社会科教室
(小・中学校 社会)

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港川人をめぐる調査と研究の最前線
2010.05.31
社会科教室(小・中学校 社会) <Vol.55>
港川人をめぐる調査と研究の最前線
沖縄県立博物館・美術館 Backyardより
専門員 藤田祐樹

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 沖縄の歴史、文化、民俗、自然を伝える機関として50年以上にわたり活動を続けてきた沖縄県立博物館は、新設された美術館との複合施設「沖縄県立博物館・美術館」として、平成19年11月1日に新たなスタートをきった。開館2周年を経て来館者は100万人を超えたが、この間、博物館、美術館のそれぞれで、さまざまな企画展、講座、イベントなどを催してきた。
 多様な側面を持つ沖縄県立博物館・美術館において、現在、力を入れている分野のひとつが自然人類学である。自然人類学は、遺跡から出土する人骨から、私たちの祖先や、昔の人々の生活などについて調べる学問である。当館で人類学研究を進めるきっかけとなったのが、港川人である。
 港川人は、発見以来、東京大学総合研究博物館で調査、研究が進められていたが、平成19年11月から、港川人1、2号が東京大学に、3、4号が沖縄県立博物館・美術館に収蔵されることとなった。

奇跡の骨「港川人」の発見

 港川人は、沖縄県八重瀬町(旧具志頭村)に所在する港川フィッシャー遺跡から発見された、成人4体を中心とした人骨群である。骨の埋没していた層に存在した炭化物の放射性炭素年代測定によって、約1万8千年前の人骨と考えられている。私たちの祖先について知るため、世界中で古人骨の探求が続けられているが、1万年前より昔の人骨が発見されることはめったにない。港川人のように、全身にわたる人骨が4体も発見されるのは、奇跡的といってよい。港川人は、私たちの祖先の姿を今に伝えてくれる、第一級の研究資料なのである。
 この港川人は、那覇市の実業家、大山盛保氏(故人)の情熱と努力によって発見された。1967年11月、大山氏は、石材として購入した石灰岩中にイノシシ化石を発見した。歴史に深い関心を持っていた大山氏は、すぐに石材の産地である採石場を訪れ、巨大なフィッシャー内の堆積物から無数の動物化石を発見した。
 大山氏は、港川フィッシャーに人骨発見の大きな期待を抱き、頻繁に通って調査するようになった。現場の採石作業が止まる昼休みや夕方以後に発掘を行い、時には車のライトを頼りに夜間発掘することもあったという。そして、ついに1968年3月に断片的な人類化石を発見した。
 そのころ、東京大学の人類学者、鈴木尚氏らが沖縄へ来ていた。港川の人骨を鈴木氏らに見せたところ、古い人骨の可能性が高いと判断され、港川フィッシャーの大規模調査が開始された。最初の調査は、1968年12月から1969年1月にかけて行われたが、人骨は発見されなかった。長い船旅を経て来沖した人類学者たちの落胆は、想像に難くない。
 しかし、大山氏は、その後も現地に通い続け、1969年8月には再び人骨を発見した。その連絡をうけた研究者が、すぐに東京から来沖したが、このときは次々と人骨が発見され、年代測定の材料となる炭化物も採取できるなど、多くの成果が得られた。さらに、大山氏は現地に通い続け、1970年11月に、フィッシャーの最下部から港川人1号として、歴史の教科書にも掲載されることになる人骨を発見したのである。

港川人はどのような人々か?

 私たちホモ・サピエンスは、20万年前ごろにアフリカで誕生した。彼らは、5万年前ごろから全世界へと広がっていった。私たちの祖先が世界中へと旅立った原動力は、何だったのか。この問題を問うために、私たちの祖先が世界各地でどのような生活をしていたのかに、人類学者は注目している。港川人のように保存のよい化石は、こうした研究を進める最高の研究資料となる。
 港川人は、男性で身長153cmほどと小柄であり、上腕骨は細く筋付着部も発達していないことや、鎖骨も細く短いことから、肩幅は狭く、上半身はかなり華奢だったとわかる。脚はかなり鍛えられている。顎は華奢だが、狩猟採集民によく見られように歯の咬耗が著しい。骨格の特徴からは、小柄だが、起伏の激しい沖縄を歩きまわり、狩猟採集を行っていたことが推測される。
 また、港川人とともに大量のイノシシ骨や絶滅動物であるシカ類化石が発見され、ヤンバルクイナやアマミヤマシギなどの鳥類、ケナガネズミなど、琉球列島に固有の動物たちも発見された。更新世の沖縄島南部には、彼らが生育できる豊かな森林が広がっており、港川人は、そうした環境で生活を営んでいたのである。

教育用資料の制作と活用

 以上に紹介した港川人の重要性や、港川人の姿を来館者に伝えるため、私たち沖縄県立博物館・美術館は、県内企業からの出資をうけて、人類進化史を約18分にまとめた映像「人類の誕生と進化の歩み」を作製し、教育用DVDとして沖縄県内の図書館、博物館相当施設、小中学校などに配布した。これは、700万年におよぶ人類の進化史のなかで港川人の重要性を位置づけ、沖縄でこうした研究が進められていることを紹介している。
 また、やはり県内企業6社に出資していただき、4体の「古代人復元模型」を作製した。猿人、原人、旧人、新人という人類進化の4段階における私たちの祖先の姿を、骨格から得られる情報に基づいて復元した精巧な模型である。港川人復元模型も、新人段階の祖先として復元された。
 専門知識のない多くの来館者にとっては、港川人の何が重要で、どのようなことがわかるのか、即座に理解することは難しい。そこで、具体的なイメージを持ってもらうための表現として、正確な情報に基づく精巧な復元模型や、短時間で概要が理解できる映像作品(DVD)を作製したのである。これらは当館の人気展示のひとつとして、子どもから大人まで、多くの人々の注目を集めている。

さらなる発見を目指して

 港川人の研究は、発見から40年以上を経た現在も、継続されている。その最新情報を国内外に広く発信するためには、当館が教育普及だけでなく、研究機関として主体的に機能することも重要である。そこで私たちは、県内外の研究機関などと連携して、港川人の研究や、新たな人骨発見を目指した発掘調査を推進している。
 私たちは、2006、2007年には、南城市のハナンダガマ遺跡を発掘し、沖縄の更新世を代表する動物であるリュウキュウジカなどの化石を発見した。2007年からは、南城市の観光施設「ガンガラーの谷」にある武芸洞遺跡の発掘を行っており、約2,500年前の墓や、沖縄では最古級の縄文土器である爪形文土器(約6,000年前)の包含層を発見した。この下層には、さらに遺物包含層があると期待され、どこまで港川人にせまれるか、大きな期待が寄せられている。

港川人から始まる人類学教育

 武芸洞遺跡の発掘の興味深い点は、この遺跡が観光施設内にあり、ガイドツアーコースとして常時一般公開されている点である。発掘期間中もガイドツアーは実施されており、私たちが発掘している現場を観光客が訪れて見学していく。
 私たち沖縄県立博物館・美術館も、港川フィッシャー遺跡や武芸洞遺跡をめぐるバスツアー「港川人を訪ねて」を毎年開催している。このバスツアーでは、移動中にアフリカで人類が誕生し、世界中へと移住したことや、その過程を理解するための重要な資料である港川人を紹介する。そして、八重瀬町の具志頭歴史資料館を訪れて港川人発見の経緯を学び、次いで、港川人が発見された港川フィッシャー遺跡と、私たちの発掘現場である武芸洞遺跡へと移動し、発掘の成果などを紹介している。
 同様のバスツアーは、民間のツアー会社によっても企画されるようになってきており、当館で港川人が収蔵されたことをきっかけに、港川人発見の地である沖縄で、調査研究や教育普及活動が新たな展開を見せはじめている。
 沖縄には、歴史、文化、民俗、自然など、他では見られない多くの独自性が認められ、観光地としても注目されている。そうした数多くの独自性のなかで、人類化石の発見例が多いことも、沖縄が世界に誇るかけがえのない特性であると私たちは考えている。沖縄県立博物館・美術館では、この地域的特性をいかすため、今後も人類学の調査研究を深め、その成果に基づく効果的な教育普及活動を展開していきたい。

沖縄県立博物館・美術館Webサイトico_link