学び!と人権

学び!と人権

識字運動
2022.05.06
学び!と人権 <Vol.12>
識字運動
森 実(もり・みのる)

 前回まで部落問題と女性差別について考えてきました。近年、差別の交差性 というテーマがよく取り上げられます。複数の差別の重なり合いにより、新たな問題や新たな取り組みが発生するということです。日本における識字運動は、被差別部落の女性たちが担ってきたといえます。識字運動は、差別の交差性を考える手がかりの一つといえるでしょう。そこで、今回は識字運動についてふり返ってみます。
 日本では、被差別部落の女性たちにより、1960年代から大人が文字の読み書きを学習する運動が広がっていきました。被差別部落に生まれ育ち、経済的に貧しかったなどの理由で学校に行けなかった人たちがいます。その多くは女性です。「女に学問はいらん」と言われ、学校に行くよりも下の子の面倒をみるよう強いられたのです。学校に行けなかった子どもたちは、部落外にもいました。重要なのは、被差別部落にはそういう状況を跳ね返す運動があったということです。この運動は、現在まで続いています。今回は、女性差別と部落差別の接点ということで、被差別部落の識字運動を見ていくことにしましょう。これは、教育全体を捉え直すことにも通じます。

①福岡から始まり、全国へ

 日本には、大人が文字の読み書きを学ぶ活動が第二次世界大戦前からありましたが、大戦後になって広く見られるようになりました。それは、1960年代からです。始まりは、福岡県の筑豊でした。家庭訪問に行った教員が、母親のなかに文字の読み書きができない人のいることに気づきました。そこから識字教室が始まりました。地域の母親たちが学習者となり、学校の教員が講師となりました。
 この時期に生まれた作品やエピソードはたくさんあります。月刊『部落解放』(2022年2月号 817号)は「識字運動の原点から未来をひらく」という特集 を組んでおり、この時期の作品も紹介しています。
 「あいうえお」から学んだ人たちが自分の生いたちを紡いだ作品には、何よりも訴える力がありました。多くの人は、「いえがびんぼで」学校へ行けなかった、下の子「みんなのめんどをみて」と書いています。「えただひにんだと おおぜいのこどもたちから いしをなげつけられ ないてかえりました」と綴っています。そこから見えてくる部落差別と女性差別、部落差別と在日韓国・朝鮮人差別、差別と貧困などの接点には、現在に通じる問題が含まれています。
 福岡県での取り組みは、全国女性集会などを通して全国へと広がっていきました。ときあたかも、同和対策審議会答申が出された1965年頃のことです。その4年後には同和対策事業特別措置法が制定されました。地域からの要望を受け、同和対策事業の一環として識字教室が始まりました。
 広がった地域の一つが大阪です。大阪では、福岡での運動に学んで1970年頃からほとんどの被差別部落に識字教室が始まりました。
 「福岡で始まった蛍の火を大阪に持ってきて電気を起こしましたんや」
 ネット上にもさまざまな識字運動についての紹介 があります。

②世界の識字運動と連動して-「国際識字年」(1990)と「国連識字の10年」(2003-2012)

 大阪の識字運動が盛り上がっていた1980年代後半、ニュースが入ってきました。「国連が1990年を国際識字年 と定めた」というのです。ここから、世界の識字運動と日本の識字運動との連携が広がっていきました。
 1989年には、ブラジルのパウロ・フレイレ(1921~1997) が日本にやってきました。パウロ・フレイレは、ブラジルで民衆の暮らしに入りこみ、生活を捉えなおして立ち上がっていくような識字活動を展開した人です。1970年代から1980年代の世界の識字運動では、最も大きな影響を及ぼした人といって良いでしょう。日本では知る人が少ないのですが、国際的にはよく知られた教育学者です。大阪で、ある被差別部落の識字教室 を訪問し、学習者が自分の生活や生いたちを綴った文章を読む のを聞きながら、彼は「ビューティフルデイ」と繰り返していました。被差別部落の識字教室 は、世界の識字につながる質を持っていたということです。
 国際識字年をきっかけに、国内ではさまざまな識字運動がつながっていきました。大阪などでは、国際識字年推進大阪連絡会 が結成され、被差別部落の識字運動と、在日韓国・朝鮮人の人たちが中心に学んでいた夜間中学などとの連携が進みました。
 もうひとつ、国際識字年をきっかけに始まったのが、日本の識字運動と韓国の識字運動の交流です。これは途切れ途切れでしたが、次の項目にある「日韓識字学習者共同宣言」へとつながっていきました。

大阪市内の識字学級を訪れるパウロ・フレイレ(1989年)

③21世紀を迎えて-日韓識字学習者共同宣言(2019)

 お隣の国韓国と日本との間で識字に関わる交流は1990年の国際識字年のころからいくつかの流れで重ねられてきました。直近でいえば、2019年に「日韓識字学習者共同宣言」 が出されています。そこに至るには、2017年からの交流の積み重ね がありました。日韓それぞれの識字運動の歴史や現状、課題についてまとめた冊子『子どものころに学べなかったからこそ-韓国と日本の識字・基礎教育』 (2021年)も発刊されています。
 韓国でも、識字学習者の多くは女性です。なぜそのような状況になっているのかは、「日韓識字学習者共同宣言」を読めばわかります。一部だけですが、引用して紹介しましょう。

 わたしたちは、いろいろな事情で子どものころに学ぶことができませんでした。小さなころに、親がいなくなりました。それで、幼い妹や弟の面倒をみなければならなくなりました。小さな子どもを連れて学校には行けません。小さい頃から、しごとをして、買い物をして、食事をつくって、家をきりもりすることがわたしたちの毎日でした。「女に学問はいらない」と言われました。学校に通う友だちがうらやましくてなりませんでした。その日その日のお金に頼るしかありませんでした。履歴書に「卒業」と書けません。しごとをする自信は人一倍あっても、読み書きできないために身体を使うしごとばかりでした。それでも昔はまだ、読み書きできなくても暮らせました。いまでは読み書き抜きにしごともありません。職場で文字と出合うときが、その仕事からわたしたちが別れるときでした。つらさを考える時間さえありませんでした。

 読み書きを学ぶようになって、人生は大きく変わりました。わたしにとって止まっていた時間が動き始めました。人生が始まりました。安心して何でも話せる友だちができました。自分のことを大切にしてもらっていると思えます。紙の上の黒いシミが文字でした。同居している息子の妻が冷蔵庫に貼ってくれていたメッセージがありました。友だちに読んでもらって「お母さんありがとう」だとわかりました。4年たって返事が書けました。心の傷がゆっくりと癒えてきました。わからない文字に出合っても教室でたずねることができます。怖かった文字が、怖くなくなってきました。仕事場には、ノートを置いて書くようになりました。いつも下を向いて歩いていて「お金が落ちているのを探しているのかい」と言われていたわたしが、正面を向いてにこにこと笑顔で歩くようになりました。新しいことに挑戦する気持ちがわいてきます。文章を読むことで、世の中のことがわかるようになりました。生い立ちを文章に綴ることで、どうしてわたしの人生がこうだったのか、わかるようになりました。傷が癒えて、前よりもずっと強くなりました。

 わたしたちにとって、識字とは、読み書きを学ぶだけではありません。文字を通して人生を学ぶことです。生活する力は母親がつけてくれましたが、生きる力は識字で身につけました。識字のおかげで世の中がハッキリと見えてきました。だから、識字はわたしにとってめがねのようなものです。識字とは、文字を学び、自分を表現する場です。人生の喜びであり、生きがいであり、幸せです。心の居場所です。識字は、小さな夢をどんどん大きくしてくれます。人生のとびらを開いてくれるものです。学ぶようになって、あきらめないようになりました。わたしたちにとって学ぶことは生きることです。みんなで支えあい学びあうことで、平和で暮らしやすい社会が築けます。

いまだからこう言えます。
子どものころに読み書きを学べなかったからこそ、いまの幸せがある。

④直面しているチャレンジ

 2010年から11年にかけて、全国の被差別部落の識字教室実態調査が行われました。2010年の調査は質問紙によるものです。2011年は、質問紙調査をふまえて教室を訪問し、インタビューした調査 です。
 現在の識字運動は、さまざまな課題に直面しています。一つは、海外から来た人たちの学習の場としていかに役割を果たすかということです。出入国在留管理庁の統計 によると、1990年頃から諸外国より多くの人たちが日本に訪れるようになりました。戦後70万人弱だった外国人数は、1990年頃に100万人を超えます。その後、2000年頃には総人口の1%を超えるようになりました。2019年には293万人、新型コロナの影響もあって2020年には減少していますが、それでも289万人となっています。この人たちの日本語学習の場として識字教室が役だっている面があります。識字教室は先に述べたような性格をもってきたので、識字教室における日本語学習は、単に日本語を学ぶだけに止まりません。自分たちの生活を捉え直し、背景にある社会的問題を整理し、問題解決のために何をどうすれば良いのか、学習者と支援者が一緒に学ぶような場所です。しかし、そのような役割を十分に果たせているかどうかでいえば、今後に期待されるところが大きいのが実情です。
 二つには、不登校や高校中退の経験者が学ぶ場としていかに役割を果たすかということです。文部科学省の統計 によると、不登校児童生徒数は2013年頃まで12万人台でしたが、それ以後増えていき、2020年には約19万6千人となっています。比率で見ても、2015年までは1.2%台でしたが、それ以後急増し、2020年には2.0%を超えています。特に中学校では、2020年には4.0%を超えており、1クラスに1人以上という数字になっています。不登校児童生徒にはさまざまな人たちが含まれていますから、そのすべてが十分な読み書き能力や学力を持っていないわけではないでしょう。しかし、そのなかには、読み書き能力や学力に問題を抱える人たちが少なからずいると推測されます。ちなみに2020年の中学校での不登校生徒は、約13万3千人とされています。このうち5万人が、毎年十分な読み書き能力や学力を持たないまま卒業しているとすれば、10年で50万人となってしまいます。この人たちが学べる機会は限られています。もしも学校的状況に入っていくのが難しいとすれば、識字教室などはそこに至る一歩としても大きな役割を果たせるかもしれません。しかし、この点も、今後に期待されるところです。
 三つには、そういう人たちも含めて、学びたい人みんなが安心して学べる場所として、識字教室を展開する必要があるということです。地域にある識字・日本語教室では、差別事象やセクシュアルハラスメントも報告されています。報告されていない差別事象もあると考えられます。もしもそうだとすれば、教室に学びに来た人たちが差別事象などを原因として教室を離れていっていると思われるのです。日本語教室などで学ばれている内容は、学習者の生活や権利を守るものとなっているのでしょうか。教室のあり方が問われるところです。しかし、すでにそういう問題への取り組みは始まっています。たとえば大阪では、識字・日本語学習センターが中心になってボランティアの意識調査や人権学習教材づくり が進められています。
 こうして、部落の女性たちから始まった運動は、さまざまな人たちと一緒に大きな渦を形成するようになってきており、今後その渦はさらに大きくなることが期待されます。

【参考・引用文献】
・ヒューライツ大阪ウェブサイト 徐阿貴氏(福岡女子大学)「人権の潮流Intersectionality(交差性)の概念をひもとく」 国際人権ひろば No.137(2018.1月発行号)
・株式会社解放出版社ウェブサイト
・一般社団法人部落解放・人権研究所ウェブサイト
・IMADR(国際人権NGO反差別国際運動)ウェブサイト
・ウィキペディア
・日之出よみかき教室(大阪市 識字教室)ホームページ
・一般財団法人大阪府人権協会ウェブサイト
・識字・日本語センターウェブサイト
・基礎教育保障学会(日本)と全国文解・基礎教育協議会(韓国)サイト
・出入国在留管理庁ウェブサイト
・文部科学省ウェブサイト
・写真/読売新聞社