学び!とPBL

学び!とPBL

普段着の国際協働へ ―未完―
2021.03.24
学び!とPBL <Vol.36>
普段着の国際協働へ ―未完―
三浦 浩喜(みうら・ひろき)

1.台湾協働の新段階

図1 台中高女で打ち合わせ 2019年11月、私たちスタッフは台中市台中女子高級中學(台中高女)を訪れました。立人高級中學の学園祭で知り合った台中高女のPTAの方の招きによるものです。氏は台中市(日本の行政区分では「県」)とも太いパイプを持っており、当日の打ち合わせには台中県の教育局長も出席していました。
 事前の打ち合わせでは、台中市の都市部だけではなく、山間部と交流・協働することも考えてほしいとのことでした。この台中高女は台中市の都市部に位置し、全台湾でも5本の指に入るほどのエリート校で、いずれの生徒の家庭も上流階級ばかりです。しかし、これが台湾のすべてなのではなく、東の山間部には台湾原住民の血筋の人々も暮らしており、経済的にも恵まれているとは言えない、都市部の子どもたちは家族旅行で日本に行くことも珍しくないが、山間部の子どもたちのほとんどはそのようなチャンスがない、ということでした。
 「私たちの協働のねらいは、各地のありのままの姿を受け入れ、生徒同士が力を合わせる機会をつくっていくこと」と伝え、台湾側からの提案を歓迎しました。

2.三つの高校と

図2 100周年を迎える台中高女にて 2019年12月、私たちは台湾に向かいました。福島側の生徒もほぼ新しいメンバーに入れ替わり、語学が得意な生徒や中国語が堪能な生徒もいれば、プロジェクトで元気を取り戻しつつある不登校気味の生徒もおり、バラエティに富んでいました。彼らは皆、福島市高校生フェスティバルでチームワークを築きあげたメンバーでした。
 事前に、各校で発表するプレゼンテーションを準備し、英語や中国語でスピーチの練習をしたところ、確実にこれまでのものよりも1段階以上レベルが上がっていました。「希望のヒカリ」を友情の印に各校に寄贈する計画を立て、直径60センチ程度の小型のものを再設計し、週末の度に集まっては部品を作りました。学習会を開き、台湾の歴史や文化を、日本との残酷な関係も含めて学び合いました。
 今回訪問するのは、前述した市の中心部に位置する台中高女と、東の山間部にある新社高級中學の二つの高校です。これまで交流を続けてきた立人高級中學には今回は訪れませんが、パートナーたちが夕方生徒たちを夜市に誘ってくれました。
図3 立人高中のパートナーたちと 台中高女はこの日創立100周年の式典があり、私たちはそのセレモニーに招かれました。100年前に日本人が設立した高校で、制服が緑色である理由を尋ねると、戦時中周りの緑に溶け込み、空からの攻撃を避けるためと説明され、言葉に詰まりました。創立記念日には、本校を卒業した各界のセレブが集まり、台中市長(県知事)も出席して挨拶をしました。
 校内を案内してもらうと、ある部屋には3Dプリンタやレーザー彫刻機などが自由に使えるように複数セットされており、生徒の創造性を育むことに役立てているとのことでした。日本との差を痛感しました。交流の場面では、一定程度日本語が理解できるパートナーを集めていただいていたので、コミュニケーションはほとんど障害がありません。生徒たちはあっという間に仲良くなり、SNSの交換などをして別れました。

図4 福島の今を伝えるプレゼン図5 親しくなった高校生たち

3.被災者と支援者

 翌朝早く、東の山岳部にある新社高中にバスで向かいました。急な山道をバスで登っていくと、突然、まるで山奥の桃源郷のような風景が広がります。新社高中は1999年の台湾大地震で校舎を失った高校で、20年を経てやっと元に戻ったと校長先生が説明していました。ここは普通科と農業科が一つになった学校で、広大な農場を持っています。台湾でサトウキビの栽培を始めたのがこの高校とのことです。
 ここでは、日本語や英語はほとんど使えず、中国語のできる通訳が唯一の頼りでした。両国の生徒や先生方と植物の種を揉んで作るゼリーを体験し、校内を歩いているうちに、生徒たちはここでもすっかり仲良くなりました。新社の生徒たちはとりわけ人なつっこく、福島の不登校気味だった生徒も、わずかな時間で仲のよい友達を作りました。再会を約束して学校を後にすると、出発したバスの後を高校生たちが走って追いかけて来るではありませんか。

図6 ゼリー作りを一緒に図7 バスを追いかけてくる生徒たち

 震災と原発事故の被災地福島を知ってもらうために始めた台湾との交流・協働事業でしたが、台湾もまた解決しなければならないさまざまな課題を持っています。自分たちの力だけでは日本に来ることの難しいここの生徒を日本に招待できないか、そのためにクラウドファンディングを始めてはどうか、日本への帰路でそんなことを本気で考え始めました。
図8 新社高中の仲間たちと しかし、2020年が明けて新型コロナウイルスが広がり始めるとすぐに、台湾はいち早く国境を封鎖し、自由な行き来ができなくなってしまいました。生徒同士、メッセージのやりとりは続いていますが、次のプロジェクトに取りかかるには、もうしばらく時間がかかりそうです。