美・知との遭遇 美術教育見聞録 学び!と美術

学びの意味
今、考えておきたい二つの課題

画像:今月のPhoto 深山で紅葉する木々(福島県郡山市)

 学習の成果であり目的ともされる「学力」と「生きる力」とは、いったいどこが違うのでしょう。日常的に私たちが使う「学力」と、学びの中で得てほしいと願う「生きる力」の認識は、やや曖昧なままに教育を考え、授業に臨んでいるのではないでしょうか。「生きる力」とは?「学力」とは?そのどちらかのテーマだけでも、校内研修や研究会が十分成立しそうです。「学力」と「生きる力」の関係は、教育現場に根ざした認識として明快であるべきではないでしょうか。

「学力」の捉え方には二つの課題がある

 「学力」という言葉は長く用いられていますが、「生きる力」は平成になる頃から使われ始めた言葉のような気がします。「学力」は、学んだ知識・理解の量やテストの点数や、上位学校を受験するときの実力などのように捉えられてきました。素朴に、大人になってから、どう役立つのだろうと感じたことがあるのも「学力」です。成人した教え子の一人が、「日常生活だけなら小学校までの算数で十分だね。」という感想を漏らしました。その通りだと思います。
 数学を取り上げてみても、私たちが中学校で学習する方程式や合同条件や、二次関数などの問題は、ほとんどの生活の中で役立っていると実感することはないでしょう。専門的な職業に就いたときには関数は必要でしょうし、私たちがちょっとした趣味のものづくりをするときに方程式を用いた計算をするかもしれませんが、常に、私たちの周りに難しい数学を持ちだす機会があるわけではありません。
 そのように「学力」を考えるとき、私たちはあまりにも単純に学習を考えていることを反省すべき面と、学習が必要であると実感できるように授業改善をするという二つの課題を感じます。

課題1:学習に対する理解

 まず、最初の課題は、学習に対する理解です。安易に学習の最終章は、センター試験か就職試験であるかのように考える傾向も否定できませんが、目の前に受験という制度がある限り、その関門を突破する力を付ける要求は当然です。そういう制度の中で私たちが生きる以上、そのことも「生きる力」のひとつであると考えられます。現代では、それに答えるべき使命を負っているということもできます。ただ、その弊害と思えることが大学生に起こります。入学後に、入試の次に突破すべき目標を見つけられない学生が少なくないようなのです。4月病・5月病といわれた現象です。
 学生は、自分が希望する大学に合格することを志し勉学に励んできたはずです。ところが、本来の「志」というのは、例えば、大学に合格することや、教員や医者という職業に就くことで達成できるものでもないのです。その後にくる、自分を他者のために役立てたり、世の中への貢献や、自分の思いや願いを遂げたりして、自己存在が活用されて果たされるものなのではないでしょうか。大学入学や職業選択は、貢献度などを勘案した「志」のためのステップにすぎません。にもかかわらず、あたかもそのことが「志」であるかのように目標意識を持たせているのです。そして、そのことが達成されてしまった後に、新たな「志」構築の必要が生じてしまうのです。
 目の前にぶら下げられたニンジンを食べてしまった馬の情況を感じるときがあります。
 学びというものが、将来役立つものであると確信して、成長し向上する自分に期待するこ長軀の学習意欲を継続させるものだと思います。就いた職業の使命である社会貢献や自らを役に立てることを人生の主題とせず、私利私欲のためだけに生きようとする現代人の傾向は、私たちが熱意を込めて行った教育の結果であるなら、とても悲しいことです。

課題2:学んだ力の活かし方

 もう一方で反省しなければならないこと、それは、学んだ力がどう活用できるかという問題です。学んだことが「生きる力」として発揮され、「志」を持つに至るわけですから、先の課題と繋がるのですが、その繋げるまでの間に、数学科は、多くの人にとって無意味な方程式を教えているのか、約1%の子どもたちが進学するにすぎない美術にもかかわらず、多くの子どもに、なぜ絵を描かせるのかという問題が残ります。
 私たちが理科で学ぶミクロからマクロまでの世界、社会で学ぶ人間の歴史、そういうものが大人になったときに世の中を生きていく上で、どのように役立つのかを自覚し、必要なときには説明できる教師として授業に向かってほしいと願います。それぞれの教科目標に、そのことの示唆があるのですが、教師は、もっと子どもたちに肉薄して、子どもにわかる言葉でそのことを感じさせていく必要があります。
 義務教育で教える内容のほとんどは、「生きる力」の基礎であると考えられています。学校を卒業した後も学び続けながら、多くの価値や深い認識の広がりを果たします。そこで生かされる「学力」というのは、解の公式や合同条件の記憶力ではないのです。長さや量、面積、速度などをすべて「数」に置きかえて認識するという、人類が長い歴史で築き上げた数学的な思考力が身についているかが大切なのです。時を経て、具体的な暗記に自信はなくとも、数学的思考ができることへの学びの意味をだれもが実感するはずです。社会や理科にも同様な学びの意味があると思います。歴史を記憶することより、その知識の蓄積から見えてくる人類の戦争好きや長期に渡り私たちに貢献する偉大な発明を知ります。そして、子どもに私たちの未来はこうありたいというビジョンが生まれるからこそ、学びの価値があるのです。自然や社会環境を知らずして、エコの精神は育たないでしょう。

上手に描く方法は教わったが、何を描くかの「主題」を教えない教育のように思えるのです。