学び!と歴史
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日本宣教への覚悟
ザビエルが手にした日本情報は宣教への夢を日毎に大きくしたようです。その夢は、マラッカからヨーロッパのイエズス会員宛1549年6月22日に読みとることができます。ヨーロッパに伝わった日本宣教への期待は、信仰覚醒にうながされ、イエス・キリストの使徒として全世界に旅立たんとの熱気を誘うメッセージとして王侯貴族のみならず青年の心に火をつけていきます。まさに17世紀の禁教下に来日した『沈黙』の主人公ロドリゴは、ザビエルにはじまる日本宣教像が提示した記憶を共有することで来日の狂気にとらわれた一人なのです。
ポルトガル人が日本について私によこした手紙によると、日本人は非常に賢く、思慮分別があって、道理に従い、知識欲が旺盛であるので、私たちの信仰を広めるためにはたいへんよい状態であるとのことです。(略)日本についての情報を得てから、私は日本へ行くべきか否かを決定するために長いあいだ熟考しました。主なる神が、日本において神に仕えるために日本へ行くことが私の使命であると、私の内心に確信を抱かせる恩恵をお与えになることをお望みになってからは、もしもそれを実行しないならば、私は日本の未信者よりも悪い者になると思うようになりました。悪魔は私の渡航を妨げようとして、いろいろな試みをしました。私たちが日本へ行くことを悪魔が恐れているのはなぜなのか、私には分かりません。私たちはミサをたてるために必要な物をすべて携行します。神の思し召しであれば、来年私たちがあちらで体験したことすべてを、細かに報告することになるでしょう。
日本に着きましたら、国王のおられる本土へ行き、イエズス・キリストから遣わされた使節であると国王に申しあげることにしました。主なる神が悪魔に対する勝利を与えてくださるに違いないと、神の慈しみを心から信頼して私たちは渡航します。私たちは日本において、学識のある人たちと出会い討論することを恐れません。なぜなら、神を知らず、イエズス・キリストをも知らない人びとが何を知ることができるでしょうか。
「主なる神が悪魔に対する勝利を与えてくださる」との信仰的確信は、日本で出会った世界をして、「この国の人びとは今までに発見された国民のなかで最高であり、日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう」と、言わしめるほどに日本宣教への高い期待を生み育てたのです。この日本像は、日本への憧れが強かっただけに、日本熱を否応なしにうながします。
日本という世界
鹿児島到着後にゴアのイエズス会員宛1549年11月5日の書簡は、ザビエルが思い描いてきた夢が眼前に展開したものとみなされ、来るべき日本が「キリスト教の王国」に相応しいものとして紹介されています。
1)私たちが交際することによって知りえた限りでは、この国の人びとは今までに発見された国民のなかで最高であり、日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がありません。驚くほど名誉心の強い人びとで、他の何ものよりも名誉を重んじます。大部分の人びとは貧しいのですが、武士も、そうでない人びとも、貧しいことを不名誉とは思っていません。
2)日本人は侮辱されたり、軽蔑の言葉を受けて黙って我慢している人びとではありません。武士以外の人たちは武士をたいへん尊敬し、また武士はすべて、その地の領主に仕えることを大切にし、領主によく臣従しています。
3)この国の人たちの食事は少量ですが、飲酒の節度はいくぶん緩やかです。この地方にはぶどう畑がありませんので、米から取る酒を飲んでいます。人びとは賭博を一切しません。賭博をする人たちは他人の物を欲しがるので、そのあげく盗人になると考え、たいへん不名誉なことだと思っているからです。宣誓はほとんどしません。そして宣誓する時は、太陽に向かってします。大部分の人は読み書きができますので、祈りや教理を短時間に学ぶのにたいそう役立ちます。
4)この地の二つの習慣について、あまりにもひどいので驚いています。その第1は、これほど大きな忌わしい[ボンズたちの]罪を見ていながら、人びとはなんとも思っていないことです。昔の人たちがこうした罪のなかで生活することに慣れてしまったので、現在の人たちも前例に倣っているからです。(略)その第2は、世間一般の人たちがボンズたちの生活よりも正しい生活をしていることです。
5)私があなたがたにお知らせしたい唯一のこと、それは主なる神に大きな感謝を捧げていただきたいことです。この島、日本は、聖なる信仰を大きく広めるためにきわめてよく整えられた国です。そしてもし私たちが日本語を話すことができれば、多くの人びとが信者になることは疑いありません。
ここに提示した日本像は、後に来日したルイス・フロイス等々の宣教師の眼を規定し、日本に順応した宣教論を構築する根拠となったものです。ここには、パウロが「コリントの信徒への手紙」で「わたしはあなたがたに乳を飲ませて、固い食物は与えませんでした。まだ固いものを口にすることができなかったからです」(一の3章2節)との想いがありました。日本人には、「聖なる信仰」そのものを生のまま説き聞かせるのではなく、日本人の心に寄り添い、その心に合わせて日本人の心に響くように「信仰」を説き聞かせ、キリスト者にしていく作法がとられたのです。この作法は、「順応」論といわれるもので、16世紀をキリシタンの時代になさしめたものです。