旧学び!と美術

旧学び!と美術

人は、なぜ写真を撮るのか
2010.10.07
旧学び!と美術 <Vol.40>
人は、なぜ写真を撮るのか
なぜ、山(エベレスト)に登るのか?「そこに山があるから」ジョージ・マロリー(1886〜1924英)
天形 健(あまがた・けん)
ショウリョウバッタ(雄)だと思われます。酷暑のせいか、タチアオイの茎につかまったまま、ミイラ化していました。(郡山市)

今月のPHOTO:ショウリョウバッタ(雄)だと思われます。酷暑のせいか、タチアオイの茎につかまったまま、ミイラ化していました。(郡山市)

 峻険(しゅんけん)を征服しようとする登山家のこの有名な言葉に照らして、「人はなぜ絵を描くのか?」という問いに私たちが答えようとするとき、「そこに美があるから」がもっとも支持される言葉なのかもしれません。洞窟壁画からCGまで、描画の長い歴史の中で、絵を描こうとする心や意志は共通するものなのでしょうか。
 今回は、その難題を回避して、「人はなぜ写真を撮るのか?」について考えてみました。
 20世紀末から始まったデジタルカメラの普及は、携帯電話のカメラを含めると、現在はほぼ100%に達したと言えるのかもしれません。いたるところでシャッターが押され、プリントされていることでしょう。今夏の長期休みに、かつてのアナログ写真とネガ・ポジを整理しようと思い立ったのですが、大量の写真に埋もれ、その中から数枚の懐かしい紙焼きを見つけただけで夏が過ぎようとしています。一方で、HDDへの収納と検索が容易なデジタル画像は増え続け、10年の間にアナログを遙かにしのぐ枚数になっています。ところが、実のところ、それらを改めてプリントしたり、見返したりすることが少ないのは、アナログもデジタルも同じだと感じているのは私だけでしょうか。
 にもかかわらず、「人はなぜ写真を撮るのか?」が疑問なのです。

 日本広告写真家協会が主催する第二回(平成22年度)全国学校図工・美術写真公募展で児童・生徒の作品を公募しています。作品規定に、図工や美術の時間に制作した自分の造形作品を撮影した写真という条件があります。子どもたちの作品の多くは、大人になるまでの間に失われがちですから、デジタル写真として記録することに意味があるのでしょう。撮影の際には、アングルや光線、背景の演出などを工夫すれば、二度おいしい教材にすることもできます。
 写真を撮るのは、一般的に記録に残すことが目的でしょう。子どもの成長や旅の思い出を記録したり、面白いこととの出会いを誰かに伝えたりするために「百聞」を「一見」で補うようにシャッターを切ることもあれば、資料収集や調査のための画像データとして撮影することもあります。そして記録として撮り続けるうちに美意識が生じ、ピントや構図、アングルなどが気になり出すと「よく撮れたか」が撮影の楽しみとなります。
 「今月のPhoto」で紹介している写真は、私が出会い注目した出来事や現象の記録です。写真を撮ることも、絵を描いたり彫像制作をしたりすることと同じように、自らの感じたことや記録しておきたいことの表現としては、同等であると考えています。これまで風景や生き物にレンズを向けることが多かったのですが、撮影が許可された美術館でナマの作品に接し、図録などの色とナマの色に大きな隔たりを感じたり、作品から新たに印象を受けたりしたことを撮影しようとしています。初対面の作品であっても、その美しさに足を止め、タッチや質感を写し取ろうと接近してシャッターを切ります。
 私の視覚的半生と言える蓄積したデジタル画像群は、撮り続けるにつれて少しは進化しているとも感じています。美しい表層的な現象に感動を覚え、その外界を記録しようとするだけでなく、視覚の域は超えられないと知りながらも、できるだけ触覚的な、あるいは聴覚的な印象を捉えた画像として写らないかという試みをすることもあります。結局は、マシーンの精度の高さに依存する表現ではありますが、写真の奥深さの入り口が見え始めた段階かもしれません。撮影後の画像補正も楽しみの一つになっています。
 反面、写真があるために旅行の思い出が、その後の時間経過とともに写真に引き寄せられ、写真が記憶にすり替わるということも経験しています。私たちが見ている、見てきたと思っている記憶も、実のところ見ているようでよく見ていなかったという不確かな過去のイメージでありがちですから、心動かされた場面を記録し、その写真から、新たな発見があったり、他者とのコミュニケーションが生まれたりするのも写真があるからです。改めて見たいと思ったときに見返すことのできる過去の一場面を残し続けるだけでも「人はなぜ写真を撮るのか?」についての説得力を持つでしょう。
長く生きれば、時間の経過とともに記録した写真の価値が増大するという経験は誰もがすることです。

導入事例 Case.29

小学校4年『校庭の木をじっと見つめていたら…』(6時間)
*木をじっくり見てスケッチするとともに、自分のイメージを基に色使いを工夫しながら絵に表す題材です。

◎主な材料

  • 画用紙
  • 水彩絵の具
  • 割りばしペンやサインペン

◎導入の工夫

 前時までの2時間、子どもたちは図画板持参で校庭にとび出し、お気に入りの木を選んで丁寧にスケッチしてきました。本時からは、自分のイメージをもとに色使いを工夫しながら彩色していきます。
T:まず、パレットの小さい部屋に「枝」や「葉」の色の絵の具を出しましょう。
  小さい部屋が全部うまるようにたくさんの色を出しますよ。
C:枝の色は、茶色やこげ茶にしよう。
C:葉っぱの色はビリジアンでいいかな。
T:茶色や緑の仲間の色をたくさん出していこう。白は必ず出しておこうね。
C:青は、緑の仲間でいいですか。
C:黄色は緑の仲間だね。
T:次に、混色して色の数をさらに増やしていきますよ。
  パレットの大きな部屋に10円玉の大きさで12個分(12色)作ってみよう。
C:似ているけれど少しずつ違う色がたくさんできました。
T:いろいろな緑色や茶色ができたね。
  こんなにたくさんの色をちりばめたらさぞかしすてきな絵に仕上がるだろうね。
  では、自分なりの色のイメージを大切にしながら色をつけていこう。

<児童作品>

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(S先生の実践から)