学び!とPBL

学び!とPBL

学校の課題・社会の課題
2019.02.20
学び!とPBL <Vol.11>
学校の課題・社会の課題
三浦 浩喜(みうら・ひろき)

1.予定調和の学力

 OECD東北スクールも終盤にさしかかった頃、同プロジェクトの教員研修会の最中、1人の先生が「いろいろ話を聞いていたら、学校が目指す方向と、社会が目指すべき方向にズレを感じる。」と発言しました。「学校は社会全体が抱える課題に合わせるべきだ」とも言いました。私は内心、我が意を得たりと思って聞いていました。
 学校は子どもたちの学力を上げることに向かいますが、その学力は高校に入ったり、大学に入ったりするための学力に留まることが多く、社会が抱えている課題に即したものなのかどうか、大いに疑問が残ります。
 日本の教育は他国と比較しても、教科への依存度が高いと言われています。確かに教科教育のレベルは他国に比して非常に高いと思いますが、全ての教科を学ばせたところで、自動的に完成された人格が形成される、とは思われません。しかし多くの先生方は、教育全体の組み立てを知らなくても、自分の担当の教科や領域をしっかり教え込めば、予定調和的に子どもたちは育つと考えています。
 過去においてはそれも成り立ったのかも知れませんが、少なくとも私は、東日本大震災以降、このことについて強い疑念を抱くようになりました。いや、私ばかりか、被災地の多くの先生方や教育行政の方からも同じ言葉が聞かれました。

2.VUCA社会

 OECD東北スクールの3年間、OECD教育スキル局の日本人のシニアアナリストとたいへんな時間を費やして話をしました。OECDは日本をどう見ているのか、世界との比較で日本はどう位置づけられているのかにはじまり、東北の直前に震災に見舞われたニュージーランドのクライストチャーチの新しい教育から、イスラエルの危機管理教育までいろいろなことを教えてもらいました。
 世界はこれから2050年ぐらいまでに急激に人口が増加し100億人に迫るのに対して、日本は4分の3の1億人を割ってしまうほど、急激なスピードで減少していきます。人口が減れば経済活動も低迷し、社会のシステムも必然的に大きく変化していくことから、世界は日本がどのように対応していくのか注目しています。「日本は既に沈没が始まっているのに、それに気づく人があまりにも少なすぎる」とも言われました。
 一方で世界は今デジタル革命と言われ、18世紀の産業革命以降最大の変化を遂げようとしています。技術の進展に教育が追いつかず、あちらこちらで「社会的痛みSocial pain」が生じています。例えば、会社や自治体に必要な人材が少ない、もしくはいない、子どもが学校で学習する意義が見いだせない、何かというと学校が目の敵にされる、若者の発想を生かすしくみがない、などに現れています。とりわけ日本は教育改革が遅れている、とOECDは見ています。

図1 テクノロジーと教育のレース(OECD資料から)

 OECDは現在の子どもたちが大人になる2030年までに、どのような能力を身に付けさせ、そのためにはどのような教育をつくり、どのように評価するのか、その研究に乗り出しました(EDUCATION 2030)。OECDが若者たちのために作った2030年問題の学習資料には、

  • 移民……富裕国への移民が50年で10倍に
  • 環境……温室効果ガス排出量 BRIICS(ブラジル、ロシア、インド、インドネシア、中国、南アフリカ)がOECD加盟35カ国を越える
  • シチズンシップ……世界的に低下する選挙の投票率
  • 平和と安全……世界のテロの発生件数が2013年に年間10000件を突破
  • 就業……15~29歳のニートの割合が12%
  • 格差……ジニ係数、先進国で増加
  • 家族構成……年齢の中央値、2100年にはほとんどの国で45歳以上
  • 健康……米国の子どもの肥満率35%
  • テクノロジー……若者にとってSNSは生活の基礎

などの衝撃的なトピックが並びます。
 現代社会は気まぐれで(Volatility)、不確実で(Uncertainty)、複雑で(Complexity)、曖昧な(Ambiguity)社会、頭文字を取ってVUCA社会と呼ばれています。

3.教育改革のリアリティ

 世界では大きな災害が起きると決まって新しい教育が生まれる、日本は1000年に1度と言われる大災害に見舞われた、だからここから新しい教育が生まれるはずだ、さもなければ、日本の教育は永久に変わらない、と言われました。OECDが東北を支援しようとした最大の理由はここにあります。日本の教育が全てダメだといっているのではありません。近年まで日本は世界最高レベルの学力を全ての子どもたちに身に付けさせ、それは現在も続いています。問題は、こうした学力が、例えば東日本大震災で受けたダメージのリカバリーに、どのように対応できるのか、ということです。実際、PISAで上位をキープしているフィンランドやシンガポールなどは、PBL型の学習に大きく舵を切っています。
 この大きな違いは、教育行政や学校教員がいかに社会的課題をリアルに認識し、その解決への意欲を持つか、ということだろうと思います。ここ数年、

  • 2011年度にアメリカの小学校に入学した子どもたちの65%は、大学卒業時に今は存在していない職業に就くだろう(デューク大学・キャシー・デビッドソン)
  • 2040年には全国1800市区町村の半分の存続が難しくなる(増田寛也)

図2 消滅危惧市町村896自治体(増田寛也らによる)

  • この10年ぐらいに日本の職業の半数はAIやロボットに置き換わる(野村総研)

図3 AIやロボットに置き換わる可能性の高い100の職業(野村総研による)

  • 2007年に日本で生まれた子どもが107歳まで生きる確率が50%もある(英国のリンダ・グラットン教授)
  • 2045年にコンピューターの能力が人類を越える(レイ・カーツワイル)

など、衝撃的な預言が続いています。これらを全て文言通りに信じる必要はありませんが、これまでになかった社会の激変が少しずつ起こっていることは間違いないでしょう。
 問題なのは、それぞれの変化を予測できたとしても、それらが複合すると何が起きるのか、予想することはきわめて困難だということです。日本の労働者不足をAIとロボットが補ってくれるのかどうかは、現在は全くわかりません。いずれにしても、子どもたちの世代はこのような変化の激しい社会、過酷な社会を生きていかなければならないのです。
 われわれの経験のみによって、子どもたちを育てられる時代はもう終わったと思います。「解のない問い」にチャレンジできる子どもたちを育てることの重要性を、大震災を経験した私たちだからリアルに感じられるのかも知れません。