学び!とPBL

学び!とPBL

「自分が生きるに値する社会」
2022.03.22
学び!とPBL <Vol.48>
「自分が生きるに値する社会」
三浦 浩喜(みうら・ひろき)

1.「See-Understand-Comprehend」

図1 「わかる」の3段階 私の最も尊敬する教育学者の竹内常一先生は、「理解する」には、感覚的に理解する(See)、構造的に理解する(Understand)、自分が何をすればいいのか理解する(Comprehend)、という三つのレベルがあると言っていました。学校での一般的な学習は、感覚的な理解から構造的な理解へレベルを上げることなのですが、PBLでは問題を理解するだけではなく、問題を解決するために自分自身が何をすればいいのかを理解する必要があります。
図2 学習会――社会のイメージをつくる 例えば、ゴミが落ちていたら「景観が悪くなるからゴミはない方がいい」はSeeの段階、地域のゴミ処理施設でゴミの実態を調べたり、ゴミの構成を調査したりするのはUnderstandの段階、生産者や消費者の責任を考え、ゴミの出ない包装やゴミの回収システムをつくるとすれば、これはComprehendの段階ということができるでしょうか。
 児童生徒は総合学習や探究学習で現実社会を学びますが、安易に社会をあまりに単純化して学んでしまうと、社会のすべてを自分の主観でしか捉えられなくなってしまいます(See)。また逆に、現代社会の巨大で複雑な様相から入ってしまうと、社会とは複雑で、曖昧で、予測不能なもの、だから理解できないもの、自分が行動してもしかたのないもの(Understand)と受け止められてしまいます。前回紹介したPISAの調査や日本財団のアンケートの結果を見ると、日本の若者は後者が圧倒的に多い可能性もあります。

2.「学びとしてのアクション」と「社会実践としてのアクション」

図3 学習会――風船と爪楊枝を準備して実験 生徒たちの一般的な社会の認識は、「See-Understand-Comprehend」のような段階を踏んで進むべきなのだと思います。本連載の「<Vol.22>Education 2030と新しいコンピテンシーの定義①」のラーニングコンパスが最終的に、能力をため込むことが目的なのではなく、Well-beingに向かうアクションであることがとても大切なポイントです。そのアクションも、「学びとしてのアクション」と「社会実践としてのアクション」の二面性があることは押さえておくべきです。つまり、社会を知るために地域の中で活動する場合と、地域の役に立つために地域活動を行うということで、当然両者が融合することもあるでしょう。
図4 学習会――社会の性質を学ぶ しかし社会は、生徒たちに、というよりも一市民として社会参加をし、自分たちが住みたい社会に変えていく努力、すなわち「社会実践としてのアクション」を期待しています。高校で先行して実施されている探究活動は、「学びとしてのアクション」を飛び越えて「社会実践としてのアクション」を期待しがちです。複雑な社会に生徒たちを投げ込んでしまうと、「自分がいくらがんばったって……」という社会イメージに支配され、社会に対する無力感や、家族や友達などの狭い社会のイメージで物事を判断してしまうことになってしまいます。東日本大震災や、新型コロナウイルス感染症や、この原稿を書いている現在、ロシア軍によるウクライナへの侵攻が激化し、多くの尊い人命が失われていることを見ても、現実の社会は理不尽で、過酷で、そう簡単に一人ひとりの希望を反映してはくれません。

3.ポジティブな社会イメージ

図5 学校でこそ社会変革の学習を 学校で学ぶ児童生徒に身につけさせるべきは、「学びとしてのアクション」を通して、将来自分が働きかける対象となる社会の肯定的イメージではないかと思います。いきなり、社会の荒波を体験させても児童生徒は無力感しか得ることはないでしょう。生徒たちが発達過程の中で、社会のイメージを自分の中に築いていくときに、「自分が生きるに値する社会」のイメージをつくっていかなければなりません。「自分の働きかけによって社会が呼応し、その働きかけを価値化する」という成功体験が、「自分が生きるに値する社会」のイメージの形成に繋がります。福島市チームが「高校生フェスティバル」に取り組んだのは、そのような理由があります。
 地域実践型PBLは、せっかちに実効性を求めるのではなく、ゆっくりと「自分が生きるに値する社会」のイメージをつくっていくことを目標とすべきなのです。