大濱先生の読み解く歴史の世界-学び!と歴史

  しょうぶすごろく
「尚武須護陸」に読みとる歴史
明治の小学生が求められた世界

「尚武須護陸」しょうぶすごろく ※この画像の無断複製・使用を禁じます 子どもたちの遊び道具には時代の顔が読みとれます。この遊具にこめられた世界を手がかりに歴史を問い質していくこととします。

 明治維新によって誕生した日本は、「富国強兵」をかかげ、世界の「大国」になるために、どのような国民を期待していたのでしょうか。
 双六は、少年少女にとって、もっとも身近な遊び道具の一つでした。日清戦争前夜の明治26(1893)年12月に刊行された「尚武須護陸(しょうぶすごろく)」は、東宮侍従小笠原長育が考案したもので、時の東宮、後の大正天皇が大変に「御愛玩」している有益な双六であるとの宣伝文をつけて、東洋堂から売り出されたものです。その宣伝文は、大国清との開戦前夜という緊迫した雰囲気にうながされ、「武をとうとび、すべからく陸を護るべし」との思いを込めて命名された双六こそ、日本の子どもが「尚武」の気風を奮い起こす遊びであり、「真に家庭教育に有益」というだけではなく、「修身斉家の一助」ともなるものだと力説しています。
まさにこの双六は、振り出しが小学生徒から始まり、徴兵・軍人志願より、尉官・佐官・少将・中将・大将になるまでを十数段にわけ、「身を立て名を揚げて国家の干城となり、栄誉を死後にかがやかせる」には如何に生きるかを教え諭そうとしたものです。双六は、振り出しが「小学校教場の図」で、その上がりが「大将」と「靖国神社」です。上がりに至る階梯は、徴兵、兵卒、軍曹、曹長、軍人志願、幼年生徒、士官候補生、見習士官、少尉、中尉、大尉、少佐、中佐、大佐、少将、中将と上っていかねばなりません。その道行きには、多くの関門があり、生きて「大将」にたどりつくのはきわめて困難であり、もっとも早い上がりは死んで「靖国神社」に行くことです。

双六の構図

  • 「振り出し」は、1,2,3の賽の目が「軍人志願」、4、5、6が「徴兵」。
  • 「徴兵」では、1、3、5が徴兵検査に合格して「兵卒」となり、6、4が不合格で「振り出し」に戻る。
  • 「兵卒」では、1と3が「士官候補生」、2と5が「軍曹に抜擢」、4が「軍律に触れ銃殺」によりゲームから退きます。6が「一年志願兵満期の後予備少尉」で退局。
  • 「軍曹」では、1が「曹長」、4が「軍律に触れ兵卒」、5が「曹長」、6が「士官候補生」。
  • 「曹長」では、1が「抜群の戦功で少尉に任じられ」、3が「士官候補生」、6が「戦死、靖国神社に祭られる」と一番早い「上がり」です。

 この「戦死、靖国神社」という上がりは、「少尉」で3の目、「少佐」で4の目が出た時になります。しかし、もう一つの上がりである「大将」に生きてなるには多くの関門がまち受けています。ちなみに、「軍人志願」の1、6で「幼年学校生徒」となっても、「幼年生徒」の3で「病気一年間休学(一回休み)」となり、6の目では「学術劣等により兵卒」とならねばなりません。「軍人志願」の3で「士官候補生」となったものの、1と6が出れば「見習士官」となれますが、3ならば「一年後に見習士官」ということで一回休みとなり、6ならば「学術劣等により兵卒」に戻らねばなりません。
 「見習士官」では、1で「貶められて曹長」に戻り、2、3、5で「少尉」に進めます。少尉、中尉、少佐、大佐、少将、中将と進むには、「中尉」で5が「一年間休職」で一回の休み、「大尉」の4が「1年間停職」、6が「予備役編入」というように、佐官から将官へと上る目が少なくなり、「病欠」(「中佐」の3)とか「名誉進級で少将」となり「賞品を受けて退局」(「大佐)の4)するか、「年齢満期で後備となり退局」(「大佐」の6)せねばなりません。「少将」では、「中将」になれるのが1の目だけで、2で「願いにより一年間各国を巡遊」するか、3の「予備役編入」しかありません。運良く「中将」になっても3の目だけが「歴戦の功を以て大将」となれるのであって、1で「予備役となり貴族院議員」となる道しかないのです。この双六が提示する人生行路には富国強兵をめざした近代日本の縮図が描かれています。

「靖国」という上がり

 「尚武須護陸」の世界は、人生ゲームに託し、日本軍隊の構造を的確にあとづけたものです。ちなみに「戦死、靖国神社に祭られる」の道がある曹長、少尉、少佐は、分隊長、小隊長、中隊長であり、前線指揮官として兵と共に戦死する確率が高い現実の投影にほかなりません。軍律違反での兵卒の銃殺、「貶められて」の降格等、実に軍隊社会がリアルに描かれています。当時の子どもたちは、双六という遊びをとおして、「醜の御楯」となり、天皇のために死に、靖国神社に祭られることが栄誉を死後に得る早道であり、至上の価値だということを自然に体得したことでしょう。ここには、明治日本が育てようとした国民像の範として、良き臣民となる道が提示されています。

 時代の寵児ともいうべき評論家高山樗牛は、20世紀初頭の明治34(1901)年、「神の物をも其の有となさずんば已まざるカイザルの国に於て個人はただ一個のサレコウベを有するの外に何等の価値をも認められざる」存在にすぎないと、日本国民が置かれている現実を告発しました。「靖国」を上がりとする人生双六の道程こそは、「カイザルの国」を造形するために説かれた世界にほかならず、いまだに日本国民の心を呪縛しているのではないでしょうか。
  双六が問いかけてくる世界を問い質し、明日に向けて歩みたいものです。