教育情報

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「校長先生」が少なくなりました
2011.02.14
教育情報 <日文の教育情報 No.98>
「校長先生」が少なくなりました
大阪教育大学監事 野口 克海

■小さな研究会で

 ある離島の研究会に招かれて講演に行った。海が荒れると島に渡れないこともあって前日に到着した。
 夕食は世話役の先生たちと一緒だった。
 私の前の席に、人柄の優しそうな、この先生は子どもに好かれてるだろうな、と思う40代の男の先生が座った。
 「この頃の学校はどうですか?」
と私は何となく質問した。するとその先生は「校長先生が少なくなりました。」と答えた。
 「エーッ、どういうこと?」
 「校長先生というと、子どもが大好きな教育者で、子どもの家庭環境も、地域の人たちのこともよく知っていて、授業のことも一緒に考えてくれる人が多かったですよね。」
 「今は?」
 「管理職が増えたんですよ。校長先生が少なくなって…。」
 「もうちょっと具体的に教えて?」
 「例えば、うちの小学校は全校児童が100人ほどの学校です。今の校長さんは3年目になります。未だに子どもの顔も名前もおぼえていません。すぐに対応しなければという問題が起きて、校長先生に相談すると、校長室にもどって文科省や県の通知文を見て、”ミスのないように”と言うんです。まず保険をかけて、自分の身を安全な場所に置いてから仕事をする人が増えました。」
 地方にはまだ、のんびりとした良い教育が残っていると思っていた私には、正直これはショックだった。

■ この頃の学校で

 もう一つ、「学力が低い!」と県教委からはっぱをかけられている学校の校長さんと食事を共にしている時、「昔は給料から毎月、積み立てをして、全教職員で一泊どまりの親睦旅行で温泉に行ったりしてましたよねえ」と私が言ったら、

この頃 学校で減っていること
~宴席(親睦会)と教育談議~
この頃 学校で増えていること
~ぐちと他力~

と校長さんが返してきた。
 「なるほど、そのネタ、どこかで使わせてもらおー、もう他にありませんか?」

この頃 学校で強くなっていること
~説明責任と成果主義~
この頃 学校で弱くなっていること
~つながりと情熱~

とその校長さんは続けた。
 苦笑いするしかなかった。

■ 競争と管理強化ではダメ

 二人の先生の言葉は、今日の教育改革がもたらした一つの断面を突いているのではないか。
 本当にこういう学校現場で良いのだろうか。
 子どもの時によく遊んだ「伝言ゲーム」を思い出した。最初の人が次の人へ伝言し、次々と伝えているうちに最後に聞いた人が発表すると全然違ったものになっていたというゲームである。
 文科省の言っている「学力向上」「教員の資質向上」「学校評価や教員評価」「学校支援地域本部」などなどは決しておかしなことではない。今の時代、当たり前のことである。
 しかし、県教委・市町村教委・学校長と順に伝言されていくと、学校現場では先生方の仕事が増え、教育談議をする時間もなくなり、飲む会も減り、成果を求めて競争が激しくなり、つながりが薄れ、ぐちだけが増える。
 やがて情熱もなくした教員を心配する校長がミスのないように管理を強める。
 こんな伝言ゲームはもうやめよう。
 「先生方、元気を出して下さいよ。」「子どもたちとよく遊び、よく学び、よく話を聞いてやって下さいよ。」「子どもたちの笑顔があふれ、活気ある学校をつくりましょう!」「保護者や地域の人たちと一緒に、子育てを楽しみましょう!」
 最初に伝言した人はこう言ったはずなのに、どこで間違ってきたのかなあ。
 今月の給料から積み立てをはじめ、全員でパァーッと親睦旅行にでも行きますか?

著者経歴
元 大阪府堺市教育長
元 大阪府教育委員会理事 兼教育センター所長
元 文部省教育課程審議会委員
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