学び!と美術

学び!と美術

研究授業の参観のコツ(2)
2014.02.10
学び!と美術 <Vol.18>
研究授業の参観のコツ(2)
~子どもから指導の改善を考える~
奥村 高明(おくむら・たかあき)

 前回の続きです。授業参観で子どもを見たとして、そこからどう指導の改善につなげるかという話です。結論からいえば「その子から、教育の資源をたどれば分かる」です。一つの事例を見ながら考えてみましょう。

 ある鑑賞の授業でした。教室前面には大きな絵が掲示してあります(上図参照)。子どもたちは四人グループをつくっています。私が見ていたのはA子です。例によって教室入口からすぐに見える子でした。授業は六つの質問をもとに作品を鑑賞するもので、先生は最初の三つの質問を全体で軽く検討した後「今度はグループで話し合おう」と指示し、ワークシートを一人一人に配布しました。そして、子どもたちは一斉にワークシートに書き始めました。話し合いは起こりません。私の見ているA子は、鉛筆を持ったままじっとしていました。時折、隣の子どもを覗くだけです。あれ?先生の指示は「グループで話し合う」でしたよね。なぜグループで話し合わず、A子は一人ぼっちなのでしょう(※1)。

 まず、ワークシートは、基本的に子ども同士の関係性を切り離す特性を持っています。算数や国語でもそうですが、それまでどんなに快活に話し合っていても、プリントを配ったとたん、子どもは一人で学習を始めます。「グループで話し合いなさい」と「一人一人にワークシートを配布する」を同時に指示することは矛盾しています。子どもたちが話し合おうとしなかったのは当然なのです。次に、ワークシートを見てみましょう。ワークシートには六つの質問がすべて掲載されています。さらに、教室前面に掲示してある作品がフルカラーで精緻に印刷されています。質問と、その質問に答えるための資源がすべて盛り込まれているというわけです。ワークシートだけで学習が完結するのであれば、誰も顔を上げなかったことが納得できます。A子だけがワークシートに書くことが思いつかず孤立したのでしょう。

 さて、どうすればよかったのでしょうか。まずワークシートの絵を取り去ることが考えられます。そもそも教室前面に大きな図版が掲示してあるのですから、それを見ればすむことです。また、話し合いによって鑑賞を高めるのであれば、ワークシートの必要性も疑問です(※2)。一つ一つの質問がカードになった六枚の束が、それぞれグループに一つあればよいと思います。教室前面の絵、グループ、質問カード、この配置であれば、次のような学習が行われていたでしょう。

 「では、次に四番目の質問にいきます。この絵は何を表しているでしょう」
 「ぼくは海だと思うんだけど…」
 「どうして?」
 「(指さしながら)絵のあそこが波みたいだから」
 「あ~、なるほど」

 誰かが司会をし、誰かが書記し、誰かが絵を指さすことで、みんなで同じ場所を見ながら話し合いが展開できたと思います。話し合いという「言語活動の充実」を通して思考・判断が活性化し、結果的に一人で行う以上の作品鑑賞ができたでしょう。そのような場でも、A子は一人ぼっちだったでしょうか? おそらく静かだったとしても、まわりの意見を聞きながら、いっしょに考えたことでしょう。もしかして一回くらい自分の意見を発言したかもしれません。そうです。A子を「一人」にしていたのは、A子自身の属性というよりも、ワークシートや教室環境を含めた学習のデザインだったのです。

 子どもはまわりの資源との関係で「その子」として成立しています。網の目のように広がる資源と状況の中で、子どもは「子ども」になります。材料や用具、指導案や題材、教室や学級、学校制度、子ども教育の対象として見る社会や文化などが「その子」を「そのような子」にしているのです。そこで、資源を見つけ、そのつながりや組み合わせを探る。そこから指導の改善を考える。目の前の子どもという具体的な根拠をもって語る。それが授業研究会です(※3)。そんなことを130年も続けている国は日本だけです。そして、その伝統に大きく貢献してきたのが、普段から子どもや作品などを根拠にしながら、具体的に授業を考えてきた図画工作や美術だろうと思っています。

 

※1:ここで大切なことは「子どものせいにしない」ということだ。ここで「A子は勉強が苦手」「グループの仲が悪い」などのように、原因を「子どもに帰す」のは簡単である。でもその途端、指導の改善は不問になる。指導がうまくいかないのを、毎度、子どものせいにされたら、子どもはたまったものではない。一方、「子どもってすごい」と何もかもその子の能力のように語るのも同じことである。子どもは真空状態に存在しているわけではない。問うべきは「その子をその子たらしめている複数の資源」である。
※2:振り返りをしたければ、別の時点で、別の内容になる。授業においてこの場面は思考・判断の場面であった。
※3:もっぱら自分の考えや経験から、話し合うのは指導案検討会である。

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