学び!とシネマ

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わが心の歌舞伎座(2010・日本)
2010.12.27
学び!とシネマ <Vol.57>
わが心の歌舞伎座(2010・日本)
歌舞伎を愛する全ての人に贈る、史上初のドキュメンタリー
二井 康雄(ふたい・やすお)
(c)松竹株式会社

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 小さいころから、歌舞伎が好きである。まだテレビがモノクロだったころ、歌舞伎の舞台中継をよく見ていた。先代の市川團十郎、松本幸四郎、尾上松緑らがスターだったころである。
 歌舞伎のどこが面白いのか。一見、荒唐無稽、様式美にこだわった、いささか大袈裟な表現をとるが、喜怒哀楽といった人間のいろんな感情を、長唄や常磐津(ときわづ・浄瑠璃音楽の一種)、義太夫(浄瑠璃音楽の一種)といった音曲に支えられて深く描いているから、だと思う。

(c)松竹株式会社

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 昭和40年すぎから、歌舞伎座に足を運ぶようになった。いまの山城屋、坂田藤十郎が、まだ中村雁治郎を襲名する前、中村扇雀だったころである。高い座席には座れない。たいてい、3階うしろの幕見席である、ここは、1幕だけ、安く見ることができる。
 今年の4月、歌舞伎座が建て替えのため、さよなら公演の第2部を見た。もちろん、幕見席だ。「菅原伝授手習鑑」の「寺子屋」は、松王丸・松本幸四郎、千代・玉三郎、戸浪・中村勘三郎、武部源蔵・片岡仁左衛門の豪華配役であった。40年ほど、ときおりだが、通い詰めた場所、感慨は深い。

 このほど、ドキュメント映画「わが心の歌舞伎座」(松竹配給)が作られた。当代の人気役者がズラリ、それぞれが、歌舞伎座の思い出を語る。
 登場する役者は、中村芝翫(しかん)、中村吉右衛門、市川團十郎、坂東玉三郎、中村富十郎、中村勘三郎、松本幸四郎、中村梅玉、片岡仁左衛門、坂田藤十郎、そして、尾上菊五郎の11人。そして、この役者たちの最近の舞台のダイジェストが挿入される。有名な演目のクライマックス・シーンばかり。まるで、歌舞伎の「ザッツ・エンタテインメント」。実に見応えたっぷりである。さらに、歌舞伎座を支える、床山、大道具など、いろんな役割を果たす裏方さんの実態が紹介される。
 幕見席からは、とうてい見えない役者の表情が、映画ではあざやかに捉えられている。様式美はもちろんだが、歌舞伎には心理描写や身振りなど、たいへんなリアリティがある。それが役者たちの表情から伝わってくる。歌舞伎の持つおもしろさ、奥深さが、よく分かるのである。
 もう、歌舞伎に興味のある若い人には、ぜひ見てほしい。さらに、歌舞伎に魅せられることと思う。

(c)松竹株式会社

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 七代目中村芝翫。五代目中村歌右衛門の孫になる。歌舞伎座での芝居がいちばん嬉しく、誇りに思っていることと、年齢を表現する難しさを語る。80歳ながら、20代なかばの女性の気持ちで踊る「藤娘」。そして、6人の孫と踊る「雪傾城」。みごとな踊りだ。
 二代目中村吉右衛門。昭和28年の天覧を記憶している。ふだんから人間の匂いのする芝居を心がける。「義経千本桜」の二段目「大物浦」では、碇もろとも海に身を投げる平知盛を熱演する。はまり役は「平家女護島」の「俊寛」。「16年はひと昔、夢だ、夢だ」のセリフに万感が籠もる。「熊谷陣屋」も得意芸。
 十二代目市川團十郎。息子海老蔵の不祥事が発覚したが、市川家伝承の荒事を守る。七代目團十郎の選んだ歌舞伎十八番から「暫」を演じる。伝統に基づいて創造を加え、観客を楽しませたい、と語る。「助六由縁江戸桜」より助六の花道の出を、華麗に演じる。「勧進帳」の弁慶も達者。弁慶の飛び六法による引っ込みは、何度見ても格好いい。
 五代目坂東玉三郎。当代きっての名女形。昭和39年6月の五代目襲名披露が、歌舞伎座での最大の思い出。泉鏡花の「天守物語」と「海神別荘」、どちらも艶っぽさがたっぷり。
 源氏に追われる景清の居場所を明かさないために、琴、三味線、胡弓を弾きわける「壇浦兜軍記」では、阿古屋を演じる。これが出来るのは、今では坂東玉三郎だけだろう。
 五代目中村富十郎。松竹を創立した大谷竹次郎と白井松次郎兄弟の功績を称える。80歳にして、まだ小さい息子と「連獅子」を踊る。
 舞踏劇「石橋」もあざやか。獅子の舞は、富十郎家に縁の深い演目だけに、みごとな舞である。
 十八代目中村勘三郎。幼い頃、歌舞伎座の売店にいた女性にロビーで遊んでもらう。後日、彼女が亡くなる1年前に歌舞伎座に招待する。20歳で初演した「鏡獅子」を迫力たっぷりに踊る。野田秀樹の「野田版 鼠小僧」では、愛嬌たっぷり笑わせる。「仮名手本忠臣蔵」から、塩冶判官の刃傷、切腹の場面を演じる。
 フィルム映像では名優2人が登場する。三代目の市川猿之助。「義経千本桜」、「黒塚」のあと、ケレン味たっぷりの「伊達の十役」では、早変わり、宙吊りのおもしろさを演じる。もう一人は、四代目中村雀右衛門。「本朝廿四考(ほんちょうにじゅうしこう)」からの「十種香」、「三笠山御殿」、「英執着獅子(はなぶさしゅうちゃくじし)」、「金閣寺」で、幅広い女形芸を見せる。
 いよいよ、古式顔寄手打式のあと、2009年4月、歌舞伎座さよなら公演がスタートする。手打式の様子が挿入される。
 九代目松本幸四郎。孤独な人間の典型として、「菅原伝授手習鑑」から「寺子屋」の松王丸を演じて、涙を誘う。「勧進帳」の弁慶は、1000回以上も演じた、はまり役。「仮名手本忠臣蔵」の四段目では、大星由良助を演じた。
 大道具の場面転換は、幕間の10分間で設営する。みごとな早業だ。討ち入りのある「仮名手本忠臣蔵」十一段目の始まる前には、3つの場面を同時に組み立ててしまう。
 四代目中村梅玉。歌舞伎座の3階ロビーに飾ってある、かつての名優たちの写真を見ている。演じるのは、新歌舞伎の「頼朝の死」での頼家。梅玉は、「頼朝の死」の初日の前に亡くなった父、六代目中村歌右衛門の思い出を語る。「鈴ヶ森」では、白井権八に扮して、みずみずしい。
 十五代目片岡仁左衛門。孝夫ちゃんの愛称で呼ばれる上方の名優。初舞台は、昭和の名優、大松嶋と言われた父、十三代目片岡仁左衛門の歌舞伎座での襲名興行。観る人の心に残るように演じたい、と語る。「菅原伝授手習鑑」では、菅丞相を演じる。父と祖父が、大事にしていた役どころである。近松門左衛門の傑作「女殺油地獄」の与兵衛を、油にまみれて熱演する。
 四代目坂田藤十郎。三代目中村雁治郎から四代目襲名が決まったころ、「心中天網島」の「河庄」では、カーテンコールで襲名の挨拶をした。「曾根崎心中」の徳兵衛も心理描写が絶品。封印切で有名な「恋飛脚大和往来」では、忠兵衛の所作を、哀切たっぷり、丁寧に演じる。上方歌舞伎の至宝といえる。
 さよなら公演のための最後の顔寄で、演目が発表される。 
 七代目尾上菊五郎。歌舞伎座3階ロビーにある名優の胸像を見て、名優といわれた五代目、六代目の思い出を語る。陰惨なドラマ「直侍」を、コミックに演じて軽快。「魚屋宗五郎」は、酔っぱらうシーンがうまい。歌舞伎の様式美とリアルな心理描写を心がけている。当たり役は「弁天娘女男白浪」の弁天小僧で、「知らざぁ言って聞かせやしょう」の名セリフで有名。心地よい七五調のセリフ、口舌はあざやかである。
 千秋楽の演目は「助六由縁江戸桜」。市川團十郎扮する助六の睨みや見栄に、観客は大喜び。
 2010年4月30日は閉場式。8人の立役が「都風流」、5人の女形が「京鹿子娘道成寺」を踊る。まさに豪華版、最後の手打を、坂田藤十郎が務める。
 新しい歌舞伎座は、2013年春、完成の予定である。

2011年1月15日(土)より、東劇ico_link 他にて全国公開

■「わが心の歌舞伎座」

監督:十河壯吉
ナレーター:倍賞千恵子
撮影:柏原聡
照明:藤井克則
音楽:土井淳
2010年/日本/207分/HD
製作・配給:松竹