学び!とPBL
学び!とPBL
1.「See-Understand-Comprehend」
例えば、ゴミが落ちていたら「景観が悪くなるからゴミはない方がいい」はSeeの段階、地域のゴミ処理施設でゴミの実態を調べたり、ゴミの構成を調査したりするのはUnderstandの段階、生産者や消費者の責任を考え、ゴミの出ない包装やゴミの回収システムをつくるとすれば、これはComprehendの段階ということができるでしょうか。
児童生徒は総合学習や探究学習で現実社会を学びますが、安易に社会をあまりに単純化して学んでしまうと、社会のすべてを自分の主観でしか捉えられなくなってしまいます(See)。また逆に、現代社会の巨大で複雑な様相から入ってしまうと、社会とは複雑で、曖昧で、予測不能なもの、だから理解できないもの、自分が行動してもしかたのないもの(Understand)と受け止められてしまいます。前回紹介したPISAの調査や日本財団のアンケートの結果を見ると、日本の若者は後者が圧倒的に多い可能性もあります。
2.「学びとしてのアクション」と「社会実践としてのアクション」
<Vol.22>Education 2030と新しいコンピテンシーの定義①」のラーニングコンパスが最終的に、能力をため込むことが目的なのではなく、Well-beingに向かうアクションであることがとても大切なポイントです。そのアクションも、「学びとしてのアクション」と「社会実践としてのアクション」の二面性があることは押さえておくべきです。つまり、社会を知るために地域の中で活動する場合と、地域の役に立つために地域活動を行うということで、当然両者が融合することもあるでしょう。
しかし社会は、生徒たちに、というよりも一市民として社会参加をし、自分たちが住みたい社会に変えていく努力、すなわち「社会実践としてのアクション」を期待しています。高校で先行して実施されている探究活動は、「学びとしてのアクション」を飛び越えて「社会実践としてのアクション」を期待しがちです。複雑な社会に生徒たちを投げ込んでしまうと、「自分がいくらがんばったって……」という社会イメージに支配され、社会に対する無力感や、家族や友達などの狭い社会のイメージで物事を判断してしまうことになってしまいます。東日本大震災や、新型コロナウイルス感染症や、この原稿を書いている現在、ロシア軍によるウクライナへの侵攻が激化し、多くの尊い人命が失われていることを見ても、現実の社会は理不尽で、過酷で、そう簡単に一人ひとりの希望を反映してはくれません。
3.ポジティブな社会イメージ
地域実践型PBLは、せっかちに実効性を求めるのではなく、ゆっくりと「自分が生きるに値する社会」のイメージをつくっていくことを目標とすべきなのです。