大濱先生の読み解く歴史の世界-学び!と歴史

「国土の造形」自然と向き合う歴史
ゲリラ豪雨、自然災害にみる -天意に万象を知る者として-

 人間は、自然と対話することをとおし、日々の営みをつづけてきました。しかし昨今、ゲリラ豪雨と言われるような各地を襲う自然の猛威は、「天災」「人知をこえたもの」云々といわれますが、人間が自然との対話を忘れ、人間の欲望のおもむくままに自然を切り取り、征服することを旨となす文明がもたらしたものではないでしょうか。その現象は「温暖化」「環境問題」として語られていますが、現在問われているのはこのような対症療法ではないはずです。そこで、自然と向き合い、対話する中により良き明日を模索した人々の姿を思い起こし、その足跡をたどることとします。

民の暮らしを守る

 古くは、最先端の文明であった仏教を学んだ僧侶が橋を架け、灌漑(かんがい)のために池を掘るなどして、民の暮らしを支えています。行基は河内(大阪府)の狭山池をはじめ、橋や港などの整備に力をつくし、弘法大師空海は讃岐の水がめ満濃池の改修などをしています。また戦国武将の力量には、支配下の国(領国)を豊かにするためにも、城普請をはじめとする城郭のみならず、河川や道などを造営するための、普請にかかわる土木技術が欠かせませんでした。「風林火山」を掲げた武田信玄は、現在「信玄堤」と呼称されている川除堤にみられますように、釜無川と御勅使川(みだいがわ)が出会う所に堤防をつくり洪水に対処しています。
 ここには、民の暮らしを豊かにするために、いかに国土を造形するかが統治の要であることがうかがえます。このことは、江戸時代の将軍家や諸大名の課題でもあり、「名君」たる器を問われる要件でもありました。

豊かな国をめざし

 明治の新国家は、日本列島を一つの国にしていくために、三大開拓といわれている青森県の三本木、福島県の安積、栃木県の那須野原開拓にかかわる国家プロジェクトを推進するのみならず、河川の改修、築港等を試み、国土の造形をとおした国家の一元化をめざしています。これらの事業をささえたのは、欧米の先端技術を学び、日本の風土に相応する国土の改造を試みた土木技師の営みです。
 北海道幌内炭鉱の積出港小樽の北防波堤を完成させたのは、1877年に入学した札幌農学校第二期生廣井勇です。廣井は、コンクリートブロック斜め積みによるスローピングブロック(斜塊)システムにより日本海の荒波や暴風雨に耐えうる防波堤に護られる小樽港を完成させ、その工事にかかわる研究と経験をふまえ、日本ではじめての港湾工学の専門書となる『築港』全5巻をまとめております。
 廣井の後輩には1886年に札幌農学校工科第一期生として入学した岡崎文吉がいます。岡崎は、石狩川治水事務所長として石狩川の河川調査をなし、「自然の紆曲流路は多くは良好にしてむしろ理想的な航路。自然の河川状態を保護し、たまたま不良なる一部に向かっては自然が示す模範を応用して修正するにとどめる」との「自然主義」による治水を提言し、「岡崎式マットレス」と称される単床ブロックによる護岸工事を実施しました。
 この岡崎式マットレスは、鉄筋コンクリートブロックに穴をあけて金属ワイヤーを通して繋ぎ、各ブロックの継ぎ目が互い違いになるように編み上げたものです。そのため頑丈にして撓む特性があり、侵食の激しい箇所に設置すると、あたかも一枚の織物のようにしなやかに河岸から河底まで、必要なら対岸まで一枚もので覆うことも出来たのです。
 この方式は、石狩川のみならず、アメリカの暴れ川ミシシッピーの護岸に採用され、その治水に大きな成果をあげています。ここには、天の声に耳を傾け、河川を自然界の大いなる一部と認識し、自然と対話し、自然の営みを組み込むことで、可能な限り自然を残した大地の造形をなしていこうとの想いがあります。

画像:旧岩淵水門(赤水門)と治水大成碑

天意を覚る者たらん

 廣井は、同級生内村鑑三とともにキリスト者たる道を歩み、岡崎式マットレスが採用される前のミシシッピー川の改修工事に、日本人技師として従事した人物です。内村は「廣井君ありて明治大正の日本は清きエンジニアーを持ちました。日本はまだ全体に腐敗せりと言う事は出来ません」と弔辞で述べています。
 この廣井と内村を生涯の師としたのが青山士(あきら)です。青山は、内村鑑三の『後世への最大遺物』を愛読し、そこで説かれていた天文学者ハーシェルの言葉が心身に刻まれた一人です。

此世の中を私が死ぬときは私の生まれたときよりは少しなりとも善くして逝かうじゃないか

 この想いこそは、パナマ運河開削事業に一日本人労働者として参加せしめ、帰国後に内務省に入り、荒川放水路岩淵水門の工事に従事し、1924年に完成させます。その記念碑には、工事の犠牲と労役を払った人々のことのみが記されています。

此ノ工事ノ完成ニアタリ多大ナル犠牲ト労役トヲ払ヒタル我ラノ仲間ヲ記憶センカタメニ
神武天皇紀元二千五百八十二年
荒川改修工事ニ従ヘル者ニ拠テ

 ついで1931年に完成した信濃川の大河津分水は、流域の洪水から耕地をまもり、民の暮らしを安泰にしました。この記念碑は二基あり、一つは荒川放水路と同じ精神を述べたもので、「吾等と吾等の僚友が払ひし労苦と犠牲とを永遠に記念せんがために」「信濃川改修工事 従業員一同」によるものです。これらの無名者を讃える碑文を貫くのは『後世への最大遺物』に読み取った世界にほかなりません。その世界はエスペラントを付した次の一文に読み取れます。

(正面)
万象ニ天意ヲ覚ル者ハ幸ナリ
Felicaj estas tiuj,kiuj vidas la Ⅴolon de Dio en Naturo
(裏面)
人類ノ為メ国ノ為メ
Por Homaro kai Patrujo

画像:信濃川大河津可動堰と信濃川補修工事竣工記念碑

 「万象ニ天意ヲ覚ル」には、大いなるものに眼を向け、自然と対話しなければなりません。若き日の青山は、「感想録」に己が想いを認め、「此賎しきものをも爾の器とし給ひて爾の為め、我国の為め、我村の為め、我家の為めに御使ひ給はんことを」と祈っています。
 ここには、内村鑑三と廣井勇を生涯の師となし、天を仰ぎ見て生きた青山士の原点があります。国土の改造は、万象に天意を読み取ろうとする志をもってこそ、はじめて可能となるのではないでしょうか。

 土木技術には民を豊かにする夢に応じうる国土の改造が託されています。この大いなる夢の実現をめざした人々の軌跡を学ぶことで、天の怒りを我が想いとなし、現在よりも少しでも良き明日がいかにしたら実現できるかを考えたいものです。

参考文献

  • 『土木の絵本 人をたすけ国をつくったお坊さんたち』
  • 『土木の絵本 水とたたかった戦国の武将たち』
  • 『土木の絵本 近代土木の夜明け』
  • 『土木の絵本 おやとい外国人とよばれた人たち』
  • 『土木の絵本 海をわたり夢をかなえた土木技術者たち』
     (企画、発行:財団法人全国建設研修センター 1997-2002年)
  • 『技師・青山士の生涯』(著:高崎哲郎 発行:講談社 1994年)