学び!とシネマ

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四つのいのち
2011.04.28
学び!とシネマ <Vol.61>
四つのいのち
二井 康雄(ふたい・やすお)
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(C)Vivo film,Essential Filmproduktion,Invisibile Film,ventura film.

 小高い山の田舎の村、山羊を飼っている老人が死ぬ。仔山羊が生まれる。歩き始めた仔山羊は、群れからはぐれて、大きな樅の木の下に横たわる。春、村の人たちによって、木は切り倒され、炭にするために運ばれていく。
 「四つのいのち」(ザジフィルムズ配給)は、たったそれだけのことを、ゆっくり、静かに、映しだす。
 舞台はイタリアの南部、カラブリアにある田舎の村。聞こえてくるのは、風の音、山羊の鳴き声、山羊の首に付けた鈴の音、犬の吠える声。映画の効果音や音楽、人物のセリフは、ほとんど、ない。観客はまるで、この村にいるかのように、村の様子を見つめることになる。
 牛飼いの老人は、毎日、元気な犬を連れて山羊を追う。絞った山羊の乳は、教会の埃と交換する。老人はその埃を、水で溶かして、薬代わりに飲む。

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(C)Vivo film,Essential Filmproduktion,Invisibile Film,ventura film.

 やがて老人は死ぬ。そして、仔山羊が生まれる。よちよちと歩き始めた仔山羊は、やっと群れについていくようになるが、山道の溝に落ちて、群れからはぐれてしまう。そして、大きな樅の木の下に、体を横たえる。
 冬、雪が降る。やがて、木の根っこに蟻たちが走るようになる。
 春、樅の木が切り倒される。運ばれた木は、村の広場に立てられて、お祭りが始まる。夜まで、村人たちは木を囲んで、お祭りを楽しんでいる。
 木は、表面が削られ、小さく切られる。トラックが来て、木は運びだされる。山の中腹の炭焼き場で、井桁に組まれた木に藁をかぶせて、燻す。炭が出来上がる。その炭を出荷する。
 村の様子は、いつもと、変わらない。  
 映画で描かれた、山羊や犬、蟻などの生き物、樹木、その加工品である炭、その炭を作り使う人間の四つのいのちは、どれも同等のように、淡々と描いていく。格別、人間のいのちだけが尊いわけではない。生きとし生けるもの、みんな、尊いのである。
 これは、映像による詩のような映画。静謐な佇まいから、映像の背後にある作り手の思いが伝わる。見えるものの背後に見えるものは何か。

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(C)Vivo film,Essential Filmproduktion,Invisibile Film,ventura film.

 脚本、監督のミケランジェロ・フランマルティーノは、生物の多様性や持続可能性の社会についての考えを聞かれて、「今、色々な分野の人たちが、人間はもっと謙虚にならなくてはいけないということを認識しはじめてきたのではないかと思います。今まで人間は多くのものを搾取しすぎたのではないか、傲慢だったのではないか、将来の事について考えが無さすぎたのではないか、無責任だったのではないかということを考え直しているのだと思います」と答えている。
 原発の事故は、人間が手にした技術なのに、満足に制御さえできない。搾取した、傲慢な、無責任な人間の、いい例だろう。事故が現実となった今、さまざまな「いのち」に思いを馳せてみる。映画「四つのいのち」は、「いのち」のありよう、謙虚であることの尊さを教えてくれる。

2011年4月30日(土)より、シアター・イメージフォーラムico_linkほか全国順次公開

「四つのいのち」公式Webサイトico_link

監督・脚本:ミケランジェロ・フランマルティーノ
2010年/イタリア=ドイツ=スイス/88分/ステレオ/ヴィスタ/カラー 
原題:Le Quattro Volte
協力:イタリア文化会館
提供・配給:ザジフィルムズ