大濱先生の読み解く歴史の世界-学び!と歴史

4月号に続き、インタビューの後編をお送りします。
歴史を読み取る作法や、歴史教育のおもしろさなどについて語っていただきました。

――― 歴史教育には、決まりきった考え方があるのでしょうか。

大濱先生 歴史は進歩する、発展するという思い込みがありますね。昔より今のほうが良くなったと。だから、いままで歴史で語られてきたのは、近代化というのは生活の合理化で、便利になったという話です。「便利になった、合理化された」というのは、ある意味でいえば自然を征服する論理の中で出てきた物語、「じゃあ人間としての営みは何?」というところが忘れられちゃっている。
 「歴史」を学ぶのは、そういう意味で言うと、「人間が人間として生きるって何なのかな」という根源的なところの問いがあるのではないでしょうか。
画像:大濱先生 たとえば科学技術や経済援助をするときに、最先端技術を提供するのが当たり前だという思いがありますが、この論理はおかしいのではないでしょうか。最先端の技術を使えるのはハイエリートの人たちだけで、現地の人たちにとっては手が届かない技術でしかなく、教えても指導者が居なくなってしまうと使い切れないでしょう。本来必要なのは、そこにいる人たちが身につけている伝統的な技術に結ぶつく形の技術への目がいるのではないでしょうか。その人たちにもっとも相応しい技術援助をして、それが使いこなせるようになったら、また次の段階に上がっていくというのが必要ではないでしょうか。
 こういう、地域に固有の技術の良さを活かす、知るという・・・これからの歴史を考えるときにはそういう概念が必要なのではないでしょうか。「近代化」とか「文明」という論理を大上段に振りかざすのではなく、それぞれの生活の場から読み取る作法が求められています。

 国というまとまりで歴史を考えるようになったのは、近代に入って、国民国家という枠組みが広く認知されてからです。それまでは国といえば「藩」と称する程度のもの。そうするとそれぞれの持っていた暮らし、生活の営みである文化をみつめる眼で、時代を、歴史をもう一回読み直してみる。そういう作法を身につけた人たちの営みを「郷土史」とか「地方史」というけど、それは中央政府の目から見た読み方でしかなく、そこに生きている人たちからみれば、まさに大地に生きる自分たちの歴史を問い質す読み方こそが必要なのでは。

一つの決まった国家史を学ぶことが学校教育の課題になった

大濱先生 歴史というのはいろんな素材があって、読み方によってまったく違った世界が出てくる。だから「歴史を読む」というのは、ある絶対的な価値観、「国家史」を自明の理となし、ある歴史像があるからそれを学ぶというのではなく、「私はこのように日本の国民として、日本の歴史をこう捉えてみます」という、そういう目が育つか育たないかだろうと思います。
 そうすると歴史は生きた生物“なまもの”となる。ということは、各人がどのような明日を思い描くかによって、いろいろな形の議論が出来てくるはずなのです。
 海外ではよく歴史教育でディベートをさせます。日本ではまだまだ教科書でも、学校現場でも、そういう議論が少ないようですね。過去の出来事を覚えるのに汲々としている。
 たとえば、なんであの太平洋戦争のきっかけとなったハワイ奇襲をしたのか。「大東亜戦争」という呼称になぜこだわったのか、というような問題について、それぞれの立場で議論させても良いわけ。
 でもいまは、覚えなければいけない知識量の話ばかりになる。だから、せめて大学入試は、歴史に関しては各人の歴史の読み方を問う論述テストにすればいいのにと思います。1題か2題程度の。

――― それぞれの主観や思いで出来上がる答えは違うということに。

大濱先生 それでいいのです。
 年代を覚えるのも大事だけど、覚えるというのは、歴史事象の前後関係を知るため。私としては「何世紀にこんなことがあったよ」程度でいいと思ってます。歴史というのは想像力の世界なのです。

――― 史料を読み解く魅力という点では。

画像:大濱先生大濱先生 よく大学の研究者でも「あの時代は史料がないから書けない」と言うけど、おかしいと思うのです。生きた素材が研究者の想い描くようにあるわけがない。これが一次的な史料で絶対的なものと言うけど、逆に言うと「それしか残っていないのはなぜなの?」という問いかけがあっても良いのです。
 ある時代までは史料に記録されているのに、次の何年間はまったく無く、また次の何年かはある…というのは、その無かったことの意味を読みとることの方が大事です。その無い時代の前後関係の中から、どういう風に思い描いて想像して、その時代を位置づけられるのかというのが魅力です。

 太平洋戦争という言い方は、極東国際軍事裁判の中で出てきた呼称です。日本の名称としては「大東亜戦争」なのです。でも「大東亜戦争」というと「侵略戦争に加担した」というような感覚で言うけれども、でもあの戦争というのは、なぜ「大東亜戦争」でなければならなかったかという意識がちゃんと見えないと、戦争の実態が見えてこないと思います。国家が「戦争」という呼称を初めて付けたのがこのとき。それまでは「役」とか「事変」と言っていましたね。古くは「承平天慶の乱」「前九年後三年の役」というように「乱」「役」「変」。この感覚で日清戦役、日露戦役、満州事変、シナ事変、という呼称となり、そして大東亜戦争。
 本当はその時代の想いが「大東亜戦争」という呼び方にこめられていたわけで、「戦争」と意識したというのに、今の子どもはその呼び方を知らないというのは大きな問題ですね。国家が戦争をどのように呼んだかということから時代の想いを読み解くことがいるのではないでしょうか。
 大東亜戦争を肯定しろとか否定しろというのではなくて、「大東亜という言葉にした当時の人たちの想いとは何だろうか?」という読み方が問われてますよね。
 さらには、「大東亜戦争」という言葉だけではなくて、いろんな時代に固有の名称があるにもかかわらず、研究者が「学問的概念」で位置づけた用語、「寄生地主」等の用語があたかも時代の歴史的名辞かのごとく教科書に登場している。ここには、歴史を現在(いま)の場だから、現在だから視れる場から裁断する「歴史の後知恵」で時代を描くことが「歴史」と思い込んでいる愚があるのでは。それだけに時代の「言葉」から歴史を、時代を読み取ることが大事なのかと。
 その時代を体現する言葉、表現に自覚的にこだわり、歴史を読み取る作法を身につけることが歴史教育の課題ではないでしょうか。

歴史は暗記ではない

――― そういう歴史の授業が展開できれば、歴史は暗記の教科ではなくなりますね。

大濱先生 そう。歴史というのは史的想像力が一番求められる、時代人心を思い描く、想像する世界です。そういう意味でも、「歴史を学ぶ」のではなく、「歴史に学ぶ」という、私の目で時代を読み直していくということが何よりも求められているのだと思います。

画像:大濱先生

――― 日本人の歴史観というのは、どういうものなのでしょうか。

大濱先生 歴史は書き換えられない、悠久の大義が貫かれている物語。歴史の負、民族の敗北を自覚的に問い質すこと、己の弱さを見つめる、凝視することを忌避するがために、歴史に学ぶ感性が欠落しているのでは。その一端は戦争、日本が営んだ戦争への眼にも読み取れます。
 日本では、「平和展」というのは好きだけれど、「戦争展」はやりたがらないですね。以前、ある県に頼まれて、その地元の旧日本軍の史料調査をした時、戦後50年の記念で「展示会」をやりたいと言うので「『県民と戦争』といったタイトルで企画してはいかが」と言ったら、「戦争」というタイトルだと問題視されるから『平和展』にしてほしいと」言われました。この展示は、「戦争というのが、どれだけ悲惨でむちゃくちゃなことだったか」を説くのが課題なのだから、「平和教育、平和がいいですよ」と祝詞のごとく語るのではなく、戦争の過酷さと、無惨な死について説かなければ意味がないとして「戦争展」で押し通したんです。
 イギリスには帝国戦争博物館というのがあります。さらに諸外国には戦争記念館や博物館というのが大抵あります。本当にすごいと思ったのは、第一時大戦の塹壕が復元されていて、そのときの発射音が「ビュンビュン」と鳴っている。その塹壕の中に、泥まみれのサンドイッチがあったり、兵隊が傷ついていたり、耳を塞いでいたりというシーンが再現されている。これこそは、戦争というものがどういうものかを実感できる、追体験しうる場なのです。
 アウシュビッツ収容所にかかわる展示ではユダヤ人虐殺の雰囲気が追体験できる。そこには「12歳以下のものを連れて入る場合は、親が責任取って下さい」と書いてある。「親が責任を持って連れて入りなさい」と。日本だったら「何歳以下入るな」とするけど、向こうは「連れて入るなら親が責任取りなさい」「親がきちんと説明しなさい」と。これが本来のやり方だと思うのです。
 平和教育というのは、戦争がいかに人間をだめにし、過酷であって、無残な死があるかということを、説くことではないでしょうか。それを説かないで「平和」という観念を崇高な価値みたいに説いてはいけませんね。
 教科書にはよく、原爆というとあの「きのこ雲」を載せるけれども、何であれが広島や長崎に落とされたの?という話はないのです。少しでも、その理由まで書かれていると違いますよ。例えば、近代日本において広島が軍都だったとか、日清戦争(戦役)のときから広島が出発地だったとか。そのために山陽鉄道の開通が急ピッチでされ、宇品から出航したとか、現在の宇品港と重ねて読み解くことがあってもいいのでは。

――― 今の歴史の教科書は、史料が豊富に載っています。子どもたちも、いろんな見方ができるでしょうね。

画像:大濱先生大濱先生 やり方として「この図版や写真の中でどこがおもしろい?」と聞いてから授業に入ってもいいわけ。
 でも図版はアクセサリーになってしまって、どうしても文章から入ってしまう。せっかく図版があるのだから、図版等に描かれている世界を想像させてほしいですね。問いかけていくように。
 年号が出てきたら、覚えさすよりも、日本と外国で起きた事象をとりあげて、両者のかかわりをつなげて考えさせても良いですね。

――― 史料の掲載の仕方にも一石を投じる感じですね。

大濱先生 どの史料にも、関連づけた出来事や、逸話があるのです。
 だからこのWebマガジンに図版を基にした話を載せていくのもいいですね。
 たとえば、輸出用の生糸やお茶のラベルがどんな図柄か、その生産地はどこか。茨城県の古河は製糸の拠点。また製品の商標図柄が日の丸と鶴じゃない。そうするとJAL(日本航空)のイメージというのは、もう明治の頃から、日本の輸出品がもつ一つのイメージだった。
 戦後、集団就職で子どもたちが上野駅に到着するけれど、あのとき、その前に降りて行った駅の一つが古河なのです。いまは古河駅にそんな雰囲気はありませんけどね。

――― そういった形で歴史を学習していくと、子どもたちはどう育っていくのでしょうか。

大濱先生 自分の頭で考える子どもたちが少しでも増えていけばと思いますね。
 少なくとも歴史を勉強するというのは、現在いる自分の居場所を調べる、そういう眼ができるといいですね。
 歴史というのは、「私が読み解く世界」だと思うか、思わないか、でずいぶん違いますよ。クイズ番組的世界から外れていく。暗記というところから外してあげるべきですよ。確かに、最小限の知識というのは必要だけど、「知識」を「知識」としてしか覚えていないというのではつまらない、ダメです。
 いかに自分の知力で時代を再構成していくかというのが要るんじゃないかな。(終)

――― どうもありがとうございました。