学び!とシネマ

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小さな村の小さなダンサー
2010.08.26
学び!とシネマ <Vol.53>
小さな村の小さなダンサー
世界20カ国以上でのベストセラー、感動実話
二井康雄
(C)Last Dancer Pty Ltd and Screen Australia

(C)Last Dancer Pty Ltd and Screen Australia

 中国ではこのところ、若くして、世界的脚光を浴びる人が多い。80后(バーリンホウ)と呼ばれ、文字通り、1980年代の生まれである。
 作家のハン・ハンは、アメリカ、タイム誌の「2010年世界で最も影響力のある100人」に選ばれている。また、ラン・ランはクラシックのピアニスト。昨年暮れには、サイモン・ラトル率いるベルリン・フィルハーモニーと共演している。ポップス歌手のリー・ユィチュン、女優のファン・ビンビン、コメディアンのシャオ・シェンヤンなどなど、いずれもまだ20代、将来有望な若い人たちである。
 1961年生まれ、バレエのダンサーとしてアメリカでブレイク。結果、アメリカに亡命するが、ダンサーとして有名になったリー・ツンシンも、いまで言う、バーリンホウの先輩格だろう。17歳で渡米、21歳で、ヒューストン・バレエ団のプリンシパルとなる。
 映画「小さな村の小さなダンサー」(ヘキサゴン配給)は、リー自身が、波瀾万丈の半生を振り返った自伝が原作である。これが、オーストラリアで出版され、ベストセラーとなる。
 1979年、テキサス州ヒューストン。中国のダンサー志望の若者リーが、はじめてアメリカに降り立つ。そして、幼いころを回想する。
 1972年、中国の山東省の小さな村。11歳の小学生リーは、貧しい暮らしではあるが、活発な男の子。たくさんの兄弟なのに、両親は愛情豊かである。
 ある日、生徒たちは「東方紅」を歌って、北京からの視察団を歓迎する。視察団は、全国からダンスの才能ある少年少女をスカウト、北京で英才教育を施すというもの。ちょうど、文化大革命の真っただなか、毛沢東夫人の江青が、文化政策の一環として展開しつつあった計画である。
 たまたま、先生の推薦で、リーが選ばれ、北京の舞踏学院に入ることになる。いかにも文革時代の雰囲気のなか、リーは、クラシック・バレーの基礎を身につけていく。厳しい訓練である。ひとり泣く日もある。
 リーの才能を評価するチェン先生は、ひそかに隠し持った西洋のダンサーたちの映像を、リーに見せる。リーは、ますます踊ることへの夢を募らせる。やがて、チェン先生は文革のせいで下放になる。
 1976年、周恩来、毛沢東が相次いで死去、文革は終結、改革開放がスタートする。1978年、アメリカから、ヒューストン・バレエ団の一行が北京に来る。リーは、バレエ研修生として、初めてアメリカに渡る。
 なにもかもが、カルチャー・ショックのなか、リーは突如、代役として「ドン・キホーテ」を踊ることになる。これが評判となり、リーはダンサーとしての名声を獲得するが、やがて、二度と中国に戻れなくなるほどの、たいへんな事件に巻き込まれていくことになる。
 しかし、感動的なラストが、笑いと涙に包まれて用意されている。
 「白鳥の湖」や「春の祭典」など、すばらしいバレエのシーンが続く。
 激動する中国の状況が、自由の国アメリカを舞台に、さりげなく描かれる。
 少年、青年、成人と、リーを演じる3人の俳優が、いい。ことに成人してからのリーを演じるツァオ・チーは、15歳でイギリスに留学、1995年に、バーミンガム・ロイヤル・バレエに入団、いまではプリンシパルを務めるほどの現役のダンサー、まさに適役である。
 演出は、アカデミー賞の最優秀作品賞を受けた「ドライビングMissデイジー」の監督、ブルース・ペレスフォード。激動する政治状況にあって、ダンサーとしての夢を実現しようとするリーの苦悩を、劇的に描いて、あきさせない。
 いまは、バーリンホウよりさらに若い世代、90年代生まれの90后(ジュウリンホウ)といわれる若者たちが、中国から世界に飛び立とうとしている。
 リー・ツンシンは、34歳でオーストラリア・バレエ団に入団、ダンサーとなり、現在49歳。オーストラリアのメルボルンに在住、作家である。

8月28日より
Bunkamura ル・シネマ、シネスイッチ銀座他 全国ロードショー

■「小さな村の小さなダンサー」

監督:ブルース・べレスフォード
製作:ジェーン・スコット
脚本:ジャン・サーディ
出演:ツァオ・ツィー、ジョアン・チェン、カイル・マクラクラン ほか