「それでも生きる子供たちへ」

7つの国の子供たちの現実をつづる
大人たちにこそ、率先して見て欲しい。

それでも生きる子どもたちへ  7つの国の映画監督たちが、7つの国の「子供たち」をテーマにした映画「それでも生きる子供たちへ」(ギャガ・コミュニケーションズ配給)を撮った。ドキュメントではなく、どれも20分たらずの短編の劇映画である。
 貧困、病気、戦争など、いまの世界の子供を取り巻く現実、環境を、リアルに、ユーモラスに、切なく、それぞれの作家たちが、個性を競う。

 アルジェリア生まれのメディ・カレフは、「タンザ」を。ゲリラとともに戦闘に加わらざるを得なかったルワンダの少年兵タンザは,まだ12歳。深夜、銃を手にある部落を襲う。タンザはあこがれていた学校に侵入する。教室にすわり、黒板を見つめるタンザ。銃で撃たれ、「怖い」と言って死ぬ少年もいる。
 「ブルー・ジプシー」は、サラエボ生まれの監督エミール・クストリッツァ。傑作「パパは、出張中!」「ライフ・イズ・ミラクル」を撮った監督である。舞台は少年院。泥棒で捕まった15歳のマルヤンは、出所を前にサッカーを楽しんでいる。窃盗団を率いる父が、所長や看守にたくさんのおみやげを持って、マルヤンを迎えに来る。少年院を出たその日に、車から金を盗めと父親。警察に追われたマルヤンは…。
 エイズと麻薬常習の両親を持つブランカは、当然、感染者である。ブランカは学校でいじめられるが、両親はブランカを愛している。両親とともに、ブランカはティーンのための保健センターを訪ねる。「アメリカのイエスの子」を撮ったのはスパイク・リー。「マルコムX」「インサイド・マン」の監督である。
 ブラジルのサンパウロ。貧民街に住むビルーとジョアンは幼い兄妹。段ボールや空き缶を集めて売りさばいている。なにが高く売れるか、どうすればたくさんの資源物が集まるか、まるで、ゲーム感覚でゴミを集め、生きている。「ビルーとジョアン」はブラジルの監督カティア・ルンド。傑作「シティ・オブ・ゴッド」をフェルナンド・メイレレスと共同監督した人。
 「ジョナサン」は、イギリス生まれのリドリー・スコット、ジョーダン・スコットの父娘が監督。戦争の写真を撮っているジョナサンは、幻覚を見る。少年に戻ったジョナサンが、何人かの子供たちと、戦争の現場に遭遇する。戦場なのに、子供たちは無邪気に遊んでいる。
 イタリアのステファノ・ヴィネルッソは「チロ」を。ナポリで移動遊園地を経営するボスは、じつは窃盗団のボスでもある。少年チロは、金持の車から時計などを盗んでは、ボスに交渉して売り払う。悪いことと知りながら、大人と渡り合うチロの表情は大人のそれである。
 ラストを飾るのは香港のジョン・ウーである。かつて「男たちの晩歌」「M:I-2」などを撮った。「桑桑(ソンソン)と小猫(シャオマオ)」は、子供たちの切ない格差が描かれる。裕福な家庭ではあるが、ソンソンの両親は喧嘩ばかり。ソンソンはママに話しかけても、叱られてばかり。思わず車の中から立派なフランス人形を捨ててしまう。捨て子だったシャオマオは、親切な老人に育てられて、貧しいけれど、幸せそうである。老人が、シャオマオを発見した場所で拾ったのが、なんとソンソンの捨てた人形である。老人は交通事故で死んでしまう。花売りとなって働くシャオマオは、偶然にもソンソンと出会う。

 世界の子供をとりまく厳しい現実がある。飢えや貧困、意味のない戦争・・・。それでも必死に生きていこうとする子供たちの表情が、どの作品からも見てとれる。
 いまの、この世界を作っているのは大人である。この現実に対して、大人たちはどのように対処すればいいのか?
 豊かで、一見恵まれているかもしれない日本でも、かつては考えられなかった悲惨な状況が現れつつある。だからこその教育改革なのだろう。

 「それでも生きる子供たちへ」は、大人たちに、それも政治家や役人、教育関係者たちにまず見てほしい。そして世界じゅうの子供たちの置かれている環境に、思いをはせていただければいいのだが。

●公開は初夏、シネマライズ他、全国順次ロードショー

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