教育情報

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あいさつの心を生かす
2009.11.11
教育情報 <日文の教育情報 No.79>
あいさつの心を生かす
びわこ成蹊スポーツ大学教授、滋賀大学名誉教授 清水毅四郎

 スポーツ大学の学生は、あいさつをよくします。面識があってもなくても、赴任したばかりの老教師に、さわやかな声を掛けてくれます。教師側もタイミングを合わせて「やあ」「おはよう」「元気?」「がんばっているね」などと応対します。エネルギーの塊のような学生に声を掛けられると、「意気消沈」気味の心も晴れてくるから不思議です。このような経験は、かつて小学校校長をしていた頃にも味わったことを想い出します。いわゆる「子どもや若者から元気(aura)をもらう」ということでしょう。
 一般に体育系の生徒・学生間では、部活動中の先輩・後輩としての節度を守ることが重視されています。あいさつの徹底もそのひとつの現れと言えるでしょう。「礼に始まり、礼に終わる」剣道・柔道・相撲などの例に見るように、「礼儀を重んずる日本の歴史的文化」の影響を受け継いでいると見ることも出来るでしょう。
 学生へのメッセージとして飯田稔学長は、こう語りかけます。「大学生活で大切にしてほしいことは、人間関係です。よい人間関係をつくるスタートは、あいさつであり、思いやりと感謝の心です。」全くその通りだと思います。
 しかし「よい人間関係つくり」のためには、先に見た先輩・後輩とか、教師・学生のような垂直的人間関係と、同輩・仲間のような水平的人間関係とでは、異なることをわきまえることも大切かと思います。
 私たちはとかく自分の立場だけに関心を向けがちです。他人(相手)の立場に無関心なのが常であります。そのために相互間のズレが社会的な課題として浮上しにくいこともあるわけです。
 ある日「授業中のあるグループの私語のために大変迷惑しています。授業者の清水先生の立場から何らかの対策をとってほしい。」と、レポート用紙の片隅につつましく毅然と書かれていたのを目にし、胸を突かれる思いがしました。授業中「静かに! 黙って!」をくり返していたのみだったからです。受講生が多ければそれに対応する策をとるのは教師の重要な責務でしょう。同クラスの別の授業を若い教師が静かに展開していると耳にして、さっそく公式参観を申し込みました。そしてそれを真似て、人間関係をそのまま教室に持ち込みグループとして着席できる「座席自由制」を見直して、「座席指定制」を八割方取り入れ、二割の最前列だけを「自由席」としました。以後、私語は減少し、指導へのエネルギーを他の有意義なことに費やす余裕が生じてきました。
 「教師の指導方策の責務」を確認したうえで、あえて願うのは、垂直的関係の不満・注文・意見を教師と学生間に閉じ込めるのではなく、水平的・垂直的関係者全体に課題として提言するかかわり方を身につけてほしいということです。
 先に掲げた飯田学長のメッセージは、「あいさつはスタートであり、思いやりと感謝の心が大切です」とも読めます。あいさつの動作そのものを身につけることはある期間中に出来たとしても、思いやりの心を育てるには相当の時間を要します。
 あいさつは、惰性や打算の世界とは無縁なはずです。あいさつをする動作にパスすることが出来たとしても、あいさつをする思いやりと感謝の心の育成にパスすることは、なかなか難しいことです。
 思いやりの心とは、相手の身になって、相手の立場に立って、よくよく考え、理解を深めていくことでしょう。
 同じく「座席指定制」も単なるスタートにすぎない(ものにしたいと願っています)。身体的に拘束して教壇に向かわせ、それらしくつきあわせても、心が自らゆり動き出すことがないならば淋しいことです。ある一人の学生は書いています。「最近、学生の間でKYというコトバが流行しています。その場の空気(K)の読めない(Y)人のことです」と。
 今日の子どもや若者は、あいさつをはじめ礼儀の表し方を大人から教えられる機会が少なく、人間関係をつくるコミュニケーションのとり方がぎこちないことを感じます。
 いやそれだからこそ、あいさつの動作を身につけることは「氷山の一角」の目標(成果)に過ぎず、その心底には思いやりと感謝の心が育ちつつあるかを考える必要があるのです。
 できるなら、晴れやかなあいさつの心を大切にする出会いでありたいです。

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