学び!と美術

学び!と美術

美術鑑賞の現在地 後編(2010~) 第2回「ビジネスと美術鑑賞(1)」
2022.02.10
学び!と美術 <Vol.114>
美術鑑賞の現在地 後編(2010~) 第2回「ビジネスと美術鑑賞(1)」
奥村 高明(おくむら・たかあき)

 ビジネスと美術鑑賞……この話題は、意図的に避けてきました。理由は、筆者が、①ビジネスの専門家でもないのに、②美術鑑賞とビジネスの「言い出しっぺ」になってしまったからです。教育界の人間としては、どうにも居心地が悪く、本連載で語ることには抵抗がありました。
 とはいえ、「ビジネスと美術鑑賞」については、すでにいろいろな人が語っています。また、この連載も10年目で一区切りを迎えようとしています。本連載のテーマは「図画工作科・美術科が今できること」、その第1回では「図画工作科は子どもの何に役立つのか」「美術科は世の中の何に貢献するのか」とも書いています。「美術鑑賞の現在地」という観点から「ビジネスと美術鑑賞」について取り上げないわけにはいきません。しょうがない……重い腰を上げましょう。

「言い出しっぺ」

 「言い出しっぺ」になったきっかけを振り返ってみます。
 筆者は2015年にビジネスと美術鑑賞が直結するようなタイトルをつけた本を出版します(※1)。理由の一つは、2012年の科研の海外出張(※2)でビジネスパーソンが美術館で朝早くからギャラリートークに参加している姿に出会ったことです。もう一つは、本の対談で、女子美術大学の前田基成教授から海外では企業がビジネススクールではなく、アートスクールに社員を派遣していると教えてもらったことです。
 どちらも一瞬「?」と思う事例ですが、子どもの鑑賞活動に関わってきた筆者にとっては至極当然でした。子どもの美術鑑賞は創造的で、かつ論理的に展開します。それはビジネスに必要な力を高めることにもつながるでしょう。そこで、美術鑑賞が問題解決力などを高めること、脳を活性化させる活動であることなどについて、子どもの具体的な姿を紹介しながら、学校教育における鑑賞教育についてまとめました。要するに、タイトルは「ビジネス書」っぽいけれども、中身は「教育書」だったのです。
 特に売れ行きが良いという話は聞きませんでしたが、タイトルの効果か、美術教育以外の分野で取り上げられることが数回ありました。ところが、その後、2017年に山口周氏の『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』がベストセラーとなり、秋元雄史『武器になる知的教養 西洋美術鑑賞』、ニール・ヒンディ『世界のビジネスリーダーがいまアートから学んでいること』(※3)など、ビジネスと美術鑑賞に関する本が次々と出版されます。美術を用いてビジネスを活性化しようとする動きも目立つようになり、一種のブームのような状況が生まれ、筆者の講演や研修などの依頼も1/3がビジネス関係になっていきます(※4)
 おそらく、私の著書は、ビジネスと美術に関する大きな動きの一つに過ぎず、指摘したのが早かったので「言い出しっぺ」になっただけでしょう。ただ、学校教育のノウハウや美術鑑賞が一般社会に認知されたことはうれしいことでした。

美術鑑賞はビジネスに役立つ?

 「美術鑑賞」と「ビジネス」を結び付けることには、当初から批判の声がありました。この批判から「美術鑑賞とビジネス」について考えてみましょう。それは筆者の立場を表明することになりそうです。
 出版してすぐに、教育界からは「美術教育はビジネスのためにあるのではない」と言われました。ビジネス側からも「ビジネススキルを上げるために美術鑑賞に行きたくない」という声をもらいました(※5)。どちらも妥当だと思います。「美術鑑賞がビジネスに役立つ」という言説は直感的に胡散臭い匂いがします(※6)
 美術史や美術館学を研究する半田滋男教授は、ある会議で、美術をビジネスと結びつける功利的な傾向を次のように批判しています。

草花が薬として役立つことはあるが、そのために咲いているわけではない(※7)

和光大学
半田滋男教授
 同感です。草花の効用と、草花の存在は、本来、別の話です。同じ会議で、研究者の平野智紀氏は、自身が関わったアートプロジェクトで、ミュージアム・エデュケーター会田大也氏との議論の中で出てきた「アートはあくまでアートのためにあり、何かのためにあるものではない」という言葉を紹介してくれました(※8)。確かに、アーティストは教育やビジネスのためにつくっているわけではありません。
 その会議の結論は、「美術館や学校には目的や役割があるけれども、美術に価値や役割があるという話はどうも怪しい」「美術という花が開いていること自体を大切にするべきで、美術の効果を因果的に語るのは違うだろう」ということに落ち着きました。

美術鑑賞は創造過程

 そもそも美術鑑賞は、それ自体で意味のある貴重な実践です。65年前のマルセル・デュシャンの指摘「創造過程」を引用しましょう。
 多くの人々は「芸術家こそが、創造的な作品を生み出すことができる」と思っています。それは、芸術家という個人の中に創造性やひらめきがあるという個体主義的な考え方です。これに対して、デュシャンは芸術家だけで創造活動を完遂することはできないと断言します。

「要するに、芸術家は一人では創造行為を遂行しない。鑑賞者は作品を外部世界に接触させて、その作品を作品たらしめている奥深いものを解読し解釈するのであり、そのことにより鑑賞者固有の仕方で創造過程に参与するのである。こうした参与の仕方は、後世がその決定的な審判を下し何人かの忘れられた芸術家を復権するときに、一層明らかになる(傍線筆者)(※9)

Portrait de Lisa Gherardini, dit La Joconde ou Monna Lisa | Image via Louvre Museum 創造は芸術家が作品を作り終えた時点で終了するのではなく、そこに鑑賞者が参加することによって成立するというわけです。美術鑑賞は鑑賞者が創造行為のプロセスに参加する「創造行為の遂行」の一部であり、それ自体がかけがえのない創造活動といえるかもしれません。
 そういえば、あのモナリザも1800年代までは今ほど高い絵ではなく、ラファエロの方がよほど高価だったようです。しかし1911年の盗難事件とそのニュース、海外で展示される際に掛けられた保険金額、数々のパロディなど様々な出来事によって世界最高の絵画になったといわれています。芸術の創造、言い換えれば「芸術という草花が咲く」ためには鑑賞活動を始めとして、様々な縁起が不可欠なのだろうと思います。

「証明」できないことが大事

 人々は常に「AだからBである」というような因果を求めます。でも、因果で証明できないことも大事です。
 以前取り上げたOECDの報告書『アートの教育学』では、世界中の研究を分析した結果、美術教育と学力に一定の相関が見られたことを紹介しています。「空間認知」「心的イメージ力」「推論する力」「粘り強さ」「問題を発見しようとする力」「他者と異なる方法で解こうとする態度」「学力」「メタ認知力」「欠席率」「学習意欲」「非行減少」等々、これらの学力等と美術には、それなりの相関はあるようです。しかし、どれも因果は証明できませんでした。そこから、OECDの出した結論はこうです。

究極的には、たとえ芸術教育が芸術以外のスキルにインパクトを与えるというエビデンスを見付けたとしても(中略)芸術は本来それ自体が教育にとって重要なものである(※10)

 芸術教科が他教科の学力を育てることが本当だとしても、それが因果として証明できたとしても、芸術は芸術それ自体が重要で、だからこそ教育に必要だというわけです。因果を求める人々には申し訳ないのですが、おそらく因果として語ったとたんに、大切なことが見失われると思います。OECDの報告書はその警鐘としてとらえたいものです。
 そこで、この言い方を借りて、「ビジネスと美術鑑賞」に関する筆者の立場を表明しておきましょう。

美術鑑賞がビジネス、教育、医療等、何かの役立つとしても、そのために美術鑑賞があるわけではない。美術鑑賞は、それ自体に意味がある。

 美術鑑賞を単純な因果としてとらえるのではなく、縁の紡ぎ合いのような実践として、あるいは、それ自体を意味あることとして考えていくこと、実践していくことが大事なのだと確認しておきます。その上で、今号以降、ビジネスに関連する動きを紹介していきましょう。

※1:奥村高明『エグゼクティブは美術館に集う 「脳力」を覚醒する美術鑑賞』(2015)
※2:科学研究費助成事業「美術館の所蔵作品を活用した美術鑑賞教育プログラムの開発」基盤研究B 課題番号24300315 代表者:一條彰子。大髙幸放送大学客員准教授(当時)のコーディネートで行われた調査の一つでMoMA(ニューヨーク近代美術館)を訪れたときに気付いたことでした。
※3:2017年から2020年にかけて、山口周「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」 」(2017)、秋元雄史「武器になる知的教養 西洋美術鑑賞」(2018)、ニール・ヒンディ著、長谷川雅彬監修、小巻靖子訳『世界のビジネスリーダーがいまアートから学んでいること』(2018)、電通美術回路「アート・イン・ビジネス — ビジネスに効くアートの力」(2019)、堀越啓著『論理的美術鑑賞 人物×背景×時代でどんな絵画でも読み解ける』など多くの書籍が発行されました。
※4:ビジネス研修に役立つ美術鑑賞のゲームやプログラムも開発しましたが、その一部が以下です。本連載で紹介した「<Vol.78>ラウンド・スケッチ~人気の鑑賞アクティビティ」「<Vol.90>「ラウンド・ダイアローグ(役割交代鑑賞)」」です。
※5:NewsPicks編集部の新刊紹介に寄せられたコメントより(2015)。
※6:「美術は将来ビジネスに役立つぞ!」と言って美術の授業を行う先生もいるとか……それは違うなあ。
※7:「美術検定」監修者会議(監修者:橋秀文・半田滋男・奥村高明・平野智紀)で「アートの価値」という議題に対する和光大学表現学部芸術学科半田滋男教授の発言。
※8:内田洋行総合研究所平野智紀主任研究員の発言。
※9:1957年4月に開催されたアメリカ芸術家連盟の集会で口頭報告した「創造過程(The Creative Act)」より。マルセル・デュシャン著、ミシェル・サヌイエ編、北山研二訳『マルセル・デュシャン全著作』(1995)286p
※10:OECD教育研究革新センター編著「アートの教育学 革新型社会を拓く学びの技」(2016)。学び!と美術「<Vol.61>美術への期待と学力のエビデンス」でも紹介しています。