旧学び!と美術

旧学び!と美術

生徒自身が結果を出すまで待つ教育
2010.12.22
旧学び!と美術 <Vol.42>
生徒自身が結果を出すまで待つ教育
ある生徒の思い出
天形 健(あまがた・けん)
やっと巡り会えたマドンナです。彼女の前ではセザンヌも脇役でした。(ロンドンCourtauld Gallery)

今月のPHOTO:やっと巡り会えたマドンナです。彼女の前ではセザンヌも脇役でした。(ロンドンCourtauld Gallery)

 思い出深い作品があります。もう20年も前の中学3年生の作品です。
 作者は、今でも大切にしてくれているでしょうか。下の写真はその作品です。
 おそらく、義務教育の間に唯一自信をもって表現した作品かもしれません。県の生徒展に出品し「青少年会館々長賞」を受賞しました。

学び!と美術vol042_01

生徒作品:魚の立体パズル

 作者のA君は、中学3年間、ほとんど授業に出たことはありませんでした。彼の話では、小学校4年の頃から、登校しても授業に出ない状態が続いていたようです。彼には幾人かの同様の仲間がいました。遅れがちに登校して、校庭や授業中の廊下、階段の最上階、時には校長室が彼らの居場所でした。昼食も教室に入ることなく、校庭や廊下で済ませていました。
 そんな彼らに、教師たちの面倒見はよく、常に誰かがそばにいて話しかけたり、彼らの話題に参加したりしていました。しかし、「教室に入りなさい」「勉強しなさい」という言葉は、彼らにとって色あせて感じられるほど、そうしていることが常態であり、学びの席に向かわせることが不可能と思われるほど、クラス集団の中での学習から、彼らは遠ざかっていたのです。
 いわゆる「ヤンキー」と呼ばれた彼らは、街にジベタリアンが出現するまでの間、学校の問題児とされ、生徒指導の場面の主役たちでした。
 従わないと思いつつも、日に何度か彼らの行動を厳しく注意したり、諭したり、また、羽目を外しすぎた後には家庭訪問をしたり、本人に代って謝罪に回ったりすることも珍しくありませんでした。消火用ホースで校舎内に散水することや、教室の壁面に穴を開けることなどは日常茶飯事でしたから、その後始末に奔走する教師陣の勤務実態は過酷なものでした。
 新しく着任された先生から「なぜ指導を徹底しないのか」とお叱りをいただくこともありました。
 指導しあぐねる私たちのことを見抜いてのことか、盲点を突くことに関しては天才的な集団でもありました。
 あるとき、いつものように手相占いで話が盛り上がっているときに、その中の一人が、「勝手気ままな生き方をしているけど、今考えているように二十歳を過ぎても考えているとは限らないぞ。」と卒業した先輩に言われたという話を始めたのです。「少しは先のことを考えて生きろ」ということらしいのですが、その話は、数日前にその卒業生に私が話した内容でした。彼らに自らのことを考えさせるキッカケとなって私のところに帰ってきたのです。
 自らのことを考え始めた彼らに何かできないか思案しました。結局、文字や数字の苦手な彼らを我田に引き込み「絵を描かせよう」と思い立ちました。中学3年の4月末のことでした。

 美術室に長時間座らせるだけでも大変な苦労でしたが、紙や筆記用具の無駄はしばらく目をつぶることにしました。やがて彼らは、エロ・グロの鉛筆画を描き始め、仲間や私に見せることを楽しみに描き、時には、自らの想像を絵にすることを楽しむかのように描き続けたのです。
 そして、夏を迎える頃には描画力が向上し、自信をもって描くまでに上達していました。
 その内の一人がA君です。
 描画からすっかりエロ・グロが消え、欲しいバイクや彼らの間で流行している髪型など、主題にも大きな変化が表れていました。描いたものを当時の教頭先生に見せることも楽しみの一つとなっていました。
 頃合いを見て、授業に合流させようと思い、授業課題に取り組むことを提案しました。やはり自分のクラスには入れませんでしたが、「立体パズル」の課題に挑戦する意欲を見せたのです。学校にいるすべての時間を「美術」に打ち込める特権(?)を生かして、短期間に写真のような作品を仕上げました。もちろんアイデアスケッチや高度な糸鋸操作について個人レッスンしながら励まし、褒めて集中力の維持に努めました。その作品は授業の参考作品となり、選ばれた数点とともに出品されたのです。
 受賞の喜びは、ヤンキー仲間にも広がり、彼らの態度や考え方に変化が見られるようになりました。そして、受賞式に初めて臨む我が子の姿を喜ぶ母親の涙は、A君を大きく変身させたようです。
 教員として、すでにベテランの域にあった私も、特別な指導形態であったとはいえ、改めて「美術による教育」の力を知ったという思いでした。

 卒業後の彼らは、多くの教員の心配をよそに、我が道を真面目に歩んでいるようです。
 教師が教え子に手渡せるものは非常に微弱でもろいものですが、子どもたちはそれを大きく膨らませ、我がものとして「生きる力」に変える能力を秘めています。教育とは、成果を急ぎすぎず、生徒自身が結果を出すまで待つしかないものなのでしょう。

【今回は、導入事例をお休みします】