教育情報

教育情報

教員の資質能力向上
2011.10.11
教育情報 <日文の教育情報 No.106>
教員の資質能力向上
兵庫教育大学大学院教授 日渡 円

■ 中教審分科会の議論

 昨年から中央教育審議会に設置された「教員の資質能力向上対策特別委員会」では、大きく分けて、教員養成制度、教員免許制度、採用・任用・研修等を担う教育委員会の在り方について議論されている。
 教員養成制度、教員免許制度については、議論そのものが教員免許の修士化(4+2、今は4+αと言われている。)が議論の入り口だったので、学部4年に何年を継ぎ足すか、その際のカリキュラムはどうするか、といった具体論が今後展開されていくと思われる。このことで、注目すべきことは、専門免許の創設が話題になっていることである。専門免許については、具体的な議論は始まっていないが、経営、生徒指導、特別支援等の専門免許が例として示されている。これらの専門免許を取得した教員が、校長・教頭等の管理職や、地域での生徒指導・特別支援等の支援を行う立場や、大学等での教員として考えられるだろう。これに、教員養成の課程認定の問題も今後の話題となることが予想される。

■ 市町村の責任

 教員養成にいくら手をつけても4年ないし6年の問題であり、問題は、採用後40年近くの教員の資質向上に責任を持つ任命権者としての都道府県教育委員会や、実際に学校の設置管理者であり、服務監督者としての市町村教育委員会の責任である。地方分権一括法から10年を過ぎ、地方分権推進改革委員会勧告から5年を過ぎようとしているのに、地方分権の主体者として責任を果たしているのか。その最たるものが「県費負担教職員」の人事権問題である。勧告では市町村への移譲を前提としつつ、中核市への移譲については先行することを勧告したにも関わらず、人事権を持つことを嫌がる市町村と、人事権を手放したくない都道府県教育委員会が多く、現在まで結論が出ていない。
 学級編成の問題もこの間、県教育委員会の設ける学級編成基準が従うべき基準から、市町村教育委員会から都道府県教育委員会への同意を要する事前協議と移り、さらに来年4月からは事前協議の義務付けが廃止され事後の届け出となることに標準法は改正されたのに、果たして都道府県教育委員会は標準法が算定の基準と編成の基準が一致していた時代の学級編成基準から、算定の基準と編成の基準は別物であるという時代になって10年を過ぎたのに、学級編成基準を作る責任者としてその責任を果たしているのだろうか。市町村教育委員会はその準備を進めているのだろうか。
 我が国は第三の教育改革期である、と盛んに言われ、それを前提にいろいろな政策・施策を実施してきたはずである。この10年間の議論はすべてそこに収斂されるはずである。学校組織の在り方の見直し、地域と学校との関係、教職員制度の大改正、学校評価の導入や人事評価の改革等々、目標を理解せずひたすら上意下達で導入してきたのなら責任は重大である。こどもたちへの「生きる力」というメッセージもむなしく響く。

■ 学力向上

 教員の資質能力向上はいうまでもなく、子どもに反映されなければならない。そのことが教員の資質能力向上の目標である。しかし、その方法はあまりにも、いわゆる「指導技術」に偏っていないか。板書は…、発問は…等々、同じことを言い続け、指導技術だけで学力向上に向かっていないか。もちろん、それらのことは普遍の指導技術の面もあるが、今もって黒板とチョークを前提にしていたり、挙げ句の果てには、黒板とチョークが教師の本質であるような精神論が堂々とまかり通っていないか。もともとそれだけではないはずである。学校という組織がどう教育を組織的に行うかという、システムの面からのアプローチが必要である。それらの根本に手をつけようとしているのが、学級編成権の弾力化である。このことは、一斉授業、板書、学級主義からの転換を意味する。これらを変えることのできない普遍的なものとして捉える限り新しい学校の姿は生まれてこない。学校や学級の適正規模の話題も、言い換えれば一斉授業を何人にするかという議論であり、このことについては正解がないばかりか、取りこぼしを生み取りこぼしを補うために習熟度という方法を取るなどシステムとしての矛盾を内在している。
 これらの問題は、経済効率が生んだものであり、長く続いた右肩上がりの価値構造が転換するこれからの時代にはそぐわない。「経済効率優先の教育」から「知識効率優先の教育」へ転換すべきであるし、「組織マネジメント」から「知識マネジメント」への転換が求められる。

日文の教育情報ロゴ