の違和感もなく書き写したり、黒板の図を参考にしながら描画したりしています。特に、黒板の図形に陰影をつけるときなどは、私自身が描いていて、明暗の逆転に違和感を感じることがあるにもかかわらず、彼らには、白黒の逆転を瞬時に行い、還元して描画する能力があるようなのです。
 私が幼少の頃に廃屋の中で発見した石盤・石筆をノートに用いていた時代には、そういった違和が生じなかったと思われます。生徒も先生も黒地に白の字や絵を描きながら授業を進めた筈ですから。それ以前の時代には、白い和紙に毛筆を用いるのが基本であったように思うのですが、家紋や拓本には、白黒の図と地の逆転表現があります。京都の大文字焼き(五山送り火)や近年各所に見られる電光掲示板なども、一般的な文字媒体とは異なる図と地の逆転表示を私たちは認識していることになるのでしょう。これらを単なる図と地の逆転能力として誰もができることにしてしまえない不思議として考え続けていたのです。
 というのは、私たちが行う木炭デッサンは、白い木炭紙に黒の諧調を用いて、視覚と類似した明暗の配置を描き出すことと言えますが、それは明るい紙に暗い方向に色をつけるだけの行為とも考えられます。その逆表現である黒い画用紙に白のコンテや色鉛筆で表現した経験のある方は、白黒逆転の戸惑いが理解できるのではないでしょうか。この時の戸惑いは、10段階等で示され木炭の明暗諧調の白側から描き始めるか、その逆かの問題であるわけですが、慣れるまで容易なことではないことを考えると、ごく自然に白黒を逆転させてノートを執っている生徒や学生が不思議だったのです。
 もう一つの線の不思議は、線で描かれた形をモノとして、誰もが認識できる能力です。線は文字や図や絵を描くための基本要素です。そして、授業や日常生活で多用され、自然や環境にあふれています。とはいえ、線そのものは存在せず、3次元世界に生きる私たちには概念でしかないようなのですが、私たちの想像力と線の演出は、豊かな表現力を支えてくれています。

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図−①

 その線で黒板に円(輪)を描き、その形から想像できるものを学生に考えさせると、多くの学生は「月」、「ボール」、「大福」などと線で囲まれた形の内部に想像したモノを答えてくれます。円(輪)の本来の形であるかもしれない「輪ゴム」と答える学生はほとんどいません。「月」に見立てていたその円に、図−①のような絵を描き加えると、円が「輪ゴム」や「針金」に見えてきます。これは正六面体(立方体)を描いた場合も同様です。線を輪郭線と認識し、線で囲まれた部分をモノと見立て「サイコロ」や「豆腐」に見えるのです。本来は、線を実態と認識し、線を棒状のモノと捉えるのが普通であるように思うのですが、幼い頃からの描画体験によって線で描かれたモノを想像できる能力が備わると考えられるのです。
 おそらく、描画材を初めて用いる幼児は、画面上を走らせた描画材の軌跡である線を楽しむのでしょう。そのうちに、閉じられた線の内側に何かのモノの形を発見したり、想像したりする経験が積み重なり、線描の能力や伝達性を獲得すると思われます。

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図—②

 図—②は頭足人と呼ばれる描画の発達期を示す作品ですが、線で囲まれた頭部と線そのものが実態として足部を表した線描認識の過渡期と捉えることができます。成長とともに線描の認識がすすんでも、線と輪郭線を使い分けることはありますが、多くの場合は線で囲むものが形として認識され、やがて、面の濃淡や線の疎密で陰影や質感を表すようになるのです。この線の獲得の発達は、言語表現の獲得と同様に、ビジュアルコミュニケーションや描画認識の手段として欠かせない能力であると思われます。

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図—③

 線による表現力の不思議は、線の塊が面として認識される点にもあります。図—③は、数本の線によって認識される面の例です。このような線の多様な表現性を用いて私たちは表現し、また、表現されたものが何であるかを認識したり、鑑賞したりすることができるのです。他の多くの動物にはない、私たちの造形的な表現性を支える不思議な能力です。

【今回は、導入事例をお休みします】