教育情報

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「までい」に子育てを
2011.09.14
教育情報 <日文の教育情報 No.105>
「までい」に子育てを
大阪教育大学監事 野口 克海

■ 昔ながらの方言

 東北地方で使われている方言に「までい」という思いやりのあるあたたかい言葉がある。
 「真手(まて)」という古語が語源で、広辞苑には「(『ま』は二つ揃っていて、完全である意)左右の手。両手。」とある。
 それが転じて「手間ひまを惜しまず、丁寧に心をこめて、つつましく」という意味で現在でも使われているそうだ。
 「までいに飯を食わねえどバチがあだっと」
 「子どものしつけはまでいにやれよ」
 「玄関はまでいに掃いておげよ」
などとお年寄りは言う。
 「天声人語」朝日新聞2011年5月5日(木)で知った。
 辞書を幾つか当たってみると、「手間ひまを惜しまず」という意味から広がって、「思いやりを持って、愛を込めて、大切に、もったいない、節約をする」などの意味を込めて使うらしい。
 東日本大震災をきっかけにして、東北地方のことをいろいろと情報として知る機会が増えたが、この「までい」という方言はずっと私の心の中で生きていた。

■ 「までい」の心は生きていた

 今回の東日本大震災を通じて、私が一番心を動かされたのは、日本の社会全体が個人主義、「自分さえよければいい」という風潮に流れている中で、家族のつながりや仲間、地域の助け合いなどがしっかりと根づいている東北の人々の姿だった。
 水道も電気もガスもなく、冷房もない暑い体育館で、自分だけ快適な生活を求めて抜け駆けをすることもなく、大多数の人々は家族や親戚、仲間、地域の人々と肩を寄せ合い、この夏をのりこえられた姿に感動した。
 人と人とのつながりが薄らいでしまっている大都市に住む私には考えられない光景だった。
 そこには私たちの生活を支配している価値観、すなわち、効率的、刷新、改革、能率、有効、無駄なく、効果をあげる、新幹線、高速道路、といったイメージとは別の世界、まさに「までい」の世界があった。
 「までい」という方言も、昔は日常的に使われていたが、今日では効率を求める社会の変化のなかで、陰が薄くなり日常的に使われることがだんだんと減ってきているらしい。
 しかし、「までい」の心はしっかりと生きていた。

■ 教育改革(子育て)も「までい」に

 私ごとであるが今年の「夏休み」も講演に呼ばれて北海道から九州まで全国各地をめぐらせてもらった。
 話をする対象は、ほとんどが幼小中高の学校園の先生たちである。
 そこで共通して感じたことがある。
 それは、日本の先生たちは忙しすぎる、「学力向上」などの教育改革に追われている、そして一番大切な、子どもたちとたっぷりと遊んでいない、子どもの話をたっぷりと聞いてやっていない、保護者ともゆっくりと話し合っていない、用事があっても携帯電話ですましている、先生どうしのつながりも薄くなってしまっている、ということである。
 ある県の校長研修会で、手を挙げてもらった。
 「給料から毎月、積み立てをして、学校の全教職員で泊まりがけで親睦旅行に行っている学校はどのくらいありますか?」
 800人ほどいた校長さんのうち、8人が手を挙げた。
 99%の学校は全教職員で旅行に行くような日がとれないと言う。とれたとしても希望者しか行かないと言う。
 「夏休み中、どこにもつれて行ってもらえない家庭環境の子どもに電話して、今日は先生、当番で一日学校にいるから、遊びにおいで、などと気になる子とつながってますか?」という話をしたら、感想文に、「今日帰ったら、電話してみようと思った」というのもあった。
 教育で一番大事なのは人と人とのつながりである。
 先生たちの集団が仲間としてつながらないで、どうしていい教育ができるのだろう。
 先生たちが、子どもや保護者としっかりつながらないで教育と言えるのだろうか。
 「までい」に、家族、仲間、地域とつながって、手間ひまを惜しまず、丁寧に心を込めて教育改革を進めたい。

著者経歴
元 大阪府堺市教育長
元 大阪府教育委員会理事 兼教育センター所長
元 文部省教育課程審議会委員
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