学び!と美術

学び!と美術

「その子らしさ」の図画工作・美術
2013.02.12
学び!と美術 <Vol.06>
「その子らしさ」の図画工作・美術
奥村 高明(おくむら・たかあき)
ライトテーブルの上に黒い色砂を乗せてお絵かき

ライトテーブルの上に黒い色砂を乗せてお絵かき

 私は「図画工作・美術は多くの子が『その子らしく』なれる時間だ。その意味で教育課程上、必要だ」と思っています。そう思うようになったきっかけは、私の若いころの失敗にあります(※1)。

 新採用として赴任した中学校でのことです。私は、中学校1年生の学級担任を受け持ちました。でも、生徒とうまくいきませんでした。今思えば「自分は先生だ」という意識が過剰だったのでしょう。思春期の敏感な生徒たちはそれを見透かしていたのです。クラスの中でいろいろな問題が起きましたが、解決できないことがほとんどでした。教育現場はテレビドラマではありません。武田鉄矢のように生徒に話をしただけで収まるはずはないのです。後から聞かされたのですが、当時、親から「担任を変えてほしい」と学校長に申し入れがあったそうです。いやはや、相当ひどかったのでしょう。
 2年目もそういう状態が続いていました。そんなときのことです。ある日、職員室にいると、後ろから先輩の先生が本をそっと差し出してくれました。「奥村先生、これ読んでご覧」。題名を見ると、「先生と生徒の人間関係」(※2)。正直「う~ん、うさんくさい題名だな」と思いました。でも開いてみると、人と人の対話の意味を心理学的な視点から真面目に解説している本でした。
 例えば、「まず『ふ~ん』と頷きましょう。次に相手の言った言葉をオウム返ししなさい。それは相手を認めることになるのです」、あるいは「人は『全体』を褒めてもうれしくないが、『部分』は喜ぶ」などのようなことが書いてありました。
 何か腑に落ちたような気がしました。なぜなら、私はそれまで常に自分の主張を生徒に伝えることばかり考えていたし、常に「全体」から「個」を見ていたような気がしたからです。
 そこで、これを美術の時間に応用してみることにしました。生徒が絵を持ってきます。全体的な評価や「もっと塗り重ねなさい」などの言葉を飲み込みました。そして「部分」を指さして「ここは?」と聞いてみました。
 生徒「ここは、こう塗って…」
 先生「ふ~ん、こう塗ったんだ」
 生徒「それで、こうして…」
 先生「なるほどねぇ」
 生徒「うまくはいかなかったけど、こういう感じを出したくて…」
 反抗盛りの中学生が面白いように話してくれました。まるで魔法のようでした。そして、この出来事をきっかけに、私と生徒の人間関係は著しく改善していきました。3年目、「担任を変えてほしい」と言っていた親が、卒業式の時「あなたが先生でよかった」と言ってくれました。
 今思えば「その子の気持ちや考えを受け入れ、そこから指導を考える」という学校教育では当たり前のことです。ただ、私の場合、それを初めて実感できたのが子どもの作品との対話だったのです。
 「自分の評価はいったん脇に置く。子どもの作品から、その子が何を感じ、何を考えているかをとらえる。その子が表した何かを認める。それは先生と子どもの人間関係も構築する。」そう思いました。

 この出来事が私の美術教育の原点です。それ以来「子どもの作品には、その子の思いや考えがつまっている。形や色、表し方などに『その子らしさ』が現れている」と考えるようになりました。そうであれば、子どもの作品を「指導したことができたか、できないか」という視線だけで見てはいけないでしょう。少しでも、「その子らしさ」が現れる授業をした方がいいでしょう。でも「言うは易く行うは難し」。今も四苦八苦、反省ばかりの毎日です。次回はもう少し、失敗談を続けてみたいと思います。


※1:「昔話や昔の名前で生きるのはやめよう」と思っているですが、ご容赦下さい。
※2:ハイム・G・ギノットの「先生と生徒の人間関係~先生と親に自信を与える本」(サイマル出版、1983年)