小学校 道徳

小学校 道徳

道徳ことはじめ 第5号(学年共通)
2018.04.17
小学校 道徳 <No.027>
道徳ことはじめ 第5号(学年共通)
東京都小金井市立東小学校 指導教諭 田上由紀子

今回のテーマは、「考える道徳」についてです!

 「特別の教科 道徳」の完全実施を目前にして、いろいろな情報が飛び交い、不安に思っている先生方も多いようです。

 小学校学習指導要領(一部改正)解説「特別の教科 道徳編」では、第1章総説、1 改訂の経緯、の中で、「道徳に係る教育課程の改善等について」の答申を受けてのことが書かれてあります。

 我が国の学校教育において道徳教育は,道徳の時間を要として学校の教育活動全体を通じて行うものとされてきた。これまで,学校や児童の実態などに基づき道徳教育の重点目標を設定し充実した指導を重ね,確固たる成果を上げている学校がある一方で,例えば,歴史的経緯に影響され,いまだに道徳教育そのものを忌避しがちな風潮 があること,他教科に比べて軽んじられていること,読み物の登場人物の心情理解のみに偏った形式的な指導が行われる例があることなど,多くの課題が指摘されている。 道徳教育は,児童の人格の基盤となる道徳性を養う重要な役割があることに鑑みれば,これらの実態も真摯に受け止めつつ,その改善・充実に取り組んでいく必要がある。

最近、未履修の問題がよく新聞に載るけれど、道徳も未履修と言われてもおかしくないと思うことも……。お説教の時間に変わったり、ちょっとテレビを見せたり、副読本を読んで終わったりしている。つい、おろそかになってしまっているなあ。

 こんなふうに思っている先生方もおられると思います。今回の改正では、まずは、今までつい他教科に比べて軽んじられていた「道徳の時間をしっかりやっていきましょう。」というのがスタートだということです。今までも、ここにも書いてあるように確固たる成果を上げている学校や先生もたくさんいらっしゃると思います。その先生方から言わせれば、

読み物教材の登場人物の心情を追って理解させているわけではない。道徳で使う教材は児童の心を映す鏡です。登場人物の心情を考えさせる中で、児童は自分の思いと重ねて考えているのです。要はねらいとする道徳的価値の内容を一人一人に考えさせているのです。

という意見も出てくるでしょう。でも、なかなか難しいのが現実です。一生懸命に教材提示を工夫したり発問を吟味したり、教材研究を重ねていらっしゃると思います。だからこそ、年間35時間(1年生は34時間)しかない道徳の時間の中で実践をし、児童と共に考えていくことが大切です。
 今まで道徳を研究してきた学校、また、道徳をコツコツと授業をされてきた先生たちは、今までも、1時間の授業の中で、児童にねらいとする道徳的価値について考えさせてきたと思います。「特別の教科 道徳」となってからも、今まで通りに児童が深く考えることができるように工夫されていくことが大切だと思います。

 今回の改正は,いじめの問題への対応の充実や発達の段階をより一層踏まえた体系的なもとする観点からの内容の改善,問題解決的な学習を取り入れるなどの指導方法の工夫を図ることなどを示したものである。このことにより,「特定の価値観を押し付けたり,主体性をもたず言われるままに行動するよう指導したりすることは,道徳教育が目指す方向の対極にあるものと言わなければならない」,「多様な価値観の,時に対立がある場合を含めて,誠実にそれらの価値に向き合い,道徳としての問題を考え続ける姿勢こそ道徳教育で養うべき基本的資質である」との答申を踏まえ,発達の段階に応じ,答えが一つではない道徳的な課題を一人一人の児童が自分自身の問題と捉え,向き合う「考える道徳」,「議論する道徳」へと転換を図るものである。

いじめの問題は、道徳の時間を1時間やったからと解決するとは限りません。道徳の時間ももちろん大切です。しかし、それだけでは解決しません。学校の教育活動全体を通じて行われる道徳教育の中で心を育んでいくことと両輪のように進めていくことが大切です。

 いじめが起こる背景には、様々な問題があります。誰もがいついじめる側になるか、いじめられる側になるか、傍観者になるか分かりません。「こうすればいじめは起きません。」などという方法論をみんなで話し合っても、それは一時的なものであって解決にはなりません。道徳でいう「問題解決的学習」を他の教科で実施するように考えてはいけません。道徳はあくまでも、「自己をみつめ」「自己の生き方について考える」時間です。友達の意見を聞きながら、「そういう気持ちも分かるなあ。」「僕は、そこまでは思えないなあ。」など自分と対話をしながら、自分なりに今の自分の見つめることが大切です。答えが一つではない道徳的な課題を一人一人の児童が自分自身の問題と捉え,向き合って考えていこうとすることにつながります。「どうすればよかったのでしょう。」と、方法論だけを問うような発問だけで進めると薄っぺらな考えだけで終わってしまう可能性もあるので、発問には留意していくことが大切だと思います。

議論できる子と議論が苦手な子もいます。議論が苦手な子は道徳の時間が嫌いになってしまわないか心配です。

 「議論する道徳」は、討論するのとは違います。今まで行ってきた話合いをさらに深めていくと考えた方がいいと思います。「多様な価値観」を話合いの中で出していくのに、「討論」をしてしまっては「特定の価値観」の押し付けになりかねません。意見を言わない子が考えていないというのは間違いです。じっと友達の意見を聞きながら、じっくり自分と向き合っている児童もいます。「考えている」=「発言する」ではありません。議論が苦手な子でも、つい発言したくなるような発問をしたり、温かい対話的な話合いができたりすれば、どんな児童でも安心して自分の考えを発表できると思います。そのためには、基盤となる学級経営と吟味された発問が大切になってくると思います。

では、「考える道徳」にするには、どうすればいいのでしょうか?

①主題名とねらいをしっかり!……ねらいとする道徳的価値について授業者なりの哲学をもって考える。
②よい教材を選択し、教材分析をし、的確な発問を考える……教材は、道徳授業の「命」
③教材提示に命を懸ける……教材提示を児童の心に響かせるように工夫する。
④発問したら、考える時間を児童に与える……沈黙の時間こそ、児童がしっかり自分を見つめて考える時間。
⑤児童に「聴く」姿勢を持たせる……話合いは、「聞き合い」であること。「言い合い」ではありません。
⑥展開後段を「主題」に沿った学習課題とする……つい時間がなくなりがちだが、自己をみつめるために大切。