学び!とPBL

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ささやかな「国際交流」の始まり
2020.10.20
学び!とPBL <Vol.31>
ささやかな「国際交流」の始まり
三浦 浩喜(みうら・ひろき)

1.1%の望みもムダにしない

 生徒国際イノベーションフォーラム2017の終了によって、地方創生イノベーションスクール2030プロジェクトの第1期は終了となり、第2期の活動についての議論が始まりました。
 その一方で、福島市チームはそれらとは独立して動いていました。「福島」はOECD東北スクールからの流れを絶やしてはならず、地域の課題をずっと背負い続け、取り組みを継続していかなければならないと考えていたからです。
 福島市も他地域と同様に国際交流を始めたいと考えていましたが、そのきっかけをつかめずにいました。東北スクールの関係で、ヨーロッパのあちらこちらに知り合いはでき、フランスの農業高校やブルガリアの日本人学校などを紹介してもらいましたが、実際に始めるとなると大きなお金が必要になりますし、語学を含めて私たちの力量にも不安が残ります。2015年から翌年にかけて、ずっと決めあぐねていました。
図1 中央に楊思偉先生、右に劉校長先生 そのような折、ふと20年以上も前に交流しその後連絡が途切れていた台湾の先生を思い出し、「ダメ元」で古いメールアドレスにお願いのメッセージを送りました。すると翌日には「台湾の高校を紹介できる、どんな高校がいいか?」と返信が返ってきたではありませんか。OECD東北スクールで得た大きな教訓の一つに、「チャンスは決してムダにしない」というのがあります。少しでも望みがあるなら、そこから大きく花開くかも知れない、だから安易に捨ててはいけないと教えられ、それがまた一つ実証されました。

2.台湾へ

 台湾は、20年以上前に日本カリキュラム学会の研究旅行で、1週間程歩いたことがありました。1997年に訪問した当時は、民主化されてから日も浅く、バスから見える風景は雨後の竹の子のように高層ビルの建設ラッシュで、街中は「アジア」そのものでした。
図2 立人高級中學 今回お世話になった楊思偉先生はそのときに知り合った方で、日本留学の経験もあり、日本の教育事情を熟知している教育学者でした。台中教育大学の学長を終え、現在は私立大学にお勤めになっています。
 2016年の10月、私たちスタッフは3人で台中市を訪れ、楊先生と、紹介いただいた台中市立人高級中學校長の劉先生と打ち合わせを持ちました。立人高級中學は、台湾全土でも5本の指に入る程の有名私立高校で、全校生3,600人のマンモス校で、学習のみならずあらゆることで大きな成果を出している高校でした。こちらとしては、ここまで「立派」な高校は望んでおらず、恐縮してしまいました。OECDとの教育プロジェクトの話をすると、楊先生にはよく要領を理解し、それを劉校長先生に説明していただき、私たちとの交流を受け入れてくれました。
図3 高校生に英語で福島を紹介する中学生 東日本大震災の折には250億円もの義援金をいただくなど、台湾は親日的で、楊先生のように日本のことをよく理解してくれる方が大勢います。その一方で、中国との関係では極めて厳しい事情を抱えており、その「影」は常につきまといます。

3.福島市チームの初めての海外交流

図4 福島からの生徒を歓迎してくれる 帰国早々、立人高級中學の教務の先生とやりとりをし、2017年2月19日から4日間、中学生が台湾を訪問することに決まりました。予算の関係で、参加できる中学生は14人、その他スタッフや通訳、学生サポーターなどを決めます。中学生ですが、本連載のVol.16Vol.17で紹介した生徒たちの多くは中学3年生で受験直前であるため、今回はすべてその下の2年生としました。
 「海外交流」と書きましたが、実は東北スクールの時から「交流はお金があれば誰でもできる、持続できる信頼関係を作って、いっしょに考えたりいっしょに汗を流したりする『協働』でなければ意味がない」と決めていました。だから、今回の台湾渡航は「交流」ではなくこれからの「協働」に向けた下地づくりという位置づけとなります。
図5 外国人と初めてのコミュニケーション 立人高級中學では、私たちのために日本に強い興味を持つ生徒や日本語が話せる生徒を集めて、私たちの訪問を歓迎してくれました。まずは、中学生が英語で自分たちのこと、東日本大震災や原発事故のことを紹介し、理解を深めました。その後通訳やスマホなどのツールを介して生徒同士の自己紹介、おしゃべりとなります。予想通りかなり生徒たちは難儀していましたが、それでも中国の留学生や日本語を話せる立人の高校生のお陰で、とてもいい雰囲気で交流することができました。彼らの数人とは現在も交流が続いています。
図6 観光地で記念撮影 翌日は台中市近郊の観光施設を、両国の生徒たちがいっしょに回ります。日本から見た台湾といえば台北市や高雄市など、北と南が有名で、あまり台中市のイメージがありません。もっとも、台中「市」といっても、日本の「県」と同じ行政区分となっており、人口は280万人で福島県よりも大きく、中心部は新興都市で、繁栄を極めています。また、台湾は日本同様地震大国で、1999年9月21日に台中一帯が大地震(921地震)に襲われ、2,400人以上の犠牲者を出しています。このあたりも台湾と福島が連携する重要なテーマでした。
図7 別れを惜しむ両国の生徒たち 夕方、わずか2日の交流のささやかな「お別れ会」をしました。日台両方から期待以上の「学び」を感じることができ、次への発展を確信させてくれるものとなりました。なにより、別れ際に抱き合って涙を流す姿が、それを象徴していました。