学び!と美術

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美術鑑賞の現在地 後編(2010~) 第3回「ビジネスと美術鑑賞(2)対談:アートの動き」
2022.03.10
学び!と美術 <Vol.115>
美術鑑賞の現在地 後編(2010~) 第3回「ビジネスと美術鑑賞(2)対談:アートの動き」
奥村 高明(おくむら・たかあき)

株式会社MAGUS 代表取締役
上坂真人
筆者

 2015年のことです。ある人が突然「美術鑑賞の話が聞きたい」と大学に訪ねてきました。広告制作や写真素材を提供する企業アマナの上坂さんです。語り合ううちに美術の現状や問題意識など、すっかり意気投合しました。ビジネスと美術について語るには最もふさわしい方だと思いますので、今回ご登場いただき、上坂さんの話を通して2010年以降のビジネスと美術鑑賞の関係について見ていきましょう。

アートをもっと「動き」に

筆者:なぜ、私のところに訪ねて来られたのですか?
上坂:そうですね……では、突然で申し訳ないですが、藤原聡志とか、水谷吉法とか、日本人アート写真家をご存じですか? 今、世界でとても高い人気を誇っていますが……。
筆者:不勉強ですみません……分からないです。
上坂:いえ、奥村さんの責任ではありません。まさに、そこが問題なのです。海外では、アート写真家のブランディングや、センスのある消費者とアーティストが交流する機会などを企業がきちんとサポートしています。日本でも音楽やスポーツにお金を使うことはありますけど、アートにはそうでもないですよね。世界的に活躍しているアスリートや音楽家は知られていても、アーティストはほとんど知られていません。一方で、アート業界側も、アートにお金を投じるメリットを企業に提案しているとはいえない状況でした。当時、このままだと、日本は世界とますます分離してしまうという問題意識があったのです。
筆者:なるほど、そういえば、その話で盛り上がりましたよね。「アートの普及に対して社会は何もやっていないんじゃないか」とか「アートを健全に批判したり、資産的に価値づけたりするなど、多面的に評価するメディアが不在だ」とか。海外では、新聞や雑誌のトップニュースがアートだったり、レコード大賞みたいなアートアワードがあったりするのに、日本はそうじゃない。ただ「このアートが高い」とか「なんか評判がいいらしい」だけで終わっているという話だったと思います。
上坂:アートは、人や企業、資金、作品や評価などが連動する生き生きした「動き」だと思います。社会や文化、経済も含めたダイナミックな「動き」です。でも、メディアや教育がそこを踏まえているようには思えないし、「動き」自体がニュースになっていません。そこで、まず、世界的な視点で、かつ、経済的な視点からも、きちんと評価できるメディアを日本で立ち上げようと思いました。ようやく今年の1月に『ARTnews JAPAN』をロールアウトすることができたところです。
筆者:アートをもっと「動き」にしようというわけですね。
上坂:アマナはアートフォトを手掛けている会社なので、2005年あたりから、アートを「見る」だけではなく「買う」、あるいはアーティストと「語る」、アートを通して文化を「考える」、そんなライフ・スタイルの実現を目指しました。
 その活動の中で、日本精神科看護協会の末安民生会長が「アートには効用がある」と話していて、じゃあ「アートが心を静める効果を数値化し、医薬品企業を巻き込んでセミナーをやったら面白い」と思いついたのですが、その時、奥村さんの本が目に飛び込んできました。
筆者:ビジネスと美術鑑賞を結び付けた題目に引っかかってしまったわけですね。
上坂:ええ、まんまと(笑)。居住空間、オフィス、医療施設などの空間コーディネイトに関心のある方を対象に、3回連続セミナー「アートは人の心を鎮めるか」を企画して、その一つが、奥村さんと末安会長の対談「アート鑑賞が心に効く三つの理由」でした。
 でも、奥村さんの話は「アートが心を静める」というよりも、むしろ「脳を活性化させる話」でした。期待とは正反対だったのです(笑)。でも、面白かったので今もお付き合いを続けさせていただいているというわけです。
筆者:そうだったんですか。期待に応えられずに、申し訳ない(笑)。どうも生来「アートは心を豊かにする」とか「生活を美しくする」という言説が苦手で、「本当にそうか?」と思ってしまう性格なんです。

アートのある生活

上坂:世界のアートシーンと接しながら、日本と感じるギャップはそれだけではありません。例えば、日本には展覧会とか画廊とか、息が苦しくなるような空間はあるのですが、街の人々が気軽に入ったり、アートを買ったりする『空間』がないんですね。気軽に楽しめる『フェスやフェア』も少ない。作品の前でこの作家はああだとか、この作品はこうだとか、「語り合う」スタイルも見られない。そこで、街の人々が楽しめる開放的な『空間』としてギャラリー『IMA CONCEPT STORE』を六本木に作りました。セミナーで使った場所です。
筆者:大好きな海外の作家の作品があって喜んだことを覚えています。同時にそれが気軽に買える場所でした。
©Shinichi Ichikawa上坂:最近は『イエローコーナー』といって、高品質の写真を購入できるギャラリーを「東京ミッドタウン日比谷」に作りました。「絶対、当たるはずがない」と言われましたけど、若い人がよく買ってくれて、今「ニュウマン横浜」に二号店を開店しています。
筆者:自分たちと今の若い人では、かなりアートに対する感覚が異なっていると思います。クラウドファンディングなどもその現れかなと思いますけど、商品として買うというよりも、縁に参加するというか、アートを共有する感覚で購入しているんじゃないでしょうか。
上坂:そうかもしれません。海外では、ミレニアム世代の70%が家にアートを飾り、30%が1年間に1度はアートを購入しているんですよ。それは単なる投機や消費ではないと思います。日本でも若者を中心に気軽にアートを楽しんだり、語り合ったり、時に購入したりするような動きが出ているのかもしれません。
 『フェスやフェア』では、世界8カ国から作家が参加する『浅間国際フォトフェスティバル』を行いました。長野県の東、浅間山麓の御代田町に、旧メルシャン美術館跡地がありますが、PR活動なし、ほぼ一か月半で2万人来場しました。視察に来た企業はANA、資生堂、電通、博報堂、ヤフー、ソニー、パナソニック、野村不動産、三菱地所、三井住友銀行、三菱商事、第一生命保険など70社ほどです。企業側にも、スポーツや音楽のようにアートを企業戦略として「活用する」風潮が見えてきたのかなと思います。
筆者:以前この連載でも取り上げさせてもらいました(※1)。写真が落ち葉に埋もれていたり、プールに沈んでいたりしていて、「こんな展示があるんだ!」と驚きました。町の人々や参加者が作品の前で語ったり、その空間を楽しんだりする姿も素敵でした。
上坂:新しい文化・高原公園都市を目指していた御代田町にも、まちづくりや不動産価値の向上という点で貢献できたかなと思っています。
 アートフェスやイベントを行う自治体は多くありますけど、そのほとんどは人口減少に歯止めがかかってません。ただ北海道の東川町だけは例外で、「東川町国際写真フェスティバル」「全国高等学校写真選手権大会」「高校生国際交流写真フェスティバル」というイベントをきっかけに1994年に6973人だった人口は2018年には8216人まで増加しています。もちろん、アートだけが原因ではないのですが、自治体にちゃんと貢献しているかとか、アートの自己満足で終わってはいけないとかは大切な視点だと思います。
筆者:上坂さんは次々とというか、「事を起こして」いきますよね。私は、今「アートは縁起だ」とよく話しているのですが、まさにそれを実践している方だと思います。

アートとビジネスの新しい動き

筆者:新しい動きは様々なところで現れていますね。2018年には文化庁が「総合的な文化行政の推進に向けた機能強化」として組織再編していますが「文化経済・国際課」「文化資源活用課」「参事官・文化創造担当」などの組織名からも新しい概念が見えると思います。
 2019年度から文化経済戦略に基づいた「文化経済戦略推進事業」というのも行われているんですが(※2)、そこでは「アーティストと企業の共創事業」「アーティストによる企業向けワークショップ」「アーティストと企業・起業家のネットワーク」「文化芸術への投資の測定・評価」「アーティストとの交流が企業にもたらす好影響」「文化を源泉としたビジネス課題解決」「民間企業の美術品コレクションの形成と活用」などが提案されています。一昔前を考えれば、アートのとらえ方はずいぶん変わったと思います。
 美術教育だけを見ていると、このような動きは中々見えません。でも教育はあくまで社会の一部ですから、できるだけ物事を広く見ていく必要があると思います。私にとって上坂さんは教育以外の視野を獲得する大事な出会いでした。
上坂:ありがとうございます。世界のアート市場はどんどん拡大、拡張していて、日本だけが取り残されている感じです。まだまだ世界で、日本の存在感は薄くて、近年「日本のアート市場を1兆円規模に」という話も散見するようになりましたが、まだ0.3兆円くらいじゃないかなあ。
筆者:以前働いていた宮崎県立美術館はマグリットの「現実の感覚」を所蔵しているんです。国立新美術館「マグリット展」でも展示されていた名作です。1990年代に購入した時は2億7千万でした。「今、いくらくらいですか?」って画廊関係者に効いたら20~50倍はするだろうと言っていました。世界と日本で大きなギャップがあるようですが、知らない方は多いですね。
上坂:企業がどんどん仕掛けていくべきだと思います。アマナは膨大な写真コレクションを持ち、いろいろな作家とつながっているのですが、作家の代わりにギャラリーやメディアと交渉したり、世界の主要アートフォトフェア・フェスに出展して、アーティストを招聘し作品を販売したり、企業のブランドに応じて高品質なイベントを企画運営したりしています。そのようなプロジェクト「IMA」を立ち上げたのが、2011年でした。
筆者:取り組みは2010年代から始まっているのですね。上坂さんのお話を伺っていると、「ビジネスと美術」という狭いとらえ方ではなくて、企業も人々の創造的な生活をつくりだしていく「動き」であって、その一つにアートがあるという感じがします。
上坂:私たちは、アートの愉しさや深さを広げ、民間企業の力で日本をアートでもう少し素敵にすることを目指しています。ただ、よく誤解されるのが企業の社会貢献という考え方です。私たちが行っているのは、単なる社会貢献ではないし、社会貢献ではダメだと思います。提案しているのは地道な企業戦略です。それが欠けると、何十年も前に起きた「企業によるアートの買占め」につながって、「○○社が○○の名作を○○億円で購入した」みたいな「あだ花」で終わってしまいます。
 ただ、2018年あたりからは、はっきりと流れが変わり始めました。私たちのところに、商業施設がから「アートのコーナーを作りたい」という話が次々と来るようになりました。彼らも、もうグルメやファッションでは差がつかないことに気付いたのでしょう。
 でも、「アートだったら、なんでもいいので」みたいな感じもあって、まだまだ抽象的な依頼です。アートを日常にするシナリオに欠けるというか、消費者構造を変革する前提に欠けています。「アートは社会問題の表出物」であり、「アーティストと語ることを通して生まれるものがある」という観点もないですし、自国のアーティストを育てようとする意識もありません。
 海外では金融機関が膨大な調査を発表していて、アートが産業化する基礎ができています。富裕層はほぼ全員がアートコレクターなんですが、そこにアプローチする意識も明確です。アートの専門教育では、アートに関わるディベート、マーケット調査、契約実務、プレゼンまで行っています。そのあたりも世界とのギャップでしょうね。
 企業がアートを支えるのは、確かな企業戦略が必要で、一般的な消費者だけでなく、富裕層も含めてビジネス的意義と社会的意義をしっかり見つめていかないといけないと思います。
筆者:その解決策の一つが、今、取り組んでいらっしゃるMAGUSですね。アートスクールのような個人向け事業、コレクターを増やす手立てなどいろいろ実践されているようですが、そのあたりを来月じっくりと伺わせていただければと思います。

※1:学び!と美術<Vol.75>「写真は地域社会を変える?」
https://www.nichibun-g.co.jp/data/web-magazine/manabito/art/art075/
※2:文化経済戦略推進事業
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunka_gyosei/bunka_keizai/92916901.html