学び!と美術

学び!と美術

描き込み指導の失敗と教訓
2014.11.10
学び!と美術 <Vol.27>
描き込み指導の失敗と教訓
奥村 高明(おくむら・たかあき)

 前回、発達を無視して技能を教え込んでも、「創造的な技能」は伸びないという話をしました。今回はそれを思い知らされた私の失敗談です。

1.中学校から小学校へ

 昭和62年、27才、都市部の中学校で美術科の教員として4年働き、次に、人口2000人、全校児童145人の山間部の小学校へ異動しました。初めての小学校は大変でした。小学生に分かる言葉で話せず、板書も苦手、小学生に筆順の間違いを指摘され、保護者から「先生が担任になって子どもの字が下手になった」と言われました。国語も算数も家庭科もなかなか上手くいかず、学校の中で一番教え方の下手な先生だったと思います。隣の先生の授業を見て、本を買って、早く一人前になろうと必死でした。ただ、図工だけは、周りの先生たちが専門家扱いしてくれました。材料のこと、絵の発達のことなどいろいろ尋ねてくれました(※1)。

2.美術の虫が疼く

 2年目は4年生の担任、半年ほど過ぎた頃、美術の虫が疼いてきました。「自分の知っている知識や技能を子どもたちに教え込んだら、どんな子になるだろう」という気持ちです。題材は「友達の顔」、四つ切画用紙に水彩絵の具で描かせることにしました。そして、子どもたちに構図、技法、彩色、順番など徹底的に指導しました(※2)。次のような具合です。

○顔の下書き
 先生「目を描く位置は、顔の半分」
 先生「目と目の間は、もう一つ目が入る分空けなさい」
 先生「鼻は、小鼻のふくらみを描くこと、鼻の両脇に縦線はいれません」

○目の彩色
 先生「目をみてごらん、何がみえる?」
 児童「先生、黒いところと茶色いところがある!」
 先生「そうだね、だから真ん中は黒く、周りは茶色に描きなさい」
 児童「先生できました!」
 先生「だめだめ、もっとよく見て、何が見える?」
 児童「光っています」
 先生「そうだね、そこには白を入れなさい」

○髪の彩色
 先生「自分の筆では塗りません。先生が細い筆を貸してあげるから、それを使って、根元から毛先まで、一本、一本生えているように描きなさい」

○背景の彩色
 先生「画用紙の上に直接青と黄色の絵の具を載せなさい。それを水で薄めながら塗りなさい」

 12月から2月まで20時間はかけたと思います。完成したのが写真の絵です。教室や廊下に全て張り出すと、保護者や先生たちから驚嘆の声が上がりました(※3)。隣のクラスの先生は、「児童画展に出したら」と言ってくれましたが、さすがに、「これは邪道ですから、、、」と出品しませんでした。どこかに後ろめたさがありました。それに、児童画展に選ばれるのはもっと「児童画らしい絵」だということを知っていました。

3.子どもたちの現実

 さて、新学期。子どもたちは5年生、担任が変わります。受け持つ先生は「図工の時間が楽しみだなあ、奥村先生の後だからきっと楽だろうな」と言っていました。でも、それは失望に変わります。ある日「おれ、絵の指導が下手なのかな、全然子供たちが描けない」と職員室に戻ってきました。教室に行くと、そこには普通の小学5年生の絵がありました。私が教え込んだはずの描き方、混色の方法などはいっさい使われていませんでした。
 子どもたちは「普通の5年生」に戻ったのです。「そうか、そういうことか」と腑に落ちました。主題も、描く内容も、描く順番も、決めたのは全部「先生」です。子どもたちは素直だから、先生の言うとおりに描いてくれました。でも、出来上がったのは「子どもの絵」ではなく、「先生の絵」だったのです。私の美術的な欲望に裏付けられた実践は、次のようなごく当たり前の結論に終わりました。
 「発達を無視して一方的に教えても、その内容は身につかない(※4)」
 「子どもが子ども自身で工夫することが大切」
 「発達に応じて、適切な時期に、適切な内容を学習することが教育」

4.教訓

 10年後、この件をある研究会で発表しようと当時の学校に子どもたちが絵を持っていないか探してほしいと依頼しました。数名の子どもたちがこの絵を大切に保管してくれていました。その子たちにとっては、先生と絵を一生懸命に描いたことがとても楽しかったそうです。
 確かに、私には失敗であったからといって、その子どもたちにとっても失敗だというのは失礼な話です。そういえば、若くて、うまく教えられなくて、苦労していたときほど「子どもたちが自分についてきてくれた感」がありました。逆にベテランになり、うまく教育できるようになると、子どもたちとの距離を感じるようになりました。うまくいかないときほど人は必死になります。子どもは指導技術や方法よりも、その必死さを食べてくれる生き物なのかもしれません。 失敗を失敗として教えてくれるのは子どもたちです。そして、失敗を成功に変えてくれるのも、また子どもたちだと思います(※5)。

 

※1:まあ、ちょっといい気になっていたというわけです。
※2:「子どもが描けないのは描き方を知らないからだ」と単純に考えていました。
※3:でも、心の中では眉をひそめていたかもしれません。
※4:この実践は小学生にとっては役に立っていません。でも、それ以上の学年、例えば高校生や大学生相手にやり方を工夫すれば有効だったかもしれません。
※5:失敗、失敗、たまに成功、また失敗。たまの成功がうれしくて、この仕事を続けてきました。教育はそんなものだと思います。